業火の街


 フィアラ大陸の中央都市ギドルハット。〈ヴァンパイア〉の王ルドルフ・シャングラドが統治するこの都市は大陸交易の中心地であり、多様な種族が活気のある生活を送っている。

 黒の衣に身を包まれたルドルフ・シャングラドは、長い石畳の地下道を闊歩していた。

 四聖剣の一振り‘’不死のエメリヒ‘’が建てたと言われる巨大な城には、様々な抜け道が存在する。その内の一つであるこの地下道は、都市の外れにある古い宮殿に繋がっていた。

 現在、その宮殿にはフィアラ大陸中に散らばる、ルーア連邦共和国各種族の代表たちが集まっていた。

 連邦会議が開かれていたのである。

 ルドルフは地下道の階段を上がった。天井を覆う木板を押し上げると、かつての教会跡に出た。既に天井の一部は崩壊しており、眩い陽光が差し込んでいる。

 ルドルフは、うっと目を覆った。五感が異常に優れている〈ヴァンパイア〉は、陽光が苦手だったのだ。

 ここも直さねばいかんな。

 ルドルフは黒いマントでさっと頭を覆うと、丘の上の宮殿に向かってのんびり歩いた。

「遅いぞ! ルドルフ!」

 宮殿のホールには既に代表者九名が集まっていた。

 赤い髪を伸ばした〈オーガ〉の軍隊長エンシスハイム・ガゼル・ドラゴンは、盛り上がった肩を怒らせて低い声で怒鳴った。

「申し訳ない、城からここまで遠かったもので」

「貴様が一番近いわ!」

「まあまあ、その辺にしましょうエンシスハイム殿。そろそろ会議を始めたい」

 白い髭を蓄えた〈エルフ〉の長ヴァーチャス・クラットが立ち上がった。

 ルドルフはテーブルの端に静かに腰掛ける、色欲の魔女アンナ・ジャコフスカヤに一礼すると、その隣に腰掛けた。

「ん? ちょっと待て〈ゴブリン〉が来ておらぬではないか?」

 ルドルフはテーブルを見渡した。〈ゴブリン〉の狡猾そうな緑の顔が見当たらない。

「あのアホどもは、来んぞ」

「何だと?」

「文句があるなら貴様が引きずってでも連れて来い、ルドルフ・シャングラド」

 ルドルフはエンシスハイムをひと睨みすると、ふぅっと息を吐く。

 全く、どれも此れも信用ならん。

「では……オホン! 先ずはご多忙の中御集まり戴いた皆様へ、感謝の意を申し上げたいと思います。……えー、本日は外の大陸で起こっている混乱と、先日の強欲の魔女のフィアラ大陸への侵入について……」

 〈エルフ〉の長ヴァーチャス・クラットは勿体ぶった口調で話し始めた。

 ルドルフはやれやれと高い背もたれに体を預ける。そして、アンナに欲情を込めた視線を送った。

「強欲に襲われたと聞いて心配したが、ご無事のようで何よりだ。……なぁ、アンナ、これを機にどうだ? あんな大陸の外れのちっぽけな城じゃあ、この先も不安であろう。私の城へ来い、不自由はさせんぞ」

 ルドルフは赤黒い瞳で、アンナの豊満な胸元から人形のように整った顔を舐めるように見回すと、クックと笑った。だが、アンナはまるでルドルフの存在に気づいて無いかのように俯いたままである。

 おやっと、ルドルフは首を傾げた。

 普段のアンナならば、虫けらを見るような目でルドルフを見返した後、悪態の三つ四つ放って来る筈だった。

 もしや、本当に強欲の魔女に酷い目に遭わされたのでは……?

 ルドルフは一挙にアンナの身が心配になり「おい、大丈夫か?」とアンナの顔を覗き込んだ。そして、ギョッとする。

 アンナの瞳が僅かにサファイアピンクに揺らめいていたのだ。

 ああ、オリビアは大丈夫かしら……?

