『3、毒殺トリックが分からない』


 コーヒーカップに口をつけようとしていた松林准教授は、きょを突かれたように数秒動きを止めた。


 なぜか、チッ、と舌打ちし、叱られそうになっている小学生男子のような不貞腐ふてくされた態度でぼやいた。


「それ、人違いだぞ。その女はテトロドトキシンの話をした時は一緒じゃなかった。話の概要がいようが掴めないんだが……つまり、出水はその女にもアレの事を喋ってたって事か?」


「お姉ちゃんは毒の事なんか知りませんでした!」


「本人がそう言ってるだけだろ?」


 まるで口論のようになりかけ、俺は慌てて口をさしはさんだ。


「凪砂さんはテトロドトキシンの事は知らなかったはずです。テトロドトキシンを使って毒殺するなら、フグ料理に混ぜて食中毒に見せかけたほうが疑いをかけられずに済みますよね。それなのに、凪砂さんが用意したのはベーコンとレタスとチーズのサンドイッチでした。知らなかったと考えるほうが自然です」


 松林准教授はジトッと俺を睨んできた。


「テトロドトキシンが何か分からなかったんじゃないか? 漠然と毒だと理解していただけなら、サンドイッチに混ぜて食べさせても不自然じゃない」


 この人、本当に嫌な性格だな。イライラしてキレそうになっていた俺のシャツのすそを芽衣がぐいっと引っ張った。


「ねえ、お兄ちゃん、どんどん話がズレていってるよ。出水さんはテトロドトキシンのせいで亡くなったけど、菱山教授が『胃の中にテトロドトキシンは無かった』って言ってたでしょ。食べさせて殺したんじゃないよ。それに、注射のあとも見付からなかったって……」


 言われて、あっ、と思い出した。


「そうだった。ついでに肛門からの投与の痕跡こんせきも無いって言ってたよな」


 芽衣のお陰で冷静さを取り戻せた。


 落ち着けば、追うべきすじも見えてくる。


 俺たちが問題にすべきは、という事だ。


 そして、真犯人を特定とくていする為には、動機やアリバイや毒の入手にゅうしゅ経路けいろも重要だが、それ以上に『』が重要なはずだ。


 手段が分かれば、容疑者はソレを行う事が可能だった人物のみに絞られる。


 凪砂さんがソレを行う事が不可能だった場合、容疑者ではなくなるということだ。


 もちろん……場合によっては凪砂さんにもソレが可能であり、容疑を晴らす事にはならないかもしれないが、しかし、容疑を晴らせる可能性も充分にあると言える。


 とにかく、現状では凪砂さんはとてつもなく不利だ。


 出水氏が接種せっしゅから数時間で死亡する毒物──テトロドトキシンによって毒殺された時、他の人物が近寄り難い、太平洋上にぽつりと浮かぶヨットにふたりきりで乗っていたという事実は、凪砂さんが犯人であったとする充分な根拠こんきょになりる。状況証拠のみで有罪にされてもおかしくない危うい立場だ。


 今のところ、凪砂さんの無実を証明する為には、別の真犯人を探し出すか、さもなくば、凪砂さんには不可能で──これしか無いのだ。


 経口けいこう摂取でもなく、注射でもなく、肛門からの投与でもない、他のどんな方法なら、テトロドトキシンをターゲットの血中に入れられるのか、その謎を解く事が、凪砂さんを救うかぎだ。


「ちょっと待て──」


 松林准教授が珍しく鋭い声を発した。


「その話が本当なら、それは不可能犯罪じゃないか」


「そうなんです。不可能犯罪なんですよ~っ!!」


 さすが准教授。性格は悪いが頭脳は明晰。話を理解するのが早い。


 その明晰な頭脳をもっと他人に気を遣う部分で発揮して、俺たちに理解し易く、もっと情報を丁寧に提供してくれれば良いのに──っ!!


