第二章:苦難

「いやあ、さっぱり依頼がありませんねえ」

「当たり前ですよ」

 毎日同じことを繰り返し言う上司、佐々木るみに、青山幸喜はきっぱりと返した。

「先輩、全然宣伝しないじゃないですか。僕が作ったHPホームページも、わざわざこんな古臭くて変なデザインにしちゃうし。今どきなんでBGMとか流すんですか? 絶対いらないですよ!」

 るみは青山を完全に無視して、暇ですなあ、と繰り返す。青山は文句を言いながら本日何杯目か分からない、るみ専用のホイップクリーム大盛りのキャラメルマキアートを淹れる。

 おそらく青山のお小言など、全く聞いていないのだろう。るみは表紙に【行方不明者続出! 謎の高額バイトとは? 闇の臓器売買】とでかでかと書かれた雑誌を鼻歌混じりに開いた。いまどきこんな雑誌が存在すること、さらにそれに読者がいることが不思議だ、と青山は思う。

 佐々木事務所。飯田橋のオフィス街から離れた、トルコ料理店やマッサージ店の入った雑居ビルの三階。それがるみと青山が構えた城だ。

 二人は大学の同窓生で、るみは文学部、青山は神学部の出身だ。

 青山の実家はプロテスタントの教会であり、ゆくゆくは牧師になるのだが、ちょっとした興味からゼミは全く関係のない民俗学を選んだ。そこで大学院生をしていたるみと出会った。

 るみは名前の通り女性なのだが、いつも薄汚れた灰色のスウェットを着用し、髪を無造作に束ねて分厚い眼鏡をかけている。体型も顔立ちも曖昧で、初対面の人間はほぼ間違いなく男性と間違える。三十代前半だが、十代と言われても、五十代と言われても、なんとなく納得してしまう。

 一方の青山は曾祖父のコーカソイドの系統が強く出たのか、色素が薄く、二十七歳になった今でも少年のような顔をしていた。

 二人で歩くとどうしても目立ち、少年が不審な男に連れ回されていると通報されたこともあるくらいだ。

 おまけにるみは、常に演技でもしているかのような大げさな話し方をする。さらにとんでもない大声なので、余計に注目を集めてしまう。

 このように、およそ女性としての魅力からはかけ離れたところにいるるみだが、青山は尊敬していた。

 彼女の聡明さは大学でも有名で、本当に何でも知っていた。

 ゼミの教授、斎藤晴彦氏は、穏やかで優しい人だったが変わり者で、かつ説明がとても下手だった。何を質問しても話が次々と別の方向に飛んで行ってしまい、学生は宇宙空間に放りだされる。学者としては優秀だが、教員としてはイマイチ、というのが彼にふさわしい評価だった。

 そんなとき、課題に詰まると頼りになるのが佐々木るみだった。

 るみは喋り方のエキセントリックさに目を瞑れば、本当に理想的な教員だった。博士課程を修了し、当然そのまま大学教員になるのだと思っていたが、彼女は別のものを本業にした。

 佐々木事務所は、心霊案件の相談所だ。探偵事務所と間違えて入ってくる依頼人が多いため、青山の提案で看板に「心霊関係」を付け足した。すると、今度は誰も入ってこなくなった。

 そもそもるみが大学で民俗学を専攻したのは、地方の風俗に興味があったわけではなく、斎藤晴彦教授に師事したかったからだという。

 斎藤教授は、本業よりも副業のテレビや雑誌での仕事――怪談や心霊現象の特集には必ずと言っていいほど呼ばれている――で有名だ。メディアでの活動を見て、るみは彼と話がしたいと思ったらしい。

 事実、るみは大学の誰よりも斎藤教授と話が合った。単なる怪奇現象を民俗学的見地から紐解いていくという、怪異に対するアプローチが似ているのだと思った。

 青山はそれを遠巻きに眺めていたのだが、ひょんなことから実家の祖父ごと、彼女が持ち込んだトラブルに巻き込まれ、なんやかんやで親交を深め、今に至る。

 客観的に見ればガサツで、見た目も悪く、怪しいことばかりしているるみだったが、青山は彼女のすべてを魅力的に感じていたのだ。るみは、その「トラブル」のさなかで青山を救ったことがある。彼女の持ち込んだトラブルで危機に陥り、彼女に救われる――客観的に見ればそれは「マッチポンプ」とか「尻ぬぐい」であって、青山が感謝する必要はないはずなのだが、彼はるみのことを命の恩人だと強く信じていた。

 こういう心霊関係の仕事を本業にしようと思っている、とるみに言われたときも、頼まれてもいないのに事務仕事の全てを引き受けた。

 間近で見たのは数えられるほどだが、るみのチカラは本物だ、と青山は確信していた。チカラといっても霊能力とかそういったものではない。幽霊やバケモノが見える、所謂霊感のようなものも勿論持ってはいるようだったが、そんなことよりすごいのは、呪いや祟りの原因を的確に見抜いて即座に対処してしまうことだった。彼女自身が対処する場合もあれば、他の専門家を紹介することもあるようだったが、失敗したのを見たことがなかった。依頼人は全員、晴れやかな笑顔で帰って行く。

 さらに、特に大金を請求することも無い。るみは「趣味でやっているようなもんですから」と言っていたが、これは照れ隠しで、人を助けたいという善意からやっていることだと青山は思っている。

 青山は本気で、優しくて有能なるみ先輩が他人から評価されないのは、見た目や振る舞いのせいではなく、広報が足りないからだと思っていた。

「今月の家賃が不安になってきました……あんまりこういうのは良くないですけど、こっちから積極的に探さないといけないかもしれません」

「その必要はありません」

 るみが雑誌を閉じ、にやりと笑って言った。

「今日は一件、依頼が入っているのですよ。もうすぐ依頼人もいらっしゃることでしょう」

「早く言ってくださいよ、予定が」

「我々、毎日暇ではないですか」

「それはそうですけど……」

 るみは豪快にキャラメルマキアートを飲み干した。

「青山君、用事があるなら帰っても結構ですよ」

「いや、一緒にいますよ、僕だってここで働いてるんですから」

 この事務所もまた、るみが事件を解決したお礼に、ビルのオーナーが格安で貸してくれている場所だ。るみは、何故だかいつも、どこかから本当に困っている人を見付けてきて、すみやかに解決してしまう。この事務所が存続できているのだって、結局は、るみに感謝した依頼人たちが何かと世話を焼いてくれるからだ。青山の用意したHPは使われることなく、るみに頼りきりで、自分の存在意義が見いだせない。青山は深くため息を吐いた。

「それにしても、どういう人なんですか? メールボックスには来てなかったので」

 るみはタブレットの画面を青山の方に向けた。

 色の浅黒い、精悍な顔つきの青年が写っている。

「島本陽太さん。私の元同級生ですね。大学は広かったですし、青山君は知らないでしょうけど」

「いえ、知ってますよ。僕の友人がかっこいいと言って騒いでいたので……確か水泳部だったような。モデルとかやってた人ですよね? まさか、先輩と親しかったとは思いませんでしたけど」

「いや、親しいわけではないですよ」

 るみはタブレットの画面を指ではじいた。

「心霊現象に悩まされた人間は必死にツテを探すものです。彼には坊主の知り合いも神主の知り合いも神父の知り合いもいなかったから私に連絡してきただけのことでしょう」

「そういうものですか」

 るみは無言で頷いて、

「さて、そろそろいらっしゃるようですよ」

 るみがそう言うのとほぼ同時にブザーが鳴った。

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