30 「お姉さんにも、会いたかったよ」
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「お姉さんにも、会いたかったよ」
開口一番、草野くんはそう云った。ジントニックを前にして。わたしはバラライカを頼んだ。ウオッカを飲むことが一番多い。ソルティドッグにブラッディメアリ。
「咲実は、〝ホワイトレディ〟が好きだったわ」
「だった?」
草野くんが鋭く反応した。
「どうして過去形で云うの?」
「……」
わたしは押し黙った。
「咲良さん、本当のことを云ってよ」
草野くんが向き直って云う。
「僕、咲実さんのこと、知ってるんだよ」
わたしは不安な気持ちになって草野くんを見た。
「咲実さんが死んだことも知ってる」
「死んだ?」
「兄がいるって云っただろ? 咲実さんに、心底惚れてた」
「……草野くんの、お兄さんが?」
「何度かデイトもしてた。僕もくっついていったことがあるんだ、二、三回」
わたしは草野くんの顔を見直した。咲実を知っているひとがここにいる。記憶に留めているひとが。
「……あのこ、なんて云ったの?」
「映画の後の喫茶店で、兄が席を外したときに、云われたんだ」
──あたし、お兄さんより君の方が好きだな。
──ねえ、今度ふたりで逢おうよ。
少し間があった。わたしと草野くんは、木の皿に出されたナッツをつまむ。
「……草野くん、咲実を知っててわたしと知り合ったの?」
「初めてあなたを見たとき、咲実さんかと思った。死んだって聞いたけど、間違いだったのかと思った。咄嗟にライヴを理由にして、話し掛けた。でも貴女は咲実さんじゃなかった。すぐ思い出したよ。咲実さんには双子の妹がいるって」
草野くんがわたしをまっすぐに見る。
「なんで帰ってくるなんて嘘を云うの? 咲実さんは死んだのに。帰ってきたりしないのに」
「……帰ってくるのよ」
わたしは小さい声で抵抗した。
「八月になったら、帰ってくるのよ」
草野くんが相変わらず鋭い目をしている。
「ねえ、懺悔していい?」
わたしは小さな声で呟いた。
「夢を見るの」
草野くんが頷いた。
「わたしの服に血しぶきが飛んでいた。咲実が台所で手首を切って、隠し持ってた貯めていた薬もぜんぶ飲んで、冷蔵庫に凭れて吐いていた。もう、終わらせてあげたかった。だから、咲実を抱いて、めちゃくちゃに痩せて軽かった咲実を抱いて……、」
声が詰まった。
「井戸に落としたの?」
草野くんがわたしの眼を覗き込んでくる。
「咲良さんが、咲実さんを井戸に投げたの?」
「……よく分からないのよ」
わたしは正直なことを云った。
「ただ、夢を見るの。あの家の台所の夢。わたしの服に血が付いている夢。誰もいない夢。何度も見るの」
わたしは泣いていたと思う。草野くんが、わたしのあたまを引き寄せた。
「それはただの夢で、記憶じゃないんだよ」
「そこがよく分からないの……」
「大丈夫だよ。それはただの夢だよ」
「わたしもう、駄目なの。わたしが咲良なのか咲実なのか、だいいちわたしは双子だったのか、分からないの」
わたしは小声で告白した。
「分からないの。咲実が本当にいたのかどうか。わたしはずっと独りだったんじゃないか。もしかしたらわたしは咲実なんじゃないか。死んだのは咲良だったんじゃないか。それともわたしはただの〝サクちゃん〟で、ひとりの人間だったんじゃないか。分からない。ただ、八月になるとわたしたちはふたりになるの」
わたしは誰? 咲良? 咲実? わたしが双子だったことを知っている人間は、いまや草野くんだけで、彼でさえわたしの妄想ではないかと思えてしまう。
「わたしが双子だったって、証拠もないわ」
「証拠は、あるでしょう?」
「何処にも無いわ」
「ご両親は、生きているんでしょう?」
「あのひとたちは……」
「咲良さん、生きているひとを大切にしなきゃ、駄目だよ」
「あの家にはもうわたしは……」
「咲良さん、何から逃げてるの?」
「……でも、咲実もわたしも、」
「咲良さん」
わたしが双子だったことを知っているひとたち。わたしの両親。
もう長いあいだ顔を出していない、家。
「見つけに行きなよ」
草野くんがもう一度云った。
「見つかるよきっと」
わたしは唇を噛んで、ショートのグラスに浮かぶ細かい泡を眺めていた。
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