 アンナは、城の部屋に一人残された怠惰の魔女オリビア・ミラーの心配をしていた。

 私が側に付いていてあげなきゃいけないのに……。オリビアは呪いのせいで、身の回りの事は何も出来ないんだから。この前だって……。

 アンナは、オリビアがドレスを逆向きに着たまま生活をしていた時の事を思い出して、クスリと笑った。

 オリビアは私が居なきゃ生活出来ない。でも、頼りになる事もある。強欲から私を守ってくれた時は本当にカッコよかったな……。

「アンナ・ジャコフスカヤ!」

 ルドルフに強く肩を揺すられたアンナは、ハッと顔を上げた。テーブルに座る代表者たちの視線がアンナに集まっている。

「あら、どうか致しました?」

 アンナは長い指を細い顎に滑らせながら首を傾げた。その瞳を見た彼らは、ゾッとして視線を逸らした。

 ああ、オリビア……。あなたは今、何をしているの? 彼女の事だ、ぼーっと窓から外でも眺めているのかしら?

「ア、アンナ、大丈夫なのか……?」

「どうしたのよ、ルドルフ・シャングラド? 私のお顔に何かついていますの?」

「い、いや……」

「変な男。ねぇ、私の事は良いから、早く会議を進めてくださるかしら?」

 アンナはヴァーチャスに微笑んだ。ヴァーチャスは慌てて前に向き直ると、会議を進行させる。

 はぁ……こんな会議のせいだ。こんなことで、私たちの大切な時間が減ってしまうなんて。

 ……そうよ、大切な時間なの。何故なら、オリビアは私のように長くは生きられない……。

 ああ、そうだ、オリビアは長くは生きられない。もしオリビアが死んでしまったら、私は生きていけない……。

「いやよ!」

 アンナは立ち上がった。

「お、落ち着くんだ、アンナ……」

 ルドルフは必死にアンナを宥めようとした。〈オーガ〉の軍隊長エンシスハイムは、いつでも色欲の魔女を殺せるように、体の力を極限まで抜いて構える。

 アンナは立ち上がったまま白金の髪を掻きむしった。

 いや、オリビア、私を置いていかないで……。

 ああ、どうすればいいの、アノン様。オリビアを死なせたくないよ……。絶対に二人で幸せに生きるの……。

 そうだ、オリビアの寿命を延ばせれば……?

 そうよ、アリスかエメリヒなら、何とかしてくれるかも知れないわ! それから、二人だけの国を作るのよ!

 そうすれば、もう私だけが置いていかれる事もなくなるわ……!

 アンナは落ち着きを取り戻すと、そっと顔を上げた。その瞳は濃いサファイアピンクに揺れている。

 これは不味いぞ……。至急、エメリヒ様に知らせなければ……。

 ルドルフは紫色の唇をキュッと結んだ。

 

 クライン・アンベルクは、アリシアの部屋の中を歩き回っていた。

「遅い……!」

 アリシアとクラウディウスが、アリスという〈エルフ〉の少女と共に憤怒の魔女の元へ向かってから、既に半日近くが経っていた。

「遅すぎる……! もしや、何かあったのでは?」

 クラインは、愛弟子だった二人の身に何かあったのでは、と不安になる。

「大丈夫ですよ、クライン様。アリシアにはクラウディウス様が付いています。万が一もございませんよ」

「いや、クラウディウスは自分の力を過信するところがある。それゆえに無茶をする事も……。クッ、やはり私が付いて行くべきだった!」

「クライン様、落ち着……」

 突然、二人の中指につけた指輪が真っ赤に輝き始めた。その指輪は、遠距離で連絡を取り合うための魔水晶であり、水晶同士が空間魔法で繋がっている。赤は警告の色だった。

(強欲の魔女 北東 ハース)

