八 神坂峠

「まだ見えないの?笙明様」

「ああ、まだだな」


 妖退治の八田笙明の一行。東へ進んでいた。春の野辺は清く美しく朝日に輝いていた。


「龍牙様。これからどこにいくの」


 傍らを歩く娘に龍牙はおおと相槌を打った。


「わしらも初めてなのだが。天領庁の寺を目指しておるのだ」


 妖隊は発見した妖の塊を帝直轄の寺や神社に納める決まりであった。すでに手中に五つ収めている彼らはこの塊を預けるため寺を目指していた。


「それってさ。俺達で持っていたらダメなの」

「……祓はしたがな。これは人が持つものではない」

「この場で滅すれば面倒ないですぞ。どうれ、わしが」

「ダメだよ?そんな事をしたら俺達の退治の証拠が無くなるよ」


 この話を澪はろくに聞かず、道端に今夜の食事の材料を楽しそうに探していた。こんな和やかな東山道を進み、彼らは難所。夕暮れの神坂峠に辿り着いた。


「明日あの山を登るのか……龍牙は大丈夫かな」

「うるさいわ」

「笙明様。お寺が有りますね。あれがそうなの?」

「左様……」


彼は目を細めて、寺の文字を読んだ。


「『光拯院、月見堂』か。ほお」


 寺の門の月の文字を見つけ口角をあげた彼らは、住職に声をかけ御堂の階段を進んでいった。



◇◇◇


「天満宮の八田殿ですか」

「左様にございます」

「……どうぞ」


 僧侶の声に小坊主が動き彼らを部屋に上げようとしていた。


「おや。もう一人は良いのですか……」

「何のことでしょうか」


 眼光鋭い僧侶を危惧した笙明。鷺娘の澪は、野で待てと密かに待機させていた。しかし僧侶の眼光は鋭かった。


「ここはすでに我が庭ですが」

「……いえ。それには及びませぬ」


 笙明はこれを断り龍牙と篠と部屋に上がった。

 山道の始まりにあるこの堂。旅人の疲れを癒すために建立された寺であり、帝の命令が届く天領寺であった。どこか無愛想な僧侶の案内で彼らは奥の間に通された。


「よく参られた」


 僧侶は瑞葉と名乗り、旅の疲れを癒すようにと労った。この地は山越えの出発地点であるのでここで英気を養い明日の峠道に備えるようにと語る瑞葉に龍牙は妖の塊の話をした。


「ほう。もうお持ちですか。これは失礼を」

「我らは旅に出たばかりでまだこれだけでお恥ずかしいですが」


 頬染める龍牙に瑞葉は冷たく笑った。


「……拝見致しましょう。これ、誰か」


 難しい顔の瑞葉は弟子を呼ぶと待つ間、徐に話し出した。


「先の妖隊でも未だ一つも倒せぬ隊もありましてな。この失態に偽の塊を持って来た隊もありました」

「そこまでするの?」

「瑞葉殿。我らのは本物ですぞ」

「静まれ龍牙」

「では、塊をここに」


 浄化はしたが塊の汚れを恐れた笙明は、澪の母親の鷺の反物の生地にてこれを包んでいた。純白の布を優しく広げた笙明に瑞葉はため息をついた。


「恐れながら……この布は何処のものか」

「本旅路にて手に入れたものでございます。なにか問題でも」

「いえ。実に清く美しい……失礼いたした」


 そして瑞葉は塊を一つ一つ丁寧に取り出した。


「……南無……」


 念仏を唱えた瑞葉は塊の正体を解き出した。


「この大きな玉は水の中……こちらとこちらは死人の物。そして、これは獣か?」

「すごい!ねえ当たってるね」

「ああ。我も見分けがつかぬのに」

「これは……。妖でもこのような心の清き物があるとは」


 澪の母親の玉を驚き顔で手に取る瑞葉に笙明は静かにうなづいた。


 さらに塊の受諾の覚書を交わした彼らは謙遜の意味で頭を下げた。こうして塊を瑞葉に託した彼らは夕餉をいただき、明日の旅に一息入れていた。


◇◇◇


「なにあの態度。失礼だよ」

「これ篠!声が高い」

「だって。ねえ、笙明様」

「篠……我らは寄せ集めの期待外れの隊だ。しかし他の隊はお家を代表した腕利き」


 彼はすっと立ち上がると夜の庭を見た。


「ここ天代宗も隊を出しておるのだ。なにかと思うものがあるのだろう」

「……だからって」

「さあ。明日のためにも寝るのだ。山越えだぞ」


 月の夜空に羽ばたく鷺を見た笙明はこれに微笑むと寝床に入った。

そして翌朝早く。彼らは峠を目指し歩き出した。





「おはようございます」

「澪。どこにいたの」


 音もなく山道で忍び寄って来た娘は朗らかに笑った。


「あの木の上。おかげで遠くまでよく見えたのよ。それでね」


 峠の頂には男達が見えたと彼女は伝えた。


「四、五人で、刀を持って。お酒を飲んでいたわ」


