第3話 探索者の憂鬱

 十年前、光夜がまだ気楽な大学生だったとき。

 休日の午後に、空いている手頃なランチの店を探してスクランブル交差点へと、特に何も考えずに踏み込んだ。

 相変わらず人が多いな、ぐらいは思ったのかもしれない。

 だが、日常のひとコマをいちいち覚えている人間は少ないだろう。


 だから、覚えているはずがないのだ。

 楽しげに誰かに手を振りながら自分の横を駆け抜けようとした、小学生低学年ぐらいの少女のことなど。

 なのに、光夜の悪夢には、その瞬間の周囲の光景が、切り取られた絵のようにくっきりと再現されてしまう。

 休日の平穏な午後。

 誰もが何事もなく続くと信じていた日常が崩れ去った瞬間の、胸をかきむしりたくなるような悲しい情景が。


「今日は、渋谷駅直結の複合型高層施設の探索だ」


 ボソリとそう言うと、武器以外をフル装備した状態で電車に乗り込む。

 今となってはフル装備の探索者など珍しくもないので、周囲の人はチラリと光夜達のほうを見たきり、気にも留めず自分の世界へと戻った。

 十年前のダンジョン発生から三年ぐらいは、誰もが外出を控え、人が多い空間を見つけると、顔を青くして逃げ去ったものだ。


 たった十年、いや、七年ほどで、人はダンジョンに慣れた。

 ダンジョンの存在はもはや日常に組み込まれてしまったのだ。

 光夜はそれが嫌だった。

 ダンジョンは、断じて日常の一部などではない。

 あれは、この世界を侵食する異物・・なのだ。


 しかし、切り離すことが出来ない以上、受け入れるしかないのもまた現実だった。


「光夜、駅チカにさ、武装したまま入れるカフェが出来たっぽいぜ」

「……そうか」

「……コスプレカフェ?」


 真逆の謎情報に、光夜はそっけなく答えるだけだったが、花鶏あとり辛辣しんらつな感想を述べた。

 確かに、剣を背負った甲冑のような姿の人間が集っていれば、コスプレみたいに見えるだろう。

 そういう一種異様な探索者の姿を写真に撮ってSNSでファッションチェックのようなことをしている人間もいる。

 見慣れたとは言え、探索者が異様な格好であることは間違いない。


 その点、まだ光夜達はマシなほうだ。

 光夜の武器は、モンスター用に作られたショットガンであり、装備は近代的な防具だ。

 防刃、耐衝撃に優れたコンバットスーツは黒を基調としたもので、探索者というよりも、まるで兵士のように見える。


 仲間の装備も同じで、違うのは武器だけだ。

 花鶏あとりは変異率が低いため、拳銃タイプの武器と特殊警棒、三人のなかで最も変異率の高い真逆は、一人だけ時代を逆行したかのような双剣を使っている。


 変異率が一パーセント違うだけで、ダンジョン内での動きが全く変わってしまう。

 まさに超人じみた動きが出来る真逆を、光夜はすごいとは思っていたが、うらやましいとは思わなかった。

 変異率、つまりダンジョンに侵食される割合は、小さいほうがいい。


 光夜の変異率は二十八パーセントだったが、人間ではない部分がそんなにあるのかと思うと、その部分を削り取りたい気持ちになる。

 とは言え、矛盾するかもしれないが、だからと言って変異率の高い人間を化け物と思ったりもしない。

 光夜は自分自身でも、自分の心の動きがよくわからないでいた。


「なんか探索者ファンの子がいっぱい集まるとか」

「見世物か?」

「客寄せパンダね。……パンダは可愛いけど」


 真逆の続く説明に、光夜は噂のカフェに対する興味を完全に失う。

 最近では、探索者に憧れる者が増えているという話があった。

 それも、将来の仕事として憧れるのではなく、芸能人のようにもてはやすという意味での憧れだ。

 光夜からしてみれば、興味がないどころか、苛立ちすらある。

 花鶏あとりの言うように、その店は、探索者人気で客寄せを狙っているのだろう。

 探索者は武器を携えていたほうが見栄えがするから、武器を持ったまま来店して欲しいのだ。


「確かに、俺達は可愛くないよなぁ……じゃなくって。一般の人にさ、俺達の仕事をちゃんと知ってもらうのは大事じゃね? あんまり世間から剥離して、危険な連中みたいに思われるのは悲しいだろ?」

「馬鹿は馬鹿なりに考えるのね」

「馬鹿馬鹿言うな!」


 いつもの仲間達のやりとりに、光夜は妙な安心感を覚えながら、目的地到着のアナウンスを聞く。


「降りるぞ」

「おい、置いてくなよ~」

「馬鹿なだけでなくのろまな真逆」

「いやいやアトリさん。あなたも置いていかれてましたよね?」


 ビルディング迷宮は地獄だ。

 探索者の間ではそう囁かれている。

 光夜も全く同意見だ。

 潜るたびに、心に穢れが溜まり、泥のように沈殿していくように感じる。

 そんななか、光夜を明るいほうに引き上げてくれるのは、どんなに邪険に扱っても、光夜をサポートしてくれるこの二人だった。


「ありがとう……な」


 二人に聞こえないように小さく口のなかで呟く。

 仲間を危険に晒しているとわかっていながらも、彼らを突き放すことが出来ない。

 光夜は自分を情けない人間だと理解していた。

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