TUE. あと四日

探偵たちの章――Ⅰ




 直観というものに頼って、これまで生きてきた。

 道に迷い、右が左を選択せねばならない時。俺が選んだ方向は、大抵家に着く。

 あるいはテスト。四択で悩んだ場合、本当にえんぴつを転がして、「どれにしようかな」をやっていた――笑うなよ、昔の話だ。そして意外や意外、割と正解してるもんなんだ。

 今の俺の淡い少年期の思い出に対し、「そんなのただの運じゃねーか」と中指を立ててくる反骨精神者もいるだろう。そう、まさにその通りである。

 直観とは運である。俺は強運の持ち主なのだ。約十七年間の人生を全うできたのは、運の良さに違いない、と自信を持って宣言できる気概が俺にはある。

 もちろん、勘を働かせるために最低限の知識及び経験は必須だ。それすらの労苦もせずに天才的知能が発揮できる虫のいい話なんざ、この世にはない。俺だって、人並みに前もって地図は調べるし、人並みにテスト勉強だってする。そうやって知識を身に付ける。あとは経験値だ。これ大事。

 自分の肌感覚こそが、一番肉体に染みつきやすい勉強なんだ。

 そうして、俺がこのミシミシと揺れる階段を上っているタイミングには、嫌な感覚しか浮かばなかった。



         〇



 駅前ながら安くて朽ち果てたビルの二階に、『三原探偵事務所』はある。

 ああ、嫌だ。

 はっきりいって、乗り気じゃない。だが、相手は強引な手も辞さない絶対主義的思想をお持ちの方である。中途半端な尻すぼみは、かえって墓穴を掘ることになる。

 一つ息を吐く。深呼吸。扉を開けた。

 まず目に留まったのは、目の前の人と語り合っている三原佳渚みはらかな。華月の制服を身に纏っているから、ギリギリ高校生に見えなくもない。が、体格及び風貌は小学校高学年程度。要するに、ガキだ。中学の頃、他の人が残していた牛乳を、いつも率先して胃に収めていたエピソードを思い出す。

 そして、三原と向かい合ってる男と女。どちらも華月の制服だが、まったく知らない。男は髪色をブラウンに染め、首からチャラチャラした金属をぶら下げている。申し訳ないが、名称までは存じていない。対照的に、三原とおしゃべりしていた女性のほうは、落ち着いた性格を醸し出している。長い黒髪と姿勢の良い座り方。この雑居ビルにはふさわしくない、清楚なイメージであった。

 さて、問題は。

 窓際のどでかい書斎机から立ち上がった若い女。 

「ハロー、涼亮りょうすけ君。久しぶりじゃない」

 帰国子女でもハーフでもない女からの挨拶が「ハロー」ときたら、俺でなくても警戒するだろう。

「どうも」

 ぶっきらぼうに返す。とりあえず、座りたい。三原の横に余裕があったので、自然と並ぶようになる。足元には手提げ型のカバンがあり、ああ、華月高校はリュックじゃないのか大変だなあ、と傍迷惑はためいわくな同情心を抱いた。

 向かい側の女子と目配せしている三原はなんだか女の子っぽいが、俺の存在が目に入ると、途端に疑念の眼差しを送ってくる。まだ何もしてないですけど。加えて気になるのは、男の方がすごくすごくこちらに注視していることだ。俺の顔にカメムシでも付いているんだろうか。

「あらー、涼亮くん。また背が伸びたんじゃない?」

 ハロー女が、背中から声を浴びせる。「ねぇ、佳渚」

 三原は汚物を確認するような横目の移動で俺を捉え、「さあ」と首を捻った。

「それよりも、お姉ちゃんさあ」と、三原はハロー女にいう。「あたし……邪魔だったりする?」

「そんなわけないでしょう! 佳渚にもちゃんと大事なお知らせがあるから、さ」

 以前、妹の誕生日プレゼントにセミの抜け殻を箱に包んで送った三原姉のことを、信用しては断じてならない。あとで妹の恐怖と逆鱗に触れ、ケーキナイフで刺し殺す寸前までいったのは、文京界隈では有名な話である。