 久しぶりに鳥の姿で過ごした澪は陽気に歩き出したが、龍牙と笙名は厳しい顔になった。


「山賊か。瑞葉殿は何も言わなかったな」

「敵は妖だけにあらず、か。心して掛かるぞ」


 ここで立ち止まり話し合いをした一行は、作戦通り山を登っていった。


◇◇◇


「おい、あれを見ろ」

「ん?娘か」


 峠の山賊は山奥に現れた娘に驚きながら近寄って行った。しかし娘は嘲笑うかのように逃げ出したので山賊達は追いかけていった。


「今だ。走れ」

「おう」

「俺は澪を見て来る」


 澪が囮になっている間に笙明と龍牙は峠を越え下って行った。そしてここに澪と篠が合流した。


「あはは。あの顔。すげえびっくりしてたな」


「何をしたのだ」

「俺じゃ無いよ。澪は崖から飛び降りたんだ」

「だって。しつこく追いかけて来るから」

「おいで。怖かったな」


 笙明と共に馬に乗った澪は優しく揺られながら麓の寺に到着した。ここは広拯院と同じ宗派の寺であった。



「お疲れ様でございます」

「え。あれ?瑞葉さん?」

「そうですよ。どうなさいましたか篠殿」


 篠が挨拶した僧侶は今朝送り出してくれた広拯院の瑞葉そっくりだった。


「旅でお疲れでしょう。どうぞお入り下さい」


 日暮れであり疲労困憊の三人は、これを不思議に思いながらも澪を野に放ち寺に上がった。やはり彼は瑞葉と名乗り、明日の峠越えを進めて来た。


「ええ?俺達、今、峠を越えて来たんだよ」

「何を申します。峠はこれからですぞ」


恭しく夕餉を出し部屋を出ていった彼の背を笙明は黙って見ていた。


「これはどういう事じゃ。笙明殿」

「……まずは休むか」


 笙明は夕餉を啜る篠を見ながらしばし考えていた。


……我らは峠を戻ってしまったのか?いや。そんな事はない。



しかし、この寺の僧侶達は明日も山に登れと彼らに話す事に笙明は疑念を抱いていた。


……瑞葉と名乗る僧侶。顔はそっくりだ。


 彼が思い悩んでいる時に篠がボソと呟いた。



「確かにこの寺。朝までいた寺と同じだけど……違うね」

「お前は違いがわかるのか」

「エヘヘ。俺、実はさ」


 驚く龍牙に篠は昨夜の広拯院に宿泊の際、床板を踏み抜き壊してしまったと打ち明けた。


「怒られるかと思ってさ。俺、瑞葉さんに言わなかったんだ」

「よくやった。して、この寺の床は?」

「壊れてないよ。ほら。ここだもん」

「篠がいて助かった……ん、なんだ」


 誰かが笙明達の部屋の木戸を叩いていた。これを彼女だと思った彼は夜の庭に出た。


「澪や。何処じゃ。私だ」

「笙明様。澪はここに、大変です」


 彼に胸にすがって来た娘は峠の山賊がここに集まって来ていると慌てていた。


「それに。あそこに繋いである黒馬は昨夜の寺に留まっていた馬よ」

「左様か。これで謎は解けた」

「呑気な事を。山賊が来るのに!」


心配顔の娘の鼻を彼はぎゅうと摘んで笑った。


「案ずるな?……ここは私に任せよ。おお、今宵は良い月じゃ」


 澪を胸に抱き月を望んだ彼は優しく微笑み彼女の手を取った。そして供に仲間の元に戻った。


◇◇◇


「どこだ。奴らは」

「ここでやらなきゃ親方様に示しがつかねえ」

「あ。あれを見ろ。いたぞ」


 荒々しい男達は院に踏み入ってきた。


「……なんだ、お前達は」

「おい!いたぞ」

「何を言う?私の顔を忘れたか」


 しかし山賊どもは瑞葉と寺の僧侶二人を夜の庭に引き摺り出してきた。


「違う!私は界葉だ。これは弟子であろう!しかと見よ」

「はあ?界葉様だって?」


 叫ぶ僧侶を山賊が目を擦りながら見ている間、寺の奥の部屋では笙明が香を焚き、念じていた。


「ねえ。笙明様。なんか庭で騒いでいるよ」

「ああ、このまま共倒れだと良いのだが」

「篠も龍牙も……静かにして!ほら」


 四名が潜むこの部屋。山賊の一人が入ってきた。笙明以外は息を潜めた。


「……透、空、消、無……零、虚、霞、無、無……」

「声がしたと思ったが……誰もいないか。親方!ここには誰もいませんぜ」


 襖を閉めた男は次の部屋を探しにいった。これに胸を撫で下ろした三人であったが、これを機に姿隠しの術を笙明は止めた。


「さて。打って出るか」

「そうだね」

「あやつは界葉というらしいな」

「騙すなんて……許せないわ」


 憤る澪の頭を優しく撫でた笙明。仲間と供に庭で山賊に捕縛された界葉の元にやって来た。


月夜の庭で体を縛られた僧侶は笙明達の姿に驚いていた。


「お主?どこにいた」

