第9話 神の計画への抵抗

 台風が去り、その後はここ久住山もその深い爪痕を痛々しく残像していた。

 木々は折れ曲がり、老木は倒木し、花々は元々無かったように消え去っていた。

 日頃、小鳥が囀り、虫達が短い生命の時を知らしめるように敢えてその存在を現出していた清水のせせらぎの情景は、悪魔の暴雨により深傷を負った山々の流血であるかのように真っ黒い恐怖色の濁流と化していた。


 しかし、これら自然の逞しさは、人類みたいにか弱ではなく、また、自然の中にある物は、人類みたいに人種ごとの不仲はなく、それぞれが元に戻る意思を明確に主張し、24時間、1時間、1分、1秒も怠ける事なく一致団結して回復を志していた。


 1週間もすると、川の水は犠牲となった倒木らに濾過され清水となり、草花は季節どおりの色彩を放ち出し、木々も新芽を出し枝を伸ばそうと身なりを整える。それに合わせて、虫達は土の中から懸命に這い出し、残された天命を大がするよう活発に行動し、その様子を見ていた小鳥達も復活の笛を吹き始める。


 人工的な道路、家屋等、人類の我儘で創造した物だけが、その回復をもたもたと遅らせているだけであり、そもそもの自然は欲張らず、十分な姿を取り戻していた。


 そう、欲張らないことが自然なのである。


 ジョンはそのことをよく承知していた。

 屍のマトリックス(母胎)から生命を授かったこの青年、不要な人種差別、宗教論争の犠牲者から生まれ出たこの青年、孤児院での社会から孤立した世界で青春を送ったこの青年、故郷の面影を見失ったこの青年は…


 ジョンは台風の過ぎた次の日から、教会に通ずるあの風の小径の整備にかかっていたが、ちゃんと、悪魔の風から脱出した吹き返しの風達がジョンの手間を省いてくれた。


「ジョン、ここは俺達が綺麗にするよ。お前にはやる事があるはずだ。」と


 ジョンは風達に、


「わかったよ、此処は君達に任せるよ。僕は僕を必要とする事をするよ。」と礼を告げ、浩子の家に歩いて向かった。


 浩子の家では祖母が朝からニュースを凝視し、諦めたように呟いていた。


「県道も里道も復旧までにかなり掛かるって。」


「バス会社も運休だとさ」


「軽トラも無理みたいね」


「浩子、学校に連絡しておくね」


 浩子の家から県道に通じる里道は落石の危険があり、加えて、県道も一部土砂崩れによりバスはおろか車での通行は不可能な状態であった。


「うん!おばあちゃん、大丈夫!私、歩いて行くから!」


「浩子!危ないよ!また、土砂崩れに巻き込まれたら大変だよ!」


「うん…」


 その時、玄関のチャイムが鳴り、返事をする間もなくドアが開き、ジョンが浩子を呼んだ。


「おはよう!浩子!学校に連れて行くよ!」と


 浩子と祖母は顔を見合わせ、そして、慌てて玄関に出て行くと、カウボーイ姿のジョンが立っていた。


「おばあちゃん、僕が浩子を当分、学校に送り迎えします。」


「神父様、でも…、道路が通れませんから…、当分、浩子は学校を休ませようかと…」


「おばあちゃん、僕に馬を貸してください。」


「えっ、神父様、馬で行くのですか?」


「そうです。馬なら大丈夫です。車と違い、馬は危険な箇所は通りませんからね。」


 浩子と祖母は、また、顔を見合わせ、今度はお互い微笑んだ。


 ジョンは厩舎に行き、栗毛の馬に鞍を着け、ハミを噛ませ、手綱を引き、鎧に片足をかけ跨ると、家の玄関に馬を誘導した。


 そして、浩子に向かって、


「浩子、忘れ物はないかい?」と笑顔で言った。


 浩子は慌てて、「神父様、ちょっと待ってください。」と言い、自室に戻り、既に準備されている鞄を確認するふりをして、姿見を鏡でチェックし、今からデートに行く少女のように髪の毛を整えた。


