四 鷺娘

笙明しょうめい様……そろそろ休もうよ、俺、疲れた」

「何を言う。まだ先ではないか」


 少年にそう言う彼を龍牙は呆れていた。


「馬に乗っておる笙明様は幸せじゃ……」


 従者の年長の修験僧の龍牙は天狗の弟子の篠とそう言葉をこぼし馬上の大将を見た。このあやかし退治の一行は、東國の怪異を退治しに弥生の東道を歩いていた。

 土香る雪解けの道には蕗の薹が光り、梅に喜ぶ鶯の声に陰陽師の八田笙明は手綱を手に目を細めていた。これを見たしの少年はため息をついた。


「それにしても笙明様。ここは寂しい村ですね。誰もいないし」

「ああ。墓場の方がまだ賑やかだ」

「ここも疫病の仕業でしょうな」


 平安後期。都で起きた災が元となり東西南北へと怪異が散ったため、各地で異変が起きていた。これの鎮圧のため封印能力を持つ神道、仏教、修験者、天狗などのありとあらゆる闇払い達が帝の元に集結し、妖隊あやかしたいを結成したのだった。

 妖隊は各宗派で成る隊であったが、東地方の妖退治の遅れを憂いた皇太后の占いにより陰陽師、修験僧、天狗の弟子という他宗教による異色の編成になっていた。

 それぞれの宗派でも異端児であった三名は今日も妖を求めて春路を旅をしていた。

 疫病で廃村となった若草の広がる春の景色は優しく悲しく、誰も耕すことのない荒れ果てた畑には蝶が無情に飛び交うだけであった。この静けさを進む彼らであったが、やがてしのは、道の先の家から上る煙を指した。


「笙明様!あれ、あそこで休ませてもらいましょうよ」

「……人家とは怪しき事よ」

「よいではないですか。もしも妖ならばわしが斬るまでよ」


 笙明と龍牙の話を聞かず篠は走り出していた。


「俺、先に様子を見に行ってます!」


 篠は小道を駆けて行き、干してある洗濯物を横目にしながら木戸を開き、平家の粗末な家に声をかけた。


「もし。どなたか、いませんか?もしー」

「はい……」


 奥から出てきた娘は白い顔の美しい娘であった。水仕事をしていたようで彼女の手は濡れていた。


「あの。私は旅の者ですが、ここで休ませていただけませんか」


 娘は少し間が空いたが、軽くうなづいた。


「……どうぞ、こちらへ」

「やった!」


 やがて笙明と龍牙が到着した。ひなびた小屋であったが、手入れはされているよう御綺麗な住まいであった。篠の案内で二人は馬を繋ぐと部屋に上がった。


「ここに座っていいそうです」

「すまんな。娘御」

「……失礼仕る」


「いいえ……どうぞ、お茶ですが」


 静々と茶を運ぶ娘を笙明は黙って見ていた。十四、五歳と見られる娘は、それは色が白く美しく、艶やかに光る黒髪をしていた。粗末な着物の村娘であったがどこか品があり三人はその横顔を思わず見ていた。


