第2話 マリナー11
高真空自由落下の宇宙とは、枯れた空間であり技術により培われて来た。
紀元前、と呼ぶ。
月入植を元年として西暦は終わり、星歴、への改元が行われた。
百年紀、Centuryを捩って、星歴、Star・Century、或いは、単にSenturyとも呼ぶ。
当時の宇宙軍、航宙保安局の前身であるNASA、北米航空宇宙局は一つのプロジェクトを遂行していた。
「Mariner program」
無人の惑星探査機を用いた火星、金星および水星探査計画である。
プロジェクトは後の人類航宙史を切り開くべく雄大に、戦略的に、数多の実証実験を含み遂行された、現代に至る航宙基礎技術、惑星のフライバイ、周回、およびスイングバイという、人類史上初の試みを成功させた確立させる。
マリナーは10号までが打ち上げられ、11号はボイジャー計画に引き継がれた。
だから、水星に常設施設、人員常駐の太陽観測測候所、初の人工衛星が就役するに辺り、それがマリナー11の名を冠されるのは、銀河の公転より確かな必然なのであった。
旧世紀来より地球温暖化という俗語が死語と化して既に久しい。
今から振り返ればそれは、旧来の全人類的感性であるところの季節という概念そのものへのディープインパクトであった。
真夏の沙漠が氷雪に見舞われ他方煉獄とはこの事かと焦熱にも焦げる、冬もまた、海が凍れば真夏日に焼かれる地域もあった。
何より温暖化が鮮烈に呼号された最盛期にあって両極冠氷は実際的観測値として増大、温暖化影響調査に出向いた観測船が激増した氷山に囲まれ航行不能難破していたのだ、温暖化_とわ。
とはいえ夏が寒いかといえば、もちろん冷夏はある、肌寒い日も多々あろう、しかし八月を迎えた夏の多くを盛夏と呼ぶに憚りありとも言えない。
一般則として、夏は暑く、冬は寒い、間違いではないし歴史的事実とも言い難い今日的側面であろう。
地球では。
八月の太陽に近づいても別に体感温度は変わらんし視直径的に近寄った感も無い。
「ムダな事を考えてますね」
艦内カメラ映像が伝える作業員の状態からの推察、なのであろう副官の茶々にその作業員、本艦唯一の乗組員にして艦長兼全部のタロウはヲイと思わず突っ込む。
「お前が無能だからだろうが、詫びの一つも入れろや」
「シンガイデス」
電子副官は突如太古のSF作品を再現するような生片に転調し、愚痴った。
「シヨウガイデス、キカクガイデス、ヨウコウセイドメカニクスオペレートナドト……」
「すまん悪かった! 普通に話せ」
拗ねてやがる、コイツこそ無駄に高性能、いや長期航宙にはこれで必須か。
やれやれ。
生残性での冗長性は高いがこれでムダは一つも無いんだぜ。
タロウの言葉にウソは無い。
全長1000メートル超の船型を持つ本艦であっても、であれば尚、その設計には1gの余分も無く、無事帰港を果たし乗降機が艦外から接弦するまで、内外人員移動の予定は存在しなかった。
人員搬送能力を持たない、未使用予備機材からの急造作業中、作業環境は艦内だが真空暴露の格納庫、ハンガーとあっては実質艦外、EVA(Extravehicular Activity)そのものであろう。
おまけに有人活動を想定しない室内には照明一つ存在していない、文句を垂れながらも副官の支援、こればかりは搭乗員に代わり艦内情報を統括する立場と能力として全艦を網羅して配備されている監視カメラからの映像を肉眼からの映像として補正、タロウの宇宙服にデータ送信、視覚補正支援を受けねば手元すら覚束なかった、自分で照射しようとしたらもう一本腕が必要になる。
何というか、正にマーフィの法則の好事例、最悪だ。
最終予算不足による点検不十分によるスタンピードの危機も無事乗り越え定常加速、ブースタを切除しラムジェット起動、始動、無事点火、加速、当初計画理論値である光速1%達成、更に加速、3%設計強度限界か、観測実施おおこれが太陽系の外から見る宇宙、萌え萌え! 。機材試験、実証試験宜し、良好、進出限界、太陽系帰還軌道遷移、直行加速開始、翼よ、アレが我らの父にして母なる太陽だ、ヘル撮ってる? 、ラムジェット消火、もう再点火手段当艦に存在セズと航宙日誌に、、後は太陽に向かって落ちるだけ、準光速よさらば太古の帆船より低機動低運動な、太陽風に嬲られるだけの動体だ、え、緊急ミッション追加ってちょ、おま、聞いてないyo! 。
