第20話 一つ屋根の下

「しんじられない」

 ごくごく冷ややかな声でロザリアはそう言った。

 言われたジュリアは床で膝を抱えて座り、こうべを垂れている。

 それを、ベッドの上から見下ろしつつロザリアは溜息とともに言った。


「なんでいちいち恩人を襲うの? 可愛いからは言い訳にならないのよ?」

 晩御飯の席には曰く言い難い空気が漂っていて、原因を推察するにあそことあそこだろうなぁ……ということで、ロザリアとヴァレリーは目が合いまくってしまっていた。

 食後、なんとなく解散した後、ラナンは「試作品で気になることがあるから」と店舗スペースの方へと消えてしまうし、人を拒絶しまくった態度にさすがのヴァレリーも声をかけあぐねているようだった。

 ロザリアとしては大いに責任を感じ、こうして部屋で兄の詰問にあたっているという次第である。


「……焦りかな……」

 ジュリアは恐ろしく素直に答えてから顔を上げ、ロザリアの背にした窓の方へと視線をさまよわせる。

「焦り……。それはつまり、ヴァレリーには絶対に敵わないからってこと?」

 さらに追い打ちをかけたロザリアに対し、ジュリアは瞳に暗澹たる色を浮かべた。

「邪魔する筋合いじゃないし、お師匠様があの熊面が良いって言うなら、『お幸せに』って言うところなんだろうけど」

 何か想像したらしいジュリアが「うっ」と喉を詰まらせる。


 熊面とお師匠様ねぇ……とロザリアも二人が並んでいる光景を思い描いてみる。

 ラナンがどう思っているかはわからないが、少なくともヴァレリーがラナンを想っているのはまず間違いない、と踏んでいる。

 何せ、強盗に入られたと聞いたらその日のうちに泊まり込みにきて、翌日にはこの店舗兼住居の契約を決め、バタバタと荷造りして三日程度で引っ越しまで完了させてしまったのである。

 一緒に暮らし始めてまだ日は浅いが、非常に馴染んでいる。

 共同生活も慣れているというだけに万事スムーズだし、仕事をする上でも話が合うようだし、昨日のように一緒にお酒を飲んでいるところを見ると普通に仲も良さそうだ。

 何より、お互いを信頼し合っているように見える。

(年上で頼りがいがあって気遣いが細やかで食べ物の趣味も合って……。結婚しかなくない?)


 これまでの二年間ヴァレリーの気配がなかったのは、ヴァレリーが長期の仕事で遠方に出ていたという事情があったらしい。とはいえ、それで資金を稼いで店を構えた以上、今後はそういう仕事はあまり受けないだろうということは聞いている。

 そのタイミングでラナンに同居を持ち掛けているとあっては、考えていることはかなりわかりやすいように思えるのだ。

 そろそろ腰を落ち着けたい、という。

 ロザリアにもわかる程度のこと、兄だって少し考えればわかるはず。

 とはいえ。


(もともとジュリアが流浪の身の上になったのはわたしのせいで……。それをもって「あなたは不安定な立場で、ひとところに落ち着いてひとを好きになるなんて」とは、わたしからは言えないわけで)

 ラナンの気持ちがまだはっきりとわからない以上、応援したい気持ちはあるのだ。

 どう見てもこのところのジュリアは患っている。

 その原因なり理由なりはロザリアにも思い当たるものがあり……。

 ヴァレリー云々以前に。


 最近のお師匠様ラナンは可愛いのだ。


 ロザリアの目から見ても「可愛い」以上、もともと懸想していたジュリアや、何やら思惑がありそうなヴァレリーから見てもそれはそれは「可愛い」に違いない。

 ひたむきで生真面目な性格で、大人なのに小動物みたいな見た目で、気弱なくせに少しばかり口が悪いだなんて。

 一つ屋根の下であんな生き物がウロウロしていたら青少年は患うかなと。


「兄さま。お師匠様の気持ちを確かめようとは思わないんですか」

 まずはそこからでは、とロザリアが言うと、ジュリアはぼんやりと視線をさまよわせた。

「気持ち……気持ち悪いって言われた」

「それはいきなり指を舐められたり血を吸われたりしたら誰だってそう言うと思う! 他にどんな反応があると思っていたの!?」

「お師匠様の血だと思うと、なんだかもう美味しくてすごくドキドキし」

「兄さまの感想なんか聞いていません!! それ以上言わなくていいです!! 血は血でしょう、処女の血をありがたがる妖怪でもあるまいし、味の話なんか結構です!!」

 言うに事欠いて何を言い出したのかと、ロザリアは舌鋒厳しく非難した。

 これはもうどう足掻いてもヴァレリーに勝ち目なんかあるわけがないと気が遠くなってくる。


(だってヴァレリーは……、わたしにまで優しい、大人の男なのだし)