「皆さんも、この村の病を調べにきたのですか」


 ゆっくりと話す娘の問いに龍牙は答えた。


「まあ。そんなところだ。ところで娘。この家の主人はいかがした。挨拶をしたいのだが」

「……奥の座敷で伏せっています。この村の者はみな、死んでしまいましたので」


 娘の悲しそうな顔を見て龍牙は思わず弔いの数珠を構え、篠も念を一言唱えた。龍牙は黙って茶を飲む笙明を見つつ話を続けた。


「して。何ゆえにそなたはこうしておるのだ?病の家族を看ておるのか」

「そうです。私がいなくなったら家族は死んでいまいます」

「そうか……」


 娘は返事をすると奥の部屋へ行き、包みを取り出しきた。


「旦那様。これはうちで織った反物です。どうか、買っていただけませんか」


 純白の美しい反物を差し出した娘に受け取った龍牙と笙明は目を見開いた。艶やかに光る薄衣い笙明は低い声で尋ねた。


「……なんと美しき織物よ。して、これは何の糸で織ったのだ」

「申せません」

「……」


 反物を手に取り興奮している龍牙と篠であったが、笙明は黙って娘を見ていた。口を結ぶ娘を見た笙明は、娘に代金をやった。


「こんなに良いのですか」

「ああ。しかし、この反物あるだけ買おう」


 笙明は銀をはずむので織物をさらに注文した。ここで娘は奥の部屋に行き、誰かに確認した後、これを了承したのだった。




◇◇◇



「しかし。ここで一人で病人の世話なんて可哀想ですね」

「わしも都に娘を置いてきておるので、気の毒でならないな」

「……」

 夕刻。娘の勧めで泊まることになった三人は、粥を馳走になり寝床の部屋で休んでいた。寝支度をした笙明は二人の会話を耳しながら横笛を磨き春の朧月夜を望んでいた。

「でもさ。笙明様がさっき銀をあげたし、もっと買ってあげればいいもんね」

「あれは見事であったしな。妖よりも喜ばれそうだ」

 笙明はどこか寂しげに呟いた。

「……朧月か……幻であってくれれば良いがな」

 こうして一人物思いにふけっている彼は、二人に早く寝るように言い、自分は先に床に付いた。


 月だけがいる深夜。笙明はそっと刀を持つと奥の部屋に入っていった。そのふすまの奥からは灯りがほんのり溢れていた。


……ギイ、ギイ、ギイ……


 バタンバタンと布を織る音がしていた。彼はそっと襖を開けて中を見た。


……やはり、物の怪か。


 狭い小屋の中。鷺が白い身体を伸ばし、自らの羽を抜き、布を織っていた。



 これに息を飲んだ笙明であったが、よく見ると織っているのは娘が見せた純白の反物であった。これで確信を得た彼は勢い良く戸を開けた。


「でたな。魔物め!」


 彼が刀を抜くと、鷺は大慌てて部屋から飛び出していった。


「待て!おい!待て」


 追う笙明であったが、庭に出た鷺はバタバタと羽ばたき、月夜の空に飛んで行ってしまった。この騒ぎに龍牙と篠も駆けつけた。



「いかがした?なんだ……これは」

「羽がこんなに落ちてる……あ、血だ」

「何?血だと」


 床には白い羽が足場が無いほど散っていた。篠が見つけた羽の根元はうっすらと血が滲んでいた。彼らはこの騒ぎの中、現れない娘を探した。


「お姉さーん!どこですかー」

「……笙明殿!来てください」

「いかがした?これは……」


 奥の座敷の布団の中には、大きな鷺が一羽死んでいた。死後、時間が経ていたようでその身は固く冷たかった。


「この鳥、変だよ。ほとんど羽が抜けてるよ」

「ああ。痛々しいほどだな……歳を取っているようですな笙明殿」

「……娘はどこだ。探すのだ」


 妖隊の三人は朝を待たずに周囲を捜索に出掛けた。


「あ?あそこに白いものが」

「どこに?」

「どけ!」


 白白と夜明けの空の下。篠の声に笙明が草を分けた。その背後に龍牙が立った。


「これは……あの娘ではないか?」

「なんと……」


 小川の水場の草むらで娘は気を失い倒れていた。これを見た笙明は慌てて冷たい身体の娘を抱き上げ家に連れ帰った。





「死なすものか……御免」


 笙明は彼女の濡れた着物を脱がし裸にすると自分が寝ていた布団に入れた。

そして髪を拭く笙明の様子を見た龍牙は指示を出した。


「篠、その囲炉裏に火を入れろ!わしは湯を沸かす。あ。笙明殿、何を」

「これしか無いだろう……」


 笙明は衣服を脱ぎ自ら裸となり、娘の床に入った。そして娘を優しく包んでいた。篠はその間必死に火を起こし、部屋を温めた。


「……冷えておるが……まだ息はあるぞ」

「笙明殿……」


 こうして娘を温める笙明を龍牙は黙って見守っていた。まだ早春の朝は寒かったが、日が昇るにつれ娘の体も暖かくなってきた。

 必死の手当ての中。笙明も昨夜の疲れで眠ってしまい、暖かい部屋に龍牙も篠もうたた寝をしていた。


「……もし。あの」

「ん?起きたか……」


 目を覚ました娘は、裸で自分を抱いている男を見つめていた。それはどこか冷酷な目の男であったが、抱きしめている香りと腕は確かに優しかった。初めて見る父以外の男性は、逞しくそして優しかった。しかし自分も裸であったので途端に恥ずかしくなった。


