第3話 三段の君

 つれづれなるままに、日くらし硯に向かいて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

 吉田兼好様の名文です。

 わたくしはパソコンに向かいて、キーボードを叩くことといたします。

 現代のこと、過去のこと、思いつくまま書いてみたい。

 どのような文章を書くことになるのか、今はまだわかりません。

 わくわくいたします。

 わたくしは文章を書くのが好きなのです。

 枕も楽しく書いておりました。

 やはり自分が楽しんで書いた文章の方が、ほかの方にも楽しく読んでもらえるようでございます。せいぜい楽しんで書くことといたしましょう。

「千年物語」と名付けたのですから、まずは遥かな昔を思い返すことといたしましょう。

 戦乱の時代は、わたくしも苦しんだものでございます。人が容易く死にます。田畑が荒れます。人心も荒れます。

 戦の天才は、戦乱の時代を速やかに終息させてくださいます。ですから、わたくしは歴史上の人物の中でも、軍事的天才を贔屓にしております。

 源義経様の戦は、鮮やかなものでございました。

 もちろん戦争をこの目で見たわけではありません。しかし一大ニュースというのは、いつの時代も瞬く間に世間に知れ渡るものです。少数の兵で多数の兵を破った一ノ谷、屋島の奇襲は世の人々を驚かせました。

 その頃わたくしは、京の都で中ぐらいの貴族の屋敷で働いておりました。煮炊きをしたり、掃除をしたりしておりました。旦那様は、平家はもう終わりだと言って、義経様の支援をしていたようでございます。わたくしも心の中で義経様を応援しておりました。

 壇ノ浦で平家を滅ぼした義経様は、京でもてはやされすぎて頼朝様に警戒され、ついに追われて平泉で自害されることとなります。

 義経様を支援していた旦那様は没落し、わたくしも京を離れました。

 戦の天才と言えば、もちろん織田信長様の名を挙げないわけにはまいりません。

 しかし信長様の苛烈な戦いにはずいぶんと苦しめられました。わたくしが隠れていた農家が焼かれたこともございます。信長様の配下の兵に襲われそうになって、命からがら山へ逃げ延びたこともございます。だからわたくしはあまり信長様によい印象を持てないのです。

 それよりも一日にして関ヶ原の戦いに勝利なされた徳川家康様を贔屓にしております。家康様は天下を治める天才でございました。江戸時代二六五年の平和の礎を築いた家康様はやはり偉大な方だと思うのでございます。

 戊辰戦争を速やかに終わらせた大村益次郎様も軍事的天才だそうでございますね。司馬遼太郎先生が「花神」でそう書かれております。 

 日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅した作戦を立案した参謀秋山真之様も。「坂の上の雲」愛読いたしました。

 わたくしは司馬遼太郎先生のファンなのです。

 清少納言が司馬先生の本を読んでいるなんて、おかしいですか。いいえ、現代に生きているのですから、現代の本を読むのは当然でございましょう。

 こほん。

 日本史の話はいずれまた。

 現代に話を戻しましょう。

 恋愛の話をいたしましょう。

 わたくしは理知的な男性に心惹かれます。

 本が好きで、よく学問に励んでいらっしゃって、ふだんは無口に見えるけれど、話してみると話題豊富で、聞き上手だったりするともう堪りません。

 そういう方にはすでに恋人がいることが多いです。

 単位を取るためだけに大学に通って、サークルにも属さず、アルバイトもせず、講義が終わるとさっさと帰るという殿方がおられました。とても真面目に講義を聴いて、ノートを取って、成績もよいという評判でした。

 わたくしは講義でその方の隣に座って話しかけました。話してみるととても気さくで笑顔が素敵でした。いつも仏頂面で講義を聴いているのに、こんな笑顔ができるんだと知って、わたくしはギャップ萌えしました。

 ギャップ萌え。

 清少納言のことばとは思えないと思ったあなた。

 わたくしを侮っていただいては困ります。

 最新の言葉遣いにもついていけるよう、常に現代文化にアンテナを張っております。ネットスラングにも通じているのですよ。

 ああ、話が脱線しました。

 いつもは仏頂面だけど、笑顔が意外なほど素敵な男性の話です。

 彼は講義が終わるとさっさと帰るのですが、その日はカフェで一時間ほどお話をしてくださいました。

 彼は、将棋のプロを目指していると言いました。日本将棋連盟の奨励会三段で将棋を指しているそうです。三段というのはプロの直前で、ここを突破して四段になれればプロ棋士だということでした。でも三段で勝つのがむずかしいんだ、と彼は苦渋の表情で話してくれました。

 話題が豊富というわけではありませんでした。彼は将棋のことしか考えていないようでした。でもわたくしは彼に好感を抱きました。

 三段の君、と心の中で呼ぶことにしました。

 わたくしには有り余る時間があります。

 ときどきでいいから三段の君とお話して、できれば彼氏になってもらおうと思いました。

 わたくしは講義で隣に座り続け、三段の君とたまにお茶をする仲になりました。

 のんびりコーヒーなんか飲んでいる時間はないんだが、と言いながらも、彼はつきあってくれました。

「本当は大学も行かないで、将棋の勉強をすべきなんだよ。でもプロ棋士になれなかったときに備えて、学歴をつくっておきたいんだ」

「三段になっても、まだプロ棋士になるのはむずかしいのですか」

「むずかしいよ。僕は天才じゃないからね。あの人みたいにさ」と言って、彼はわたくしでも名前を知っている年若い棋士の名前を挙げました。史上最年少でプロ棋士になった方です。

 三段の君の苦悶の表情が美しい。

「応援していますわ」とわたくしは彼に伝えました。

 わたくしから彼に告白するつもりはありません。

 わたくしは恋愛ゲームを楽しみたいのです。

 告白させたら勝ち、と思っております。

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