奇蹟の列車

今度こそ

汚れてしまった悲しみに

「今度こそ……今度こそ本当に……やってやるんだ」

 あの後一目散に家に逃げ帰った僕はそのまま父親の書斎に忍び込んであるものを拝借し、幾ばくかの小銭を掴んで再び家を駆けだした。

 僕が手に持ったもの、それはある老舗メーカーのライター用オイルとそのライター。そして今、僕は誰にも見つかることがないであろう場所に向かっている。


 駆け込むように乗り込んだ電車に揺られて数分、列車が次第に減速し始め、スピーカーからは停車駅を知らせるアナウンスが流れる。

「まもなく~州高すたか~、州高です。お降りのお客様はお忘れ物の無いようにお気を付けください~」

 聞きなれた無機質な声が僕をとうとうそこまで至らしめてしまったのだと確信させる。

 そして電車は駅に停車し、僕は降車する。全ては『あの場所』に向かうために……



 駅舎から出て、かつて祖母の家があった道を通る。もともとあった場所には新しく家が建っていた。そしてその通りの奥、山の中腹にある人者に向かって伸びる階段を上り、途中から側方に伸びる雑草がそこだけふっと消えている獣道のような道に足を踏み入れる。周りに生い茂った木には時折何か黒ずんだ紙のような物や藁の束が貼り付けられ打ち付けられ、地面にはいつのかもわからないコーラの瓶やかなり昔の僕の年齢では買うことができないような本が捨てられていた。

 ただひたすらに生い茂る草を時折かき分けながら獣道を進んでいると、いつの間にか空は完全に闇になっていた。ポケットからスマホを取り出し、ライトを点ける。制服の胸ポケットにスマホを入れて、両手で草をかき分けるようにして『あの場所』へと向かうためどんどんどんどんと山頂に向けて進んでいく。


――そして、視界が開けた。


「……ここだ。探していたのはここだ……」

 眼下を見下ろすと町の光が闇の中で美しいコントラストを描き、横を見ると山頂の中心であろう場所に大木が一本立っている。まるで周りの木々がこの木を避けているかのようにぽつんと一つ。

「ひさしぶりだな……こんなところに来るのも」


 ここは僕の思い出の場所であり、不思議な場所。小学校低学年のころ、僕は虫を捕りにこの山の中に入った。神社の境内の中で虫を取るように言われ、なぜかと聞くと「帰って来られなくなるから」と言われ、境内の中だけで虫を取ると約束して、僕は両親や祖父母に送り出された。

 初めはコクワガタや小さなカブトムシなどいろいろと境内の中だけで捕れたのだが、次第に小さなものばかりでは満足しなくなり、約束を破って山の中へ入った。

 そして山の中へ入り込んだ時、子供ながらにすべてを察してしまった。「迷ってしまった」と。行けども回れども僕が歩いてきた道はどこかさへわからず、右往左往する僕を余所に日は暮れ、空には月が上り始めていた。道を探して歩くうちに山頂にたどり着いていた僕はその大きな木にもたれかかって目を閉じた。

 子供ながらに死を確信した。そして覚悟した。だが、『死』の瞬間は訪れることはなかった。衰弱し切って蹲る僕の頭に誰かが手を置き

「こんなところで寝ていたら駄目だ」

 そう言う。

 なぜかすごく安心する声だった。

「おじさんが下まで連れて行ってあげるから、私の背中に乗りなさい」

 そういう彼に僕は従い、僕は彼に背負われて下山した。


 ここまでは普通の助けてもらったという話だけだ。そして、ここからが不思議だと思う理由。

 第一に、彼の姿形が思い出せない。唯一覚えているのは声だけ。山奥に夜にいるのもおかしい。もしかすると夜景を眺めに来ただけだったのかもしれないが。そして極めつけが彼の消息だ。下山し、神社につながる階段の最下段に僕を座らせ、

「もう下手に山の奥に来ちゃだめだぞ」

 と言って僕の頭を軽く撫でてから彼は階段を昇って行った。そして必死に捜索する両親に発見され、約束を破ったことを必死に詫びてからその男のことを話した。もちろん、階段を昇って行ったことも。

 両親は始めあの神社の神主かと思い祖母に聞いたそうなのだが、そこには神主などの神職系の人間はいない無人の神社だったそうだ。


 もしかするとあの男は山の神が人の姿を借りて僕を助けに来てくれたのかもしれない。このような僕の体験からこの山には何か神聖なものがあるのかもしれない。だから僕は今日ここに来た。ここなら僕のひねくれた魂も浄化して真っ当な人間に生まれ変わらせてくれるかもしれないとと、そう願って。


 父から拝借したライターオイルの缶を開け、一缶、二缶と頭から肩にかけて満遍なくかかるように被り、最後に残った一缶は制服の腹の部分に掛けた。

「さあ、これでもうこんな世に縛られるのも終わりさ……」

 そう呟いてライターの着火部を押し込もうとした途端、どこからともなく駆けてきた誰かにライターを持った腕を掴み、そのまま軽々と上手投げをお見舞いされ、

「君っ! 何をしているんだ!」

 そう怒声を浴びせられる。男だった。

「死のうとしてたんですよ。いいところだったのに……」

 そう自嘲気味に言葉を放った時、誰かさえわからない男に強く頬を叩かれた。痛みに慣れた僕でさえ痛覚を感じるようなほどの強さで。

「……畜生! 何しやがるっ!」

 勢いよく腕を振り上げ、その男めがけて下ろそうとする。が、ふと腕が止まった。

 胸ポケットに入れていたスマホのライトが男の顔を照らす。

「兵……藤……さん……?」

 予想だにしていなかった人物に僕は言葉を失った。

  

 

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