「こ、これは……あの、私は」


 真っ赤な顔で恥ずかしがっている娘であったが笙明はまっすぐ白い娘を見つめた。


「お前は……覚えてないのか」

「貴方様の事はおぼえています。昨夜、粥を褒めてくださったから」

「……まあ、良い」


 柔らかい彼女を優しく抱くのをやめた彼は、床を出た。そして彼女に背を向けて着物を着た。そして娘にも着物を渡し、袖を通すまで目を覚ました龍牙と篠と後ろを向いていた。


「お前はどこまで覚えているのだ」

「……昨夜、母に相談して、お粥を作って」

「お前の母とは、あの床の鷺か」

「鷺?そ、それは一体」

「来い」


 笙明は娘の手を取り、奥の部屋に入った。


「よいか。お前の母様ははさまはこれか」


 そういって布団をめくった笙明に、娘は驚きの顔を見せた。


「え?これは……では、母はどこに」

「母様はここで寝ていたんだな?そして機織はたおりをしておったんだな」

「はい」


 嘘のない顔に、龍牙は鷺の布団をそっと掛け直した。こんな彼らに娘は話をし出した。娘の父は流行病で亡くなり、母がずっと機織で自分を育ててくれたというものだった。


「村の人は皆死んでしまいましたが、母と私だけは病にならず、ここで暮らしていたんです」

「お前は、織物は」

「しません?母がすると言い張って……あれ?でも」


 思い出しそうに頭を抱える娘に龍牙が自分達は妖退治に来たと話した。


「もしやお前も妖かも知れん」

「私が?いいえ。私はここで暮らしていただけで」

「娘、私の目を見よ……」


 笙明はじっと娘を見た。すると白い娘はだんだんと息が荒くなってきた。

これを見た篠は優しく娘を床に座らせた。そして笙明は静かな声で彼女に問い出した。


「娘よ……お主は何者だ……」

「私は、私は……」


 彼女は床で苦しみ出した。三人の目には彼女の姿が白い鳥に見えてきた。


「……はあ、はあ。苦しい……」


 鋭い目の龍牙が数珠を振るい問いかけた。


「お主は何者だ。言え!」

「私は……娘です……ここの、ここの娘です」


 胸大きく呼吸する苦しそうな娘に篠は可哀想になっていた。そんな娘に笙明は優しく顔を撫で乱れた髪を直していた。


「そうか、お主は、お主の母はあの鷺で、お主の父は人か」

「……知りませぬ、私はここの……娘」

「私が楽にして進ぜよう、二人とも離れておれ」


 そう言うと笙明は息を吐き、両手で印を結び娘をじっと見つめた。


「……真、正、静、奥、中」

「ううう……あああ」

「潔、実、心、封……開!!」


 笙明の呪文に娘の身体は悲鳴と共に一瞬輝いたが、すぐに娘の姿になった。





「どうなったの」

「娘御、どうだ」

「……はあ、はあ。もう、大丈夫です」


 体を起こそうとする娘を笙明は優しく抱き起こした。


「お前は無意識に鷺になっておったのだ。私はそれの封を解いたぞ」

「……はい……旦那様……今はそれがわかります」

「どうだ。苦しくは無いか」


 心配そうな笙明の優しい腕の中で娘はゆっくりと彼を見つめた。


「はい。私の中で静かに血が回っているのを感じます……」

「そうか。それなら良い」


 娘から離れた笙明はやんわりと離れると立ち上がった。


「これからはお前は自分で姿を変えられるであろう。しかし決して人には見せぬように」

「はい」



 

 気を取り直した鷺娘はこれからは一人でこの地にてひっそりと暮らすと彼らに話した。


◇◇◇


 翌朝。妖隊の三人は娘が用意してくれた朝餉を食べながら予定を話し出した。


「お姉さん。でもここで一人だなんて。誰もいない村では寂しいでしょう」

「でも。他に行く所がないもの」

「篠……良いから食べろ。我らは行くぞ」


 笙明はそう切り捨てるように話し食を終えると身支度をし始めた。朝の日が眩しい春の日。篠は思わず笙明の肩を揺すった。


「良いのですか?一人ぼっちにして」

「そうです!笙明殿。聞けば母を亡くしたのは最近だとか」

「見よ。この玉を……」


 笙明は鷺の母の布団にあった石を二人に見せた。


「これは?」

「これは妖の塊だ」


 妖隊は奇怪なる妖を倒した際に妖の塊なるものが出ると聞いていた。しかし話では塊は邪悪なものに包まれていると聞いていた。


「私はこれには何ら力を感じない……恐らく鷺の母はただ人に化けただけだろうな、まるで呪詛を感じないのだ」

「では娘御も魔物ではないという事だな」

「ねえ、笙明様!一緒に連れて行ってあげようよ。せめて他の人がいる村まで」


 支度を進める笙明は出来ぬと篠に諭した。


「本人がそうしたいと言っておるのだ。さあ、行くぞ」

「「……」」


 冷たい笙明であったが娘はひたすら彼らの用意をしていた。



「これ。食べてね」

「いいのかい?おにぎりもらって」

「うん。私だけならそんなに要らないし」


 健気な娘に篠は心揺れていたが、彼女は気にせず彼らに精一杯の食べ物を持たせた。篠がこれを受け取ると娘は笑顔を見せた。


「そうだわ?ここからこの道を進むと川があるけど橋はないのよ。だから小舟で行くか。浅瀬を探して渡るのよ?浅瀬の場所はね……」


 篠に優しく旅の安全を説明する娘は、最後に笙明と龍牙に礼を言って道まで見送りをした。





「道中、お気をつけて」

「娘御、気をしっかりな」

「お姉さん!あの、悪い人に騙されないようにね」

「参るぞ……」


 こうして娘を背にして三人は歩き始めた。


「いいの?本当に」

「ああ……気の良い娘なので騙されないか不安だ」

「……」



「うるさい。歩け」

「でもさ。笙明様。まだこっち見てるよ」

「一人だものな」


 篠と龍牙の皮肉も風の如く。馬上の笙明は道の先を見つめていた。

朝ぼらけの草の道。笙明は黙って前だけを向いていた。




第四話完

第五話『四十九番目』へ














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