 そして、玄関に駆け下り、「おばあちゃん、行ってきます~」と元気よく叫びながら、ジョンの差し出した手を掴み、宙に浮くように馬の背に跨った。


 浩子がジョンの背中にしがみつくと、ジョンは祖母を見遣り、帽子に手をやり、出発の合図を送った。


 馬は土砂崩れの危険な県道は通らず、里道を通り、自然の回復した森を抜けて、竹田市の学校を目指した。


 森の中は台風により枝葉が散乱していたが、馬はそれが蹄のクッションになり気持ちが良いのか、軽快に闊歩して行った。


 森を抜けて、被害のなかった住宅地の里道に出ると、家の前を掃除している人々が、映画のロケかテレビの番組の企画かと思い、馬に跨る2人に笑顔で手を振った。


 浩子は少し恥ずかしかったが、それよりも喜び、こうしてジョンの背中に接する喜びの方が遥かに大きかった。


 ジョンは正にカウボーイの如く、手を振る人々に帽子に手をやり頷き挨拶をした。


 学校にはいつも通りの時間に到着した。


 校門には生徒が疎らに入門していたが、馬の蹄の音に驚き、皆が振り返った。


 校門の前で、ジョンが馬から飛び降り、そして、浩子を抱き抱えるようにし、馬から降ろした。


「神父様、ありがとうございます。」と浩子が礼を言うと、


「浩子、神父様はやめてくれ!ジョンで頼むよ!」と笑いながら言い、馬に跨り、浩子の頭を撫で、手を振りながら帰って行った。


 それから1週間、この栗毛の馬の送迎は続いたことから、当然、町や村、学校の話題となった。


 浩子も次第に喜びよりも、ジョンのことが心配になり、ある日、帰り道の森の中で背中越しにジョンに声を掛けた。


「神父様、あんまり目立っちゃうと、神父様の立場が…、私、それが心配になって…」と


 ジョンは馬を例の樫木の前に向かわせ、そこで、馬を降り、浩子を降ろした。


 2人は樫木の前の根枝に腰掛けた。


 そして、ジョンは夕陽の木漏れ日が差し込む方角を見つめ、こう言った。


「自然なんだよ。馬でしか行けない。だから馬に乗って行っている。馬の管理者である僕と浩子が。不自然ではないんだよ。」と


「でも…」と浩子が言いかけるのを遮るかのようにジョンが話を続けた。


「この自然の行為。そして、愛する人を危険から救うべき行為。この事を不自然と言う輩は必ず現れる。それは、僕が神父だからだ。

 浩子はそれが言いたいんだろ?」と


 浩子は下を向き頷いた。


 それを見てジョンが語気を強め語り出した。


「神父は恋をしてはいけない。神父は童貞でなければいけない。神父は結婚してはいけない。そんな事、誰が決めたんだ。主ではない。人間が勝手に決めた事だ。それはイエスではない。愚かな宗教組織が決めた事だ。」と


 さらにジョンは言った。


「神父がこの掟を破ると異端者扱いにされる。世俗から孤立される。

 異端者?

 何が本当の異端者なんだ。

 ヒトラーやスターリンは政治、権力、戦争のため教会を焼き払った。正に自身が神の如く。何千万人の人々が死んでいった。あの戦争で…

 ユダヤ人は全滅の危機に瀕した、ジプシーやスラブ人の一部も異邦人として迫害された。

 そして、独裁者の迫害が終焉しても、肌の色の違いで異端者扱いされ、僕の父親は同じキリスト教徒からリンチにより惨殺された。

 この不自然な行為を神は許したんだ。」と


 浩子はジョンが何を物語たいのかインスピレーションで感じ取っていた。


「ジョンは私が神様を憎んでいることを感じている」と


 そう、ジョンはあの台風の夜、浩子が神を憎んだことを感じ取っていた。

 それは、ジョンが前々から感じていたことと同じであった。


「神は何故、僕を救ったのか。あのビュートの谷底の屍の下から…。

 神は何故、僕を神父により救ったのか、神は何故、僕が神父になることを許したのか。

 僕は自然の中で生まれ、自然の中で生きていく。

 異端者ではなく、聖職者として…

 僕の愛する人のために自然に行うことが異端とするならばすればよい。

 それが神、あなたの、偉大なる摂理、計画、私の将来であるならば、そうなさるがよい。

 あなたはご存知のはずだ。異端者もあなたが創造されたことを。

 異端者が決して悪ではないことを。

 私はあなたに問いたい。

 愛する者を救うこと、愛することにより平和を創ること、それが許されないのであれば…

 何故、過去の惨劇をお許しになったのか…

 何故、幸運と不運をお造りになったのか…

 私はそれをお聞きするため、聖職者になったんです。

 あなたに直接お聞きするために…」


 ジョンの心の深淵には聞こえてこない声が叫び続けていた。

 それは愛する者を理由なくして失い、不運だけを与えられてこの世に生まれた人々の声…


 その屍の下から生まれたジョンは神に問える立場にいるのだ、それら声なき人々の代表として…

 


 

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