「気になるな。経口でも注射でも肛門からでもないとすると……それ以外のどんな方法で毒を投与したんだ?」


「やっぱ気になりますかっ?」


「ああ、まあ、一応は。犯人は方法を自白したのか?」


「犯人は、まだ捕まっていません。容疑をかけられている女性はいますが、彼女は犯行自体を否定していますし、当然、投与の方法にも言及していません。私個人の心証しんしょうでは彼女は冤罪えんざいだと思います」


 へえ、と松林准教授は意外そうに剣崎刑事を見詰めた。


「マズイんじゃないのか? 状況証拠だけで、自白も無く、当人が犯行を否認しているなら、起訴きそしたとしても裁判は長引くだろ? その条件ならほぼ有罪に出来るだろうが、僕から言わせてもらえば、どうやって毒を投与したのか分からないと犯人は特定できないと思うね。謎が残っているうちは、あらゆる可能性が残されていると考えるのが論理と言うモノだ」


 その瞬間、俺は菱山教授の言葉を思い出していた。


 ──


 二人は同じ事を言っている。


 松林准教授、本当に頭だけは良い……その話、昨日して欲しかった。


「おまえ、夏ノ瀬真之だっか? そういう重要な話は昨日して欲しかったな」


 それはこっちの台詞だよっ!!


 俺の心の声は届かず、憮然とした顔で松林准教授はコーヒーをすすった。


「僕だって……昨日の時点で、その写真の女性が事情聴取を受けていると分かっていれば、もう一人の年増デブス女の話もしたのに……」


 松林准教授は滔々とうとう自己じこ弁護べんごを続ける。それにしても、相変わらず口さがない……


「事情聴取を受けている女の名前は報道されていなかったんだから、当然、犯人が警察に拘束されていると思っていたんだ。わざわざ言う必要は無いと思ったんだよ」


 その「言う必要無い」って勝手に自己じこ完結かんけつして決めちゃう癖、ホント良くないよっ。


 つまり、松林准教授はニュースを見て、凪砂さんではなく、毒の存在を知っていたもうひとりの女性が任意同行を求められ取り調べを受けていると思い込んだというわけか。


 話をすり合わせていって、双方そうほうが「言う必要が無い」と思い込んでいた情報が、実は齟齬そごを生じさせない為に最も重要な情報だったと分かった。


 自己完結してしまっていたという点は、俺たちも反省しなければならないな。美波ちゃんが昨日見せたスマホの待ち受け画面の女性──凪砂さんが、警察で事情聴取を受けている女性だ、と松林准教授に伝えなかったので、こちらにも非はある。


 しかし、こんな皮肉な事ってあるのか。


 剣崎刑事は怒りで微かに震える声で松林准教授の無責任むせきにんさを非難ひなんした。


「あなたが昨日お会いした時点ですべてをきちんと話してくれていれば、もっと早く捜査は進展したんですよ。冤罪えんざいかもしれない女性が、あなたのせいで今も取り調べを受けているんです」


「そ、それは警察の不手際ふてぎわだろ。僕には関係ない」


「あなたねぇ、毒物どくぶつおよ劇物げきぶつ取締法とりしまりほう違反いはんで逮捕されてもおかしくないのよ?」


「アレは盗まれたんだ。盗難届を出してる。僕は被害者だっ!!」


 うわぁ、最悪だ。この人、ホント、頭は良いのに性格が悪過ぎる。


「お兄ちゃん、また話がズレてる」


「あ、ああ、そうだな……」


 芽衣にこそっと言われ、俺は剣崎刑事と松林准教授の言い争いにって入った。


「出水氏が毒を所有していた事を知っていた女性がもう一人いたなら、そして、その女性が出水氏の奔放ほうぽうな女性関係に嫉妬しっとして恨みを抱いていたとしたら、その女性は重要じゅうよう参考人さんこうにん……いえ、ズバリ言って、真犯人じゃないんですか?」


 あっ、と松林准教授だけでなく剣崎刑事も声を上げた。


「あなたが出水氏のレストランで会ったというもう一人の女性は、いったい誰なんですか?」


 松林准教授は、ふんっ、と面倒臭そうに鼻を鳴らした。


 そして……


 告げられたのは意外?な人物の名前だった──!!


   ◆◆◆

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