SAT. あと零日

新聞部員の章――Ⅶ




 東京大学にほど近い、根津という地域に青沼の家はある。政治活動を率いて子分らしき人も多くいる兼吾とはいえ、実家暮らしだとは。金銭的に余裕はないんだな、と僕は思う。

 ただ、家自体は高級住宅街の一角だ。言い方は悪いかもしれないけど、こういうところで凶悪な事件が起こった時、街そのものにスポットが当たりやすいっていうイメージが湧く。閑静とパトカーのサイレンは、比較対象としてマスコミが使う定番様式だ。

 やがて現れたのは、駐車場付きの二階建て一軒家。壁や建物の外装は、薄汚れていない。掃除が行き届いているか、もしくは購入してまもないのか。ともかく、一般層からは一歩先に行ったような自宅だった。

 家のあたりを舐めまわすように、廿日市は眺めている。どこか物欲しそうな表情をしているのが、僕にとっては何ともいえない気持ちになった。「防犯カメラに映るぞ」とやんわり注意するだけに留め、長方形の呼び出しボタンを押した。

 反応がない。もう一度トライしてみるも、同じ。面倒だなあ。門から突破したほうが早いんじゃないのか?

 律さんが「時間合ってるの?」と心配して訊いてきた。

「いや――合ってるよ。絶対、この時間だって」

 スマートフォンを操作して、福山から送られてきたメールを確認する。うん、やっぱり正しい。いざ面会となって怖気づいたのかなあ。そうなると、また煩わしいのだが……。

「なあ、廿日市よ」

「ん?」

「強行突破は趣味じゃないが――」

 ガコン、と柵の張り付いた門が左右に開く。恐怖心はない。怒られたら謝ればいいんだ。

「ワルになったな」

「馬鹿野郎。モラトリアムが僕らにはあるんだぜ。警察だって、危機的情報には権限を発揮するだろ?」

「俺らには令状すらないけどな」

 茶色で塗り固められた正面ドア。いまさら、ノックもくそもないだろう。ドアノブを時計回りに押し込んで、胸元に強く引いた。

 引っかかればよかったものを、なんの抵抗もなく大きな扉が開放された。手汗が出てきている。これは怯えじゃない、興奮だ。

「お……お、お邪魔しやす!」

 律さんの後ろ手で閉じられた扉の音が、歓迎のチャイムとなった。

 靴を叩きに並べ、正面の階段に足をかける。視認はしてないが、おそらくリビングに人はいない。生活音がまったく入っていないからだ。腐っても、僕の耳を舐めちゃあいけない。

 階段を上り、二階に到着する。目の前の扉は、森吾の部屋に違いない。

 僕は廿日市、そして律さんと目を合わせた。彼と彼女が背中にいることで、どれだけ自由に動いて安心できるのだろうか。

 たとえどれだけ地下深くに潜り込もうとも、僕には受け入れてくれる場所がある。それが新聞部という存在なのかもしれない。

 部屋を覗いた。

 机に座ってる少年が、感情を持たない目でこちらを振り向いた。



         〇



 兼吾によく似ている。そして、どこか幼さがまだ捨てきれていない感じ。パーカーとジーンズを身に纏っているのは、僕らの来訪に準備をしていたのだろう。

 そして顔には、薄橙うすだいだいから変色した傷痕が残っていて、暴行事件の片影へんえいを匂わせた。

「どうぞ」

 森吾は無愛想に、足の低いテーブルを勧めた。胡坐で座らせてもらう。主人はというと、柔らかいベッドの布団にドカリと座り、あたりにホコリを撒かせた。

「華月の新聞部です」

「知ってる。兄貴から聞いた」

 ならば、一応目上の人間なのは知っているはずだ。舐めやがって。まあ、彼の頭に投げつける物もあるわけでないし、そんなことやったら兼吾から大目玉を食らう。

 それに、人の手前でサングラスを外さないなんて無礼だってことは、吐き気のするぐらい心得ているつもりだ。

「時間がない。単刀直入に訊くぞ」

 僕の口調は、自然と命令口調になった。

「5月10日木曜日の昼休み、君の友達である土尾海人君と生徒会所属の安芸津忍、加えてあと二人が特別教室Ⅱで会合を開いている記録があった。新聞部は、その会合が今回の事件に何かしらの関係をしていると睨んでいる。具体的には、安芸津が仕組んだ左右の対立だ。『左閣』への殴り込みを『NGC』リーダーの弟である君に協力を仰いだんじゃないか。