「紹介するわ」と、俺の知らない二人に向かって話す。「このコが福山ふくやま涼亮りょうすけ君よ」

「あ、どうも……」

 ボソボソと挨拶し、頭を下げる。すると突然、引っ張られるような感覚が襲った。見ると、机に乗り出した男が俺の手をガッチリ握っていた。

「あなたが……福山君?」

「え、ええ……」

「あの有名な? 文麗ぶんれい中学の盗難事件でいまだ語り継がれているあの福山涼亮君?」

「え、いや、そういう……」

「素晴らしい!」

 雄たけびを上げながらも、俺の手が離されなかった。てか、この人……すげえ力が強い。はがれねぇ……。

「会えて光栄です。わたくし、私立華月高校三年、青沼兼吾と申します。どうかお見知りおきを。こちらの女子生徒は二年でそこの三原さんの同級であり、わたくしの友人の豊浜とよはま千夏子ちかこさんです」

 よろしく、と豊浜さんは頭を下げた。すいません。この男のせいでまったく聞いていなかったとは、口が裂けてもいえない。

 三原姉が中に入ってくれたおかげで、なんとか解放される。電流のような痺れが走ったのはいうまでもない。

「さてと。涼亮君」

 書斎机に座り、ニヒルな笑みを浮かべる。

「君にはぜひ、このコらの依頼に答えてほしいんだ。仮にも、私の後輩なんだよ」

「正確には、三原先輩と知り合ってる人の伝手つてで来たっす」青沼が高らかに宣言する。

「そうそう。そうだった、そうだった」

「依頼――俺でなきゃダメな理由が」

「もちろん。涼亮君にしかできないことをね」

 しらばっくれることすらできないのは、この人たちの作戦だろうか。

「じゃあ、二人とも。例の事件について、話しといてー。あとでまた連絡するわー」

 といって、事務所の扉を掴む。おい待て。

「三原先輩。どちらへ」

「ごめーん、大学の友達とコンパなんだわ。じゃ、あと頑張ってー。じゃねー」

 颯爽に去っていった探偵事務所の経営者。依頼人たちは呆気にとられたまま、この状況に取り残されているが、俺らにとっては慣れたもの。ため息一つで、気持ちを切り替える。

「じゃ、はじめますか」

 俺は宣言した。 



         〇



 一通りの話す内容を終え、青沼は息をついた。

 まず、この陽気な男が『NGC』のボスであることに驚きを隠せなかった。華月でない俺が知ってるぐらいの有名団体である。人間ってわからないものだ。

 反対に、事件そのものに関しては、それほど騒ぐことか? と冷めた感じに思える。文京にいれば、暴力沙汰は決して非日常的ではない。それがたった同じ土曜日、同じチラシが置かれていただけで連続暴行と決めつけていいのか? 現にその留学奨励チラシは、文京区のどこにでも置いてあるものらしい。

 以上の疑問を提示すると、「もっともだ」と青沼は深く頷いた。

「俺も最初はそう感じていたよ。だがね、この法則を見つけちゃったからには、疑わざるをえなくなったね」

 そして青沼は、俺と三原を舐めまわすように見ると、わざわざためを作って切り出した。

「最初の被害者、名前は青沼森吾。ご存知俺の大事なかわいい弟だ。二人目は紅林竣士。こちらもまた、『左閣』の中でも重要なポストについてる。どちらの被害者もグループにとって欠かせないメンバーが襲われた――そしてもう一つの共通点は、名前さ」

「名前?」

 俺はオウム返しをする。

「そう、名前。気付かないかい? 青沼。紅林」

 アオヌマ――。ベニバヤシ――。どちらも存じてない名前だ。青沼というのはありそうだが、紅林というのはなかなか聞かない苗字だ。クレバヤシとでも間違えて読みそうだ――。

 そうか。

「アルファベットか」 

 あっ、と三原が声を上げた。「そっか。ABCだ!」

 青沼が笑う。「そう。正解だ」

「ABC殺人事件ってことね」

 三原が顎に手を当てる。「ていうことは、チラシが時刻表の代わりってことね。そっかー。そういうことかー。でも、事件現場はAとかBから始まってませんよね」

「そう。だから、『ABC殺人事件』の模倣としては、少々不正確なんだ。だから最初、本当にそうなのかと自分を疑ったんだ。でもまあ、すでに気付いている人もたくