新学期2 針元鉄司(はりもとてつじ)

 駿が角を曲がると、ともと不良たちの姿はすでに見えなくなっていた。


 駿は入り組んだ路地裏を歩き回ったが、古い住宅街のみちはあちこちに枝分かれしている。連中がどちらの道を進んだのか見当もつかなかった。


 ――式鬼シキを使うか。


 使に彼らを探させるというアイデアが駿の頭をよぎったとき、かえって駿ははて、と自分で首をひねって思案する。


 あの廃村で手負いのを追い立てるのに使っていた式鬼シキだが、単なる行方不明者、しかも顔もよく覚えていない人間の捜索に彼らを使えるだろうか。


 曖昧な情報で捜索をさせるのは困難だ。それに見つけたところで……全員まとめて凶暴な式鬼シキ喉笛のどぶえを食い千切ちぎぎられている図しか想像できなかった駿は、結局自分の足で彼らを探すことにした。



 ***



 探し回るうち、駿は廃墟となった小さな町工場の敷地に出た。人の気配。錆とかすかな血の匂い。駿は目を細めると、建屋の中にそっと入りこんだ。


 傾いた陽の光が、破れた窓から差し込んでいる。機械の類は全て撤去され、床に浮いた大小の四角い錆が残るのみだ。産廃業者にすら回収されなかった、錆だらけの用途不明なガラクタが辺りに散乱している。


 がらんとした空間の中央に、駿と同じ学生服姿の背中があった。


 大柄だ。長身の駿より僅かに背が低く、身体が鋭く引き締まっている。広い肩幅が、高校生離れした分厚い骨格を感じさせた。細く固く張り詰めた筋肉の筋が、肩から頸部に向かって纏わりつき、日焼けした坊主頭を支えている。


 坊主頭の周りには、何人もの男たちがうめき声をあげて地面に這いつくばっていた。駿と同じ学生服の者もいれば、タンクトップ姿で両腕に派手な入れ墨を施した、な連中もいる。


 坊主頭が腕を振って、自分の拳に付いた血と泥を払った。取り囲んでいた連中が、そんな坊主頭のちょっとした動作にすらビクリと身体を震わせ、後退あとずさる。どうやら這いつくばっているちんぴら達は、この坊主頭に叩きのめされたようだった。


 坊主頭を囲んでいる連中の中に、尻餅をつくようにしゃがみ込んだともと因縁男……宇田野の姿を見つけた駿は、わずかに目を細めた。周りで転がっている奴らも宇田野の仲間だろうか。


 ともは顔面を殴打されたらしく、青く腫れた顔を自分の手で押さえている。鼻血だろうか、押さえた指の間から真っ赤な血がぽたぽたと零れ落ちて、制服のシャツにまだらの染みを作っていた。


「ん……」


 駿の気配に気づいた坊主頭が首を捻って、駿を横目に見る。日に焼けた精悍な横顔が獰猛に歪んでいた。


「てめえも、コイツの仲間か?」


 容貌にふさわしい、ざらりとした野太い声が、駿に降りかかる。応えようとした駿をさえぎって、宇田野がひっくり返ったような甲高い声で叫んだ。


「よ、余所見してんじゃねえぞ、針元はりもとッ!」

「……」


 宇田野のを完全に無視して、坊主頭……針元はりもとと呼ばれた男は駿に向き直り、値踏みするように駿の頭からつま先までをじろじろと睨みつける。駿はあいかわらずぼんやりとした顔のまま針元に近づくと、ともを指さしながら尋ねた。


かれは、君がやったのか?」

「あぁ?」


 針元はちらりと伍に視線を投げると、ぶっきらぼうに「知らねえよ」と駿に返した。


「おれがぶちのめしたのは、そこでノビてる連中だけだ。おれの昼寝を邪魔しやがったからな」

「昼寝?もうずいぶん過ぎてるけど」

「うるせえよ。お前こそおれの質問に答えんかい、コラ」

「彼らの仲間じゃないよ……」


(……ッ、ざけんなよ……!)


 包囲網を完全に無視して会話を続ける二人。歯噛みしてそれを睨みつけていた宇田野は、足元に転がる錆びた鉄パイプを拾い上げる。止めようとした取り巻きの一人を押しのけ、宇田野は駿に襲い掛かった。