 でも、なんらかのきっかけが起こり、矛先が君に向かってしまった」

 森吾は黙ったまま、目先をあらぬ角度へと向けていた。ちゃんと聞いているのか。だったら、何いっても同じだろ。僕は、さらに説明を続けた。

「だがしかし、君が絡んでいたとの決定的な証拠はない。正直いって、お手上げだよ。華月の壁に囲まれた島宇宙じゃ、防犯カメラなんかあるわけない」

 でもね、と握る拳を強くした。

「君の言葉さえあれば、事件は止まるんだ」

 小さく、ほんのわずかだけど、肩が揺れた。

「過去のことは、僕の知り合いが調べている。ものすごい、想像力のある人が、ね。僕は根拠のないものには動けないんだ。自分の信奉にこれだけ縛られるのは……初めてだったね」

 だからといって、軽々しく鞍替えするほど僕は尻の軽い人間じゃない。

「いいかい、森吾君、よく聞きな。あの日のあの場所、5月10日に集まった四人の中のあと一人。知っているはずだよ、どこの誰だか」

 目線が、空から床へと移動した。口は固まったままだ。

「今日――未来に起こるであろう事件を、僕らは止めるんだ。他の誰かが野放しに傷つけられることを、黙ったままで見過ごすのか?」

 僕らしくもない発言だ。感情に訴えて証言を引き出そうとするなんて、江田進平のやることじゃないよ。

「森吾君」

 すらりと伸びのある声。律さんだ。

「あなたは二週間前、突然暴行を受けて、重症を負った。外傷だけじゃなくて、精神的にもすごく怖くて、苦しい思いをしたはずだよ――私たちが、想像できないほどの恐怖だったろうね」

 夜に歩いていたら、見知らぬ連中から突然襲われる。その意味を、理解できるだろうか。痛いだろうな。辛いだろうな。血は……どれくらい出たんだろうな。

「でも今、あなたは私たちを家の中に入れた。不用心にも、鍵をしないで。いくら事前に連絡が入ってるとはいえ――少なくとも、最近トラウマが残るほど殴られた被害者の行動としては不自然よ」

 僕は今まで気付かないでいた。もし『左閣』が目を付けていて家に押し入ったら――被害者がそのような想像を、しないわけがない。

「考えられる可能性は二つ。狂言か。もしくはもう襲われないって確信しているのか。前者は可能性が低いと思う。顔の傷とか、あと足首のすり傷とか見ても……ね。警察も動いてるし、狂言ならすぐに発覚するんじゃない」

 理論泰然と状況を整理していく律さんの推理に、僕は舌を巻いた。

 森吾は、押し黙ったままだった。僕と同じように、彼も頭を働かせているんだろう。

 後者だとしたら――もう、襲われる心配がないって確信しているってことは。

 自分に事件の矛先が向かない。つまり、『左閣』ないし左派から襲われることはない。見知らぬ人間から、恨みを買われてるわけじゃないってことは……。

 森吾は、誰が犯人かを知っているんだ。

「なあ、後輩よ」

 廿日市が、喉から低い声を出した。

「俺らはそこらへんによくいる新聞部だぜ? 別にお前らをどうこうする権力もあるわけじゃない。金も、影響力もない。でも、お前の代わりに次の被害者を止めることができるんだ。豊浜千夏子も変に巻き込まれて、いい迷惑してんだから――」

「豊浜じゃない」

 かぼそい声だった。でも、口調は確かだった。

 青沼森吾は、はっきりと唇を動かしていた。否定を表していた。

「は?」「え?」「いや、まさか――」

 森吾がゆっくりと顔を上げた。目の周りは、わずかに赤くなっていた。

「あいつはいったんだ……これは、下剋上だって……」

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