林麗婭(リン・リーヤー)はそうして、何度目かの目覚めを迎えた。
業務停止指示から以後何もすることもできることもなく、不規則に食べて、微睡み、結果昼夜も、時間の感覚すら希薄になってしまっていた。
だらしない、ふしだらだ、わかっている、もちろん。
ハブ構造を持つ基地の、各モジュール結節点である中央回廊部に、最近にして僅かながらようやく人柄もつかめ距離感も薄れてきたその、この職場で唯一もう一人の同僚、2交代直につきその切り替え時に短く挨拶を交わす間柄ながらセクシャリティとは縁遠い両者パーソナリティのささやかな交歓がなされるつつあった同僚、モッラー・サドラーは変わらず、事件発生時に得た初速を維持した回転運動体としてある。
突然の同僚の怪死をそのような客観的事実確認で認識する事でしか表現できない、ああ、そうとうに、疲弊しているな、私は、まあ当然か。
当初ムダに活発に立論し棄却し解決手段新材料を求めしかし得られず、思考の袋小路を延々徘徊している状況を最初期から自覚していたにも関わらず敢えて継続し、結果みごと無意識化目標完遂、精魂尽き果て現実逃避とは異なる諦観と無力、これ以上この場で自分に出来る事は何も、実は最初期から当事者にして当事者能力剥奪、ようやくにして唯一の正解である、ふて寝、喰っちゃ寝モードにたどり着くことができた、ということにした。
時計を見る気もしない。
枕元にあった食べ残しのピザを齧り不味さに放り棄てた。
ここまで不規則無目的無計画な時間を過ごすのは久しぶり。
記憶を振り返り、思い直した。
いや、間違いなく、人生で初の体験だ。
人生初の同僚怪死に人生初の自滅型生活破綻。
長い人生、それも良かろう、む。
決然と二度寝に倒れ込まんとする上半身とは別の生物である勤勉過ぎる右手指先がなにを勝手にコム、パーソナルコミュニケータを手繰りフリック、メールチェックなぞしおる。
そしてとうぜんのようにいやな結果がが。
着信1未読1。
すかさずタップしながら予感がある、うん、コレやばいパターンだ。
件名:航宙保安局外宇宙艦隊通達に関する通達について
ぶ。
あぶねえ、なんも飲んでなくて助かった。
本文:現在、外宇宙艦隊所属外宇宙航宙実験艦が近隣宙域にて月・地球帰還軌道途上にあり……。
あ? 。
聞いてない情報の羅列であった。
外宇宙艦隊、そんなん出来てたんだ、で、実験ってそういう出来立て、で、え、あ? なんでや?! 。
そこの士官が立ち寄るという通知。
確かに偶然居合わせたその艦が近隣宙域最寄りの第三者機関なのだろうが、それにしても宙保が何しに乗り付けると、何かの臨時代行か? どんな調整が? 。
不承不承首を捻りながら読み終えいやちがう、何か見落としてる。
二度見し、三度見した。
今日初めて時間を確認する、本文時刻と比較する、間違いない。
到着予定予想時刻。
今くるもうくる直ぐ来る!? 。
こんな重大要件メールですますんじゃねよおおおお!! 。
エアロックが開くと航宙士、日系にしてはやや大柄な男が現れた。
何にせよ、どういう形にしろ、こうして袋小路で立ち惑っている自分を解放してくれる、安堵があった。
「林麗婭(リン・リーヤー)博士? 」
「タロウ・サクライ大佐? 」
軽い握手と同時に経緯をマシンガントークでレポートし掛けたリンにタロウはノーと遮り、
「既に読んだ。現場を」
リンは一瞬口許を震わせ、眉に皺を寄せ、唇を閉じる。
「こちらへ」
やあ素晴らしい美人だと彼、これから交代まで1年寝食を共にする同僚、初対面のモッラー・サドラーの軽口に、あら御免なさい、私、Y染色体には余り興味ないの、クールに返すリンにそれは奇遇だ、僕も変数には詳しくないと、互いのプロフィール通りにカムアウト後乾いた笑いを交歓し淡々と過不足無く過ごした約半年。
案内した彼女の、二人の眼前で飲みかけのコーヒーを吹き出した推力によりゆらゆらと未だその死体は回転を続けている。