「オラァッ!」


 駿の頭を狙って、鉄パイプを振り上げる。次の瞬間、駿と針元の姿は宇田野の視界から消えていた。


「は?」


 宇田野が気付いた時には、自身の視界いっぱいに駿の指先が迫っていた。駿が放った手刀が、宇田野の眼球の寸前で止まっている。


「は……は、はッはッひ」


 鉄パイプを振り上げたまま、宇田野は呼吸もままならず硬直する。一方の駿は、小首を傾げて自分の針元の顔を眺めていた。


「……何やってんだ、てめぇ」


 先ほどと同じ、イラついた声。だが針元が纏う雰囲気は、さらに剣呑さを増している。その手は、駿が宇田野の顔面に向かって放った手刀、その手首をがっちりと掴んでいた。


「本気でコイツのつもりだったろ、今」


 ――そろりと、駿が笑った。


 針元は警戒をあらわに唇をめくりあげた。(コイツは今、本当に笑ったのか?)針元にはまるで、突然駿の口が耳のあたりまで一気に裂けたように見えた。二人の間にひりついた緊張が走る。宇田野が耐えかねたように「ひっ」とか細い悲鳴を上げ、凶器を放り出してへたり込む。それを合図に、二人の攻防が始まった。


 針元が駿をねじ伏せようと、駿の手首を掴んだ手にぐん、と力を籠める。同時に駿が鉄司に掴まれた手首を鋭く反転させ、針元の手首を掴み返す。


「……シッ!」


 針元が、鋭い息吹とともにつま先を繰り出した。三日月みかづき蹴り。相手の体幹を足刀で叩き、臓腑ぞうふ衝撃インパクトを与えて昏倒させる技だ。


 先程のちんぴら相手なら即病院送りの、本気の一撃。だが駿の鳩尾みぞおちに激突した針元の蹴りはガツン、と硬く鍛えられた腹筋を叩く感覚を伝えてくるのみだった。


「!?」


 針元の視界が回転する。駿が掴み返した針元の手首を捻って投げ飛ばしたのだ。地面に叩きつけられる寸前、受け身を取った針元は身体を反転させ、駿と距離を取った。


 針元が再び重心を落とし、攻撃態勢に入った。獰猛な表情とは裏腹に、動きはむしろ先程よりずっと洗練されている。ガラクタの散らばる地面を滑るように移動する運足ステップワークは、武道を修めた者のそれだ。


 対する駿は両腕をだらりと無防備に下げ、わずかに首を傾げたまま、針元の所作を興味深そうに眺めているのみである。


 再び、二人のが接近する。ぱ、と駿がかすかに口を開き不気味に微笑みを深め、逆に針元は研ぎ澄まされた無表情となった。互いの瞳孔が細くすぼまり、視線が交錯する。そして、


「……ちょーっと待った待った、待てって!」


 いつの間にか両方の鼻の穴にを詰め込んだ姿で、ともが喚きながら二人の間に転がり込んだ。


駿こいつはおれの友達だよ!おれが絡まれてるのを見て、助けに来てくれたんだよ!……たぶん」


「どきやがれ!」


 針元が吠える。並の人間ならたちまち委縮する、空気が震えるほどの迫力。だがともは全く臆することがない。


「ああもう、血の気多すぎんだろ!見ろよ、周りの連中みんな逃げちまったぞ」


 ともの言う通り、いつの間にか周囲のちんぴら達は建屋から逃げ出していた。腰を抜かした宇田野が、仲間に肩を担がれ引き摺られるように逃げ去ったの最後に、建物の中は駿たち三人だけとなっていた。


「……とも、大丈夫?」


 先に緊張を解いたのは駿だった。


「当たり前よ!この位どうってことないぜ」


 伍が胸を張って笑う。勢いで鼻に詰めたちり紙が両方ともポーンと抜け飛び、片方の鼻の穴からつう、と鼻血が垂れた。「やべっ」と言って慌てるとも。あまりの道化ぶりに毒気を抜かれたのか、針元も構えを解いていた。


「……チッ」


 針元が駿たちに背中を向けた。ともが、去っていく針元の背中に向かって声を掛けた。


、ありがとな!今度ラーメン奢るからさ!」

「……フン」


 鼻を鳴らすと、今度こそ針元は建屋から出て行き、姿を消した。駿は首を傾げる。


「昼寝してたって言ってたけど」

「こんなトコで?んなわけない」


 ともが肩をすくめた。


「あいつ、おれがアイツらからボコられてるの見て駆けつけてくれたんだよ。たぶんな」

「そっか……」


 ともの推測が正しいなら、駿がやろうとしたことを針元が肩代わりしたことになる。


「じゃあ、おれもお礼を言わないといけなかったかな……ともを助けてくれてありがとうって」


 それどころか、危うく危害を加えるところだった。思わずとものことを一瞬忘れてしまうほどに、針元の一撃は強烈だった。


「ま、話す機会ならいくらでもあるさ」

「同じ制服だったね」

「ああ、駿は知らないんだよな。あいつは針元……針元鉄司はりもとてつじ。ほんとうなら駿と同じ2年生だよ。それとさ」


 ともは再びにっと笑った。


「駿こそ、来てくれてありがとな」

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