「ずっと奥の間に居りましたが。これは何事でござりますか」


 香で身を隠し、さらに界葉達が笙明に見えるように呪いをかけた月夜の陰陽師は傍らに娘を置き笑みを称えていた。ここに山賊が集結してきた。


「あ。いた!こいつだ」


 山賊に囲まれた笙明達は月夜に頬を染めていた。


「貴殿は瑞葉殿の兄弟でありますか?我らの邪魔をするのは帝の逆らう由々しき事」

「帝に逆らうとは?け、決してそのような事はない」

「何だよ?この山賊を使って俺達を消そうとしたくせに」


篠の言葉。思わず彼は反論した。


「……そなたたちが悪いのだ!」


 界葉は狂ったように叫び出した。


「此度の鬼門の結界。我ら天代宗で担うところ、お前の父が役を奪ったのだ」

「結界のお役目か」

「そうだ!父は御役目をもらえず苛み、この東の地にて果ててしまった。それも全て八田のせいじゃ!」


 叫びを静かに聞いていた笙明。供に捕縛されている僧侶を見つめた。


「ではこの者達は。お主達の愚かな思いのために縛られておるぞ」

「し、知らぬ」

「鬼門の結界もこの妖退治も。帝は民のためにされている事だ。お主達はすでにこれを行う資格など微塵も無い。己の事しか考えぬ外道を見抜いた右大臣はさすがじゃの」

「なんだと?」

「篠。こちらの僧侶達の縄を解け。愚かな師を持つ哀れな者達だ」


 龍牙の睨みで山賊が動けぬ中、縄から解放された若い僧侶は手首を擦りながら憎々しげに界葉を見た。


「旅の方。恐れ入りますがこの始末は我らに任せてくださいませぬか」

「好きにせよ。我らは休ませてもらう」


 笙明は踵を返すと澪も連れて奥の部屋の戻った。四人はここで朝まで休んだのだった。




早朝。

挨拶に来た若い僧侶は改めて彼らに頭を下げた。


「私は先の寺、広拯院の僧侶でございます」

「大方、我らよりも先に早馬でこの地に来たのであろう」

「そうです。これも瑞葉様の命令で」


 細身の彼は真顔で二人の僧侶を処分すると話した。彼ら瑞葉、界葉兄弟は父の仇討ちと言いこの地に訪れる人々を山賊に貶めていたと告白した。


「我ら止める事もできず。しかし同罪と身を切る思いでございました」

「だろうな。この娘を襲おうとするのを黙認したのだ。それは襲うのと同じ事」

「笙明殿。もう良いのでないか?して、今後はどうするのじゃ」


 龍牙の温情に頭を下げた彼は、界葉を監禁し天代宗の総本山に使いを出し、事の次第を報告すると話した。


「……緩い。それでは握り潰される」


 己達の失態を隠し最悪は若い僧侶のせいにされるであろうと笙明は静かに彼らを見た。


「ではどうせよと」

「我に策がある。筆を持て」


 笙明はしばし考え込み書を認めた。


「これは天満宮の八田笙明の悪事についての告発書だ」

「は?それは」

「表書きはそうなっている。しかし内容はこの地の出来事なり。これを都の天領庁まで届けるが良い」


 知り合いの役人宛に書いた笙明の書を若い僧侶は確かに受け取った。


「必ずや我が届けます」


 さらに八田隊の妖退治の報告は必ず行うと頭を下げ部屋を出て行った僧侶。眉間のシワを寄せた笙明は憮然とした顔で立ち上がった。


「……しかし許せぬ。我を貶めようなどと」


 笙明は立ち上がり庭を望んだ。木々に止まる鶯を眺めていたが龍牙もうなづいた。


「左様じゃ。それが仏に仕える者か」

「本当。俺はまだ許せないんだけど」


 ここに彼女の足音がしてきた。


「みなさん。朝餉ができました。今日はね、龍牙様の好きなドジョウが入っているの」

「おう。参る」

「俺も行く。腹減った」

「ささ。笙明様も。ほら」


 最後に部屋に残った腰の重い彼を澪は立ち上がらせた。彼はどこか不貞腐れていた。


「どうなさったの?」

「私もドジョウが好きなのだぞ。それなのに」

「では早く行きましょう。ね。ほら、笑って。顔が怖いから」

「ふん!」


 朗らかな澪に彼は問いた。


「お前は襲われそうになったのだぞ。なぜそうやって笑っておられるのだ」

「え?だって澪の事は笙明様が守ってくださるのしょう?それに」

「それに?」

「澪は強いのですよ?ささ、早く行かないと全部食べられちゃうわ」

「それは……困る」


 やっと笑った笙明は可愛い澪の白い手を握った。朝餉の匂い漂う部屋には暖かい空気が漂っていた。


 神坂峠の院は春の空気と彼らの笑顔に包まれているのだった。


第八完

第九話「石の社」へ




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