 今はまだ女の影もないとはいえ、絶対に目を付けている女の一人や二人いるはずだ。

 それこそ、最近町で話題の、お祭りに誘いにくるような豪胆なひとだって――。


「そういえばジュリア。ジュリアはその格好で、いまや男性と認識されている状態なわけよね? だとすると、お祭りに誘われていたりしないの? 去年までは男性からの申し込みが引きも切らずだったわけだけど……」

「そういえば今年は男からの誘いはあんまりないかも。ただ、女友達からはずいぶん声かけられたかな?」

 ああー……なるほど、とロザリアは得心がいったように頷いてから、ずばり尋ねた。

「誰と行くの?」

 きょとんと目を瞬いたジュリアは「ああ……」とやけにぼんやりとした返事をした。


「レナもシンシアもカチュアもリズもあと誰だ……、とにかくみんな一緒に行く相手がいないからどうって言ってたから。ちょうど全員揃っているときに『みんなで行けば?』って言って来た。行く相手がいない者同士ちょうどよくない? と思ったからさ」

「……ん?」

 笑顔でロザリアは聞き返した。今何か、兄がとてつもなくセンスのないことを口走った気がした。


「それ、本人たちが揃っているときに言ったの?」

「俺はべつに祭りに行く気はないし。なんだろう、男が女を誘ったり、女が男を誘うのって何か護衛的な意味合いでもあるのかなと思ったんだけど。女同士でも何人かで行けばそんなに危なくもないんじゃないか? それこそ、遅い時間になったら家に帰ればいいだけだし」

「夜景見ようとか、篝火が綺麗よなんて言われなかった?」

「篝火……そういえばそんな話もあったかな。だけど遅くなると酔っ払いも増えそうだし、用がないなら出歩かなくていいんじゃないかな。家に帰りたくない理由ってなんだ、魔石灯の節約かな?」

 うんうん、とうっすらとした笑みを絶やさず聞いていたロザリアは「それで?」と先を促してみた。


「兄さま。それでみなさんの反応はどうでしたの?」

「反応? は、別に見ていない。すぐに別れたから。だけど、お互い行く相手がいないってわかったなら、一緒に行こうって話になったんじゃないか? あれだけ祭りの話題で盛り上がっているのに、いつも仲が良い友達が誰と行くかは聞いてないなんて抜けてるよな」

 すごい。

 これはなんというか絶望的だ、とロザリアは確信を得てしまった。


(おそらく皆さまジュリアが目当てで、恋の鞘当てをしまくっていたに違いないと思うのですけど。当のジュリアがこれでは……。女性同士協定を結んでいたか抜け駆けをしたのかはわかりませんけど、全員をまとめて振ってしまったのでは……)


「ジュリアは女装していたときに男性に誘われていたのはどうしてだと思いますか?」

「見た目が良かったから連れ歩きたかったんじゃないのか?」

「なるほど。じゃあ男装しているときに女性に誘われた意味も同じようには考えられませんか?」


 しばしの沈黙の後に、ジュリアが目を大きく見開いた。


「え、そういう意味なの!? みんな男の知り合い俺しかいないのかと思っていた。こんな女顔の男といても余計に変な連中に絡まれるだけで面倒くさいよ? としか思ってなかったんだけど」

 奇跡的に話が通じたことにひとまず小さく安堵しつつ、ロザリアはもう面倒くさいとばかりに本題を投げつけた。


「兄さまは今や『男性』なわけで、『女性』からパートナーにと請われる身なわけですよ。ああもう、有体に言うとモテているんです!! 町娘のキレイどころがよりどりみどりで、おそらく他の男性から面白くないと思われる程度にモテているんです!! 自覚あります!?」

「うーん? だけど男からも誘われているぞ。『また女の姿をしてオレと踊ってくれないか』って」

「そういうのはいいですから。置いておきましょう。つまり、女性陣からそれなりに魅力的に見られているジュリアとして! ここはひとつ、お師匠様をお祭りにお誘い申し上げてはいかがでしょう!?」


 ジュリア特有の変なペースに巻き込まれないようにと、ロザリアは強引に言い切った。

 言い切られたジュリアはまったくぴんと来ていない様子で「……なんで?」と首を傾げているのみだった。

 説明しても先は長そうだなとロザリアは溜息を堪え、「自分で考えて」と言い捨てて布団に倒れこんだのであった。

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