そう、まずは同僚を突如襲った、異変。
同僚といっても交代直の間柄から、業務引継ぎ時に少し会話するくらいで、この狭い職場で生活を共にしている事実は希薄だった。
だから、リンは事件発生を目撃していなかった。
彼女の就寝後少しして、サドラー体内のナノメディが管理身体の活動停止を通達、これを受けて管理本部が発した緊急連絡で叩き起こされたのだ。
慌てて現場に駆け付けると同僚はもうこの状態だった。
それから短くも慌ただしい時間を過ごした。
現場映像を送り、使用されたコーヒーパッケージのロットIDを確認し、彼女自身の異常の有無を確認され身体健康情報を出力し送信した。
少ししてから業務連絡として、通常業務は無期限停止、自室待機が命じられた。
警察が現場検証に来るのだろうか。
各地域を担務する地方警察とは別に、太陽系人類生活圏全域を管轄下に置く内務省捜査局、俗称宇宙警察という組織の存在は知っているがしかし、地球から水星まで駆け付けるのだろうか。
既に航路上にある来期交代人員を追い越して? まさか。
誰か来るのか、本部にも当然疑念を問うた。
これも当然に、現在確認中とのみで、回答は得られない。
翌朝着信していたのが、宙保来訪の通知と受け入れ要請だった。
なぜ、航宙保安局、宇宙軍を寄越すと?? 。
物理的な最寄りの、或いは唯一の手段なのかという推察は勿論ついたがそれだけでは決定理由の説明が付かない。
民間の原因不明の事件に軍が関与する事実が異例なら、そも、その要請がまず異例であるし、何より軍がそれを承認したのがまた異例、異常だ。
ナノメディの治癒能力を無効化し同僚を致死させた事故或いは事件、そして警察では無く軍が乗り込んで来る。
発見者にして事件臨場唯一の重要参考人たる自身がいったいどの様な扱いを受けるのか。
約一週間、手元の少ない情報、断片をあてどなく繰り返し独り手繰りながら結論が出る保障が少ない検証、論考、思索の空しいサイクルからひとまず、解放される。
それだけでリンは救われた。
自家中毒もいい加減もうへとへと、いっそ尋問でも何でも、他者の関わる別の位相に移りたい、それも困難の方途かもしれないが今はそれを心から望む。
タロウは顔色一つ変えなかった、が。
両手を打ち合わせるガッショウ・スタイルで短く瞑目し、最低限の礼節は示して見せた。
手早くコミュニケータで現場を数ショットに収める。
そして彼、死体、サドラーと呼ばれていた肉塊を、持参した機密バッグに、丁寧に手足を……折りたたもうとしたが既に死後1週間以上が経過、硬直により時間優先の作業に切り替え、押し込む。
よしいくぞ、という声にリンは疑問形に口を開き、両者は怪訝な視線を交錯させタロウは短く罵り現状、緊急事態あってはならないあるある連絡ミスを確認し向き直り、発令する。
「EVA準備だドク、3分与える」
士官らしい命じ慣れた者の態度と口調で。
リンは学者としての明晰さで事態を受け入れる、抗弁など時間のムダでしかない事は子供でも判る。権限も決定権もこの目の前の軍人にでは無く、彼は執行装置として軍命を遂行するだけだ、というこの状況を。そして既に航宙士基礎訓練課程で叩き込まれている略式礼を反射的に返し彼女は行動している。
タロウも反射返礼しつつ目線は彼女から外れ、コムに音声入力。
「ヘルメッセンジャー」
「Yes commander」
中性だがやや柔和な、母性を滲ませる返答。
「プリセットオーダー、即時実行」
「Yes commander, run, now, Done」
「オーケー」
マリナー11の無人稼働が起動する。
そも当然だが当施設はフルオート機能可能で、常駐人員は設計機能的には冗長系である。
手間を省く意味もあるがタロウが代行したのは許認可責任の明確化でもある。
然るにこの瞬間、水星軌道気象台マリナー11在勤主任研究員林麗婭博士は、地球連合航宙保安局大佐であるタロウ・サクライが所管する、指揮艦艇、エンタープライズ00の1ペイロードと化した。
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