第12話 新たなる神威の旅立ち

 ジョンが久住を去ってから、浩子は高校を退学した。


 浩子の心、浩子の意識の中には全てジョンの元に向かうこと以外は何も存在しなかった。


 ジョンが側から居なくなった哀しみも無ければ、早く逢いたいと想う焦りも無く、浩子はジョンの生まれ育った国、アメリカに行く計画を淡々と立てて行った。


 浩子は高校を辞め大分市の英会話教室に通い出した。


 祖母は浩子の亡くなった両親への浩子を想う願いとして大学に進学させたいと考えていたが、「この子が一度決めた事を翻すことはない。」ことを誰よりも知っていた。


 祖母は、管理していた牛舎・厩舎と牧場を飼育していた牛、馬も含めて、隣人に格安で売り払い、約500万円の売却金を浩子に手渡した。


「浩子、私のことは心配しなくて良いからね。

 ただ、神父様にお会いになったら、いつでも帰っておいで…、私はずっとここで待っているからね。」と話すのみであった。


 浩子は半年後、ある程度の英会話をこなせるようになり、18歳の春、一人単身でアメリカ合衆国ワシントン州シアトルへ飛び立った。


 東京国際空港(羽田空港)からシアトル・タコマ国際空港までは9時間を要した。


 予定通りの日時に飛行機はタコマ空港に到着し、浩子は入国手続きと円をドルに換金し、空港出口に向かった。


 浩子の佇まいは、白のセーターに羊皮のジャケットを羽織り、ジーンズを履いており、その白い肌、くっきりした目鼻立ち、そしてブラウンの瞳からして、どこから見ても日本人にはとても見えなかった。


 空港出口のバスターミナルの側に神父服を来た老人が待ち構えていた。


 バーハム神父であった。


 浩子から連絡を受けたバーハム神父は高齢ではあるが浩子と一緒にジョンを探すことを決意した。

 また、それはイエズス会としての指示ではなく、バーハム神父の個人の意思でもあった。


 浩子はバーハム神父の姿を見つけると小走りに近づき、その老体の胸に抱かれた。

 そして、今までの緊張の糸が切れたように咽せるようにほんの少し泣いた…。


 家族の居ないバーハム神父も浩子を自身の孫のように思っていたことから、まずは、浩子が無事にシアトルに着いたことに安堵した。


 バーハム神父は浩子を自家用車の助手席に乗せ、まずは、シアトルの教会へと向かった。


 バーハム神父は今回の旅のため、フォードのピックアップトラックを購入していた。そう、バーハム神父はジョンを探すには当然、アリゾナ州のモニュメント・バレーにも行く必要があり、場合によっては南部にも行かなければならぬと考え、長距離仕様の車を購入していたのだ。


 車中では暫し沈黙の後、浩子がまずは口を開いた。


「バーハム神父様、ありがとうございます。一緒にジョンを探して頂き感謝します。」と流暢な英語でお礼を述べた。


 バーハム神父は浩子の英語力に驚くと同時に、これで片言の日本語を話す必要がないことに内心喜んだ。


「浩子、ジョンは必ずお前を待っているよ。」と優しく答えた。


 浩子は自分が原因でジョンがイエズス会を退会したことをバーハム神父が思っているのではないかと心配していた。


 その様子を察したバーハム神父は、浩子に車の速度と同じようにゆっくりとジョンの想いの物語を語り出した。

 

「ジョンの境遇は浩子も知っているとおり、両親を時代によって抹殺された孤児だ。いや、孤児というのは優しい表現だ。コヨーテの餌になる為、この世に生を受けたような生まれ方だ。

 ジョンは神父になりたくてなったのではない。それしかなかったのだ。教会の孤児院で育ち、奴はいつも私を喜ばせることをしようとしていた。そのことを私は当然、喜んだ…。安易に喜び、過度な期待を抱き、奴の心の深淵に真の光が差し込んでいないことに気づいてやれなかった。

 奴は神を恨んでいたんだんだよ。浩子!、神の使徒になりたいなど、全く持って真心には無かったんだよ。

 ただ、私を喜ばす為、また、それしか道が見えてなかっただけなのだ。

 神の恩恵に授かろうなど全く思ってない者が神父になり、イエス・キリストの模倣者として人々に説教をする。奴にとっては、神父という職業は地獄でもあったと思う…。」と


 浩子はバーハム神父に問うた。


「バーハム神父様は、ジョンが神様を恨んでいることにいつ頃気が付いたのですか?」と


 バーハム神父は、首を振りながら片手で軽くハンドルをトントンと叩き、後悔するように重い口を開いた。


「かなり前から気づいていたよ。奴が物心ついた頃、教会の祭壇室で洗礼を受けさせ、十字架を授け、そして十字の切り方を教えた時だった。

 縦のラインは神との関係、横のラインは人との関係と奴に切り方を教えた。

 しかし、奴は横から切り、次に縦に切る。何度言っても、真顔で同じことを繰り返す。私は奴に聞いた。どうして、教えたとおりにしないのかと。奴は言った。『僕を救ったのは神ではない。貴方です。』と…。

 私は思わず涙した。10歳の子供が既に神を恨んでいることの悲劇、それを犯した人間の愚かさに…。

 奴はあのビュートの巨巌の穴の中で泣きながら、既に神に抗議していたのだ。

 誰も奴の境遇を詳しく教えていなかったのに、奴は知っていた。まあ、今でも白人至上主義はアメリカの問題でもあり、奴の両親の悲劇は決して有名ではないとは言えないからな。誰かが、奴に言わなくても良いことを言ったんであろう。

 しかし、私は嬉しかった。神よりも私を親のように感じ入ってくれるジョンが本当に愛らしかった。

 私が喜び過ぎたのだよ。あの時、改心する何かの工夫をすべきであったと後悔している。

 だから、奴が神父になっても、いつかは、神の前から消える日が来ることは覚悟していたよ。」と


 浩子の目に涙が溢れ出した。


 それを見遣り、バーハム神父は泣くのはまだ早いと言わんばかりに物語った。


「浩子、ジョンはお前と会って変わったんだよ。私が思っていた神を恨み、神に抗議し、神に失望して逃避するのではなく、奴はお前に、浩子に光を見たのだよ。奴は神ではなく、浩子に助けを求めているんだよ。神を信じ、浩子、お前が現れることを、この国の何処かで待っているんだよ。」と


 浩子は涙を拭きもせず、ジョンが最後に言った言葉を発した。


「僕は神よりも浩子を信じる。」と


 バーハム神父は、一瞬、目を閉じ、ハンドルを握り直した。


 そして、浩子にイエス・キリストの言葉を優しく述べた。

 そう、ジョンの覚悟の言葉を…


『愛する者を手放しなさい。

 もし、その人が戻って来なければ、初めから貴方のものではなかったのです。

 もし、戻って来れば、初めから貴方のものだったのです。』と


 浩子はその言葉を聞き、力強く、涙を拭い、前方をはっきりと見据え、心に改めて誓った。


「ジョン、私は必ず貴方の胸の中に戻るから…、待ってて…」と



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