三 贄《にえ》


……なんだ、あれは。


村人は相撲に夢中であるがその生き物はゆっくりした足取りで笙明の隣の席に座った。


この様子に驚く笙明であったが不思議なことに誰一人騒ぐものはなかった。


獣人は全身黒い毛で覆われており、人の倍の大きさであった。顔は見えぬがそれは何も言わずに特別席に座った。目は相撲を見つめていた。


……なぜだ。皆、なぜ皆そのように落ち着いておるのだ。


「おい、篠!龍牙」


寝ている澪のせいで立てない彼は大声で二人を呼んだが、なぜか二人は村人に囲まれ反応が無かった。夢中で相撲を観ているのだった。


……やられた。私は餌なのだ。


歓声に声を消された笙明は、膝の上ですやすや寝ている澪を優しく起こした。


「澪よ。私の愛しい娘。目を開けてくれ」

「ん?どうしたの」

「静かに起きるのだ。良いか。怖がらずに私の命を聞け」


彼は優しく澪の耳に囁いた。

獣人は興奮しながら相撲を観ていた。この間に笙明は澪を起こし、腕に抱えた。


「え。隣の人は、人じゃ」

「静かに。お前は静かに鳥になるのだ」


彼女の口を優しく塞いだ笙明は微笑んでいた。彼は澪にしばし木の上で待機し、誰もいない時に篠と龍牙と合流するように諭した。


「笙明様は?」

「とにかく。お前の方が大事だ。さあ。私の腕の中で鳥におなり……」

「いやです。笙明様を置いていくなんて」


彼の着物を掴み涙ぐむ娘は奮い立つほど健気で美しかった。彼は後ろ髪惹かれる思いで首を横にふった。


「……そうでは無い。ここで逃れて私を助けるのだ。お前にしか頼めぬでは無いか」


 渋る澪であったが、観念し腕の中で美しい鷺になった。彼が頬を寄せて腕を広げると鳥は飛び立って行った。


……後は、この獣人だ。魔物ではなさそうだが。


この時、ここから離れて座っている長老を発見した笙明の目を、彼は避けた。これによりやはりこれは嵌められたと確信した。頭上では白鷺がバサバサと飛んでいた。


このような獣の客がいるのに村人は全く気にせず相撲を観ていた。


……そうか。篠は子供で、龍牙は逞しい。生贄には私と澪を選んだのか。


今日の生贄を村人から出さず、よそ者で済ませ長老。感心していた彼であったがここで生臭い息に横を向いた。


それはあっという間に笙明を肩に担ぎ、相撲に興じる村の人をかき分け、山道を登り出したのだった。いますぐ何かされるわけでは無いと悟った笙明は、じっと人形のように鎮まり獣人の肩に揺られ身を任せていた。



◇◇◇

暗い山道。登った獣はやがて岩穴にやってきた。


「ここが住まいか。さて、私を食うのか」

「……」


獣人は黙って彼をドサと下ろした。そして岩穴に入って行った。

笙明も恐る恐る入っていった。


「これは。狼の子か」

「……」


暗い岩穴。幼い狼の右足には矢が刺さっていた。このせいでは苦しみ寝込んでいた。


これを見た彼は、狼の子を抱え近くの滝に向かった。その清水をかけながら彼は一気矢を抜いた。子は苦しみ声を上げたがすでに体力を消耗しているのかぐったりしたままであった。


ここで彼は笛を吹いた。その調べは風に乗り村隅々まで響き渡った。


「さあ。岩屋に戻るか」

「……」

「口が聞けぬのか。しかし私の言葉が分かるのだな」


獣人は黙って子を抱きかかえていた。彼らが岩屋についた頃、この場に澪が舞い降りたのだった。


「笙明様!ご無事で」

「心配致すな。それより子の手当だ」

「子供?まあ。これは」


澪は怪我の様子を見ると薬草を探しに行き手当てを始めた。獣人は黙って子供に寄り添っていた。


すぐに薬草を見つけた澪はこれを潰し傷口に着けていった。夕暮れであったで笙明は木を拾い火を灯していた。


「……そなたはあの狼とここで二人だけか」

「……」


獣人は目で訴えるように笙明を見ていた。その目には寂しさが映っていた。


……他所の地から人に追われ……この山で安住を見つけたのか。


そんな獣人は唯一無二の狼の子供のために、勇気を出して相撲の席に来たのだろうと笙明は見当を付けていた。彼らが火を囲みぼんやりしていると澪がやってきた。


「血が止まったわ。今まで痛かったのね。すぐに寝てしまったわ」

「そうか。助かった」


獣人は岩屋に入り出てこなかった。澪と笙明は満天の星を見ていた。


「彼らは怪我を治して欲しかったのだな」

「そう見たいです。狼の子も時期に治るでしょう」

「左様か。おお?寒い。澪よ。我の元に」


火を囲んだ二人は寄り添い抱きあっていた。


「暖かくて、静かです」

「ああ。風の音だけだ」


夜の山は優しい風が吹いていた。笙明は澪に頬を寄せた。


「お前は本当に暖かい。ずっとこうしていたい」

「澪もです」


新道の修行の身である笙明は、胸の中の少女を愛しく思っていた。それは色恋というよりも妹のような感情であった。こんな彼女を傷つぬよう彼は優しく今は抱きしめているのだった。

こうして夜を明かした二人は、早朝に山を降りた。



相撲が終わった村はそれは静かであった。


「龍牙と篠は、あ。あそこで寝てるわ」

「呑気なものよ」


相撲の後の祝いの席でご馳走を食べた二人は、休み所で寝入っていたので澪は起こした。


「早く!村を出るわよ」

「……飯なの?」

「ふわあ。良く寝た」

「話は後だ。参るぞ」


明け方早く妖隊。村を出たのだった。



◇◇◇


「どうしてこんなに急ぐの?」

「笙明殿。話をしてくだされ」

「そろそろ良いか」


澪に食事の支度をさせた笙明は、昨夜の山の話をした。


「村の者は私が生贄になったと思っておる。故に姿を隠したいのだ」

「そうか。笙明様は食べられたことになっているんだもんね」

「そういうことだ」


ここまで離れれば追っては無いだろうと妖隊は朝餉を食べていたがやがて異変に気がついた。


「ねえ。村で火事じゃ無いの」

「きな臭いの」

「私。飛んで見てきます」


澪は返事も聞かずに飛び立ってしまった。待つ間寝ていた彼らであったが、鷺娘の澪は疲れた顔で戻ってきた。


「村の火事は。あの山の神様の仕業です」

「なんと」

「村の人はあの狼の子供を殺してしまったんです。それで」


怒りに狂った山神が村で暴れて人々を殺してしまったと澪は話した。


「山神さんは村人の槍で……死んでしまったわ」

「なんと」

「何?その人って。誰」

「……人だ。優しい人だった」


笙明は道に生えた菖蒲を見つめていた。


「このように美しく咲けば、あのような目に合わずに済んだというのか。心は誰よりも美しいのに」


……獣の姿の彼は澪と同じく、妖の血が入っていたのであろう。


彼は懐から笛を取り出した。

もしかしたら澪も同じ運命だったかもしれない。と思った彼は悲しみの笛を吹いた。

曇天の空はそんな彼らを黙って見ているだけであった。







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