 簡単なメッセージが指輪を通して頭に流れ込んだ。

「強欲だと!?」

 二人は顔を見合わせた。


 焼けた街の上空に〈ヒト〉が集まっている。彼らは、ハースの周辺都市に住む上級魔術師だった。

「おお、救援とやらでしょうか?」

 マーク・ロジャーは両手を上に向けた。上級魔術師たちの動きがぴたりと止まると、一斉に破裂する。血が雨となって、地上で燃え盛る炎に降り注いだ。

 マークは嬉しそうに頷いた。

 〈ドワーフ〉どもに比べれば〈ヒト〉は柔らかくて殺し易い。

 業火に揺れる街は沈黙している。もはや生き残りは居ないように思えた。

 マークは、そろそろ次の街に移ろうかと考えた。だが、上空には虫のように次々と魔術師達が集まってきている。

 複数の水の槍がマークに向かって飛んできた。渦巻く槍はマークの手前で霧散して蒸発していく。

「私がこの街の市民だったらどうするおつもりですか?」

マークは地上から此方を狙う数名の魔術師に首を傾げた。

 魔術師たちは怒りの形相でマークに杖を向けている。火の渦が道を焦がし、陽炎が彼らを揺らした。

「黙れ! 強欲の悪魔め!」

 魔術師たちは一斉に水撃魔法を唱えた。巨大な水流の渦がマークを狙う。

 馬鹿ですか、コイツら。

 マークは圧縮魔法で魔術師たちを潰した。崩れた水流が彼らの肉塊に降り注ぎ、血を洗い流す。

 彼らが〈ヒト〉の最高戦力であるというのならば、この場で全員殺しておくべきか。

 マークは蜘蛛の巣にかかる羽虫をむしゃぶる様に、次々と魔術師を殺していった。

 おや……?

 マークは遠くの空を見上げた。何やら巨大な赤い鳥がこちらに飛んでくる。

 圧縮魔法では遠いため、マークは巨大な黒雲を展開して大雷撃魔法を発動した。黄金色に輝く閃光が、宙を切り裂いて赤い鳥を貫く。だが、巨大な鳥は雷撃など意に介さないように速度を緩めず、燃え盛る街の上空に飛来した。

 ドラゴンですか。

 マークは上空を見上げながら、ほうっと息を吐いた。

 ピジョンブラッドの鮮やかな赤い鱗が青空で煌めいた。鋭い爪と牙に揺れる炎が反射する。翼は街を覆うほどに広く、長い尾を振ると、風圧で燃え盛る建物が崩れ去った。

「ちょっとちょっとちょっとぉ! ちょっとあんた、痛いじゃあないか! 紳士ってのはレディーを大切に扱うもんじゃあないのかい?」

 最上級魔術師ジェニファロッド・リストラックは、赤く煌めくドラゴンの背で大声を上げた。

「……また、あなたですか。ちゃんと清潔な服は持って来たのでしょうね?」

 眉を顰めたマークは両手をドラゴンに向ける。放たれる大爆撃魔法。だが、巨大なドラゴンの鱗には傷一つ付かなかった。

 全く面倒くさい、とマークは腕を組んだ。すると、ドラゴンの上から乾いた上着とズボンが降ってくる。

 洒落は通じるようですねぇ、マダム。

 マークは汚れた服を脱ぐと、乾いた上下を身につけた。

 ジェニファロッドはドラゴンの鱗に捕まって、食い入るようにその様子を眺めた。

「あらあらあらぁ? 似合ってるわよぉ、坊や」

「感謝致します、マダム」

 マークは微笑むと、身を乗り出すジェニファロッドの頭を圧縮魔法で潰した。そして、ドラゴンには敵うまいと転移魔法を発動する。

「ひどいじゃあないかい」

 転移魔法で飛ぶ刹那、マークは自分の腹から飛び出る手を見た。

「なっ……!?」

「あたいは、坊やの欲望の対象にはならないってかい?」

 ジェニファロッドは電撃魔法を唱える。だが、マークの方が一歩早かった。爆撃魔法で吹き飛ぶ二人。さっと体制を立て直したマークは、腹の傷に構わず転がる老婆を圧縮魔法で潰した。

 上空でドラゴンが低く唸る。

「……っゴボッ……。ひどいじゃないですか、せっかくの服が台無しだ」

「あたいは赤が好きでねぇ」

 真後ろから声がした。マークは唖然として振り返る。ジェニファロッドは寂しそうな表情で、大衝撃魔法の準備をしていた。上空には魔術師達が集まって来ている。

「ごめんよ、坊や」

「……はは」

 マークは最後の力を振り絞って閃光魔法と、幾つもの爆撃を周囲に放った。血の吹き出る腹を治療しながら、ヨロヨロと火の海を走る。

「見苦しく足掻くな、愚かな魔女め」

 上空から大地を揺るがす低い轟き。ドラゴンの業火の息がマークを包んだ。

 一人では限界がありますね……。

 マークは薄れゆく意識の中で、微かに、誰かが自分の体を支えるのを感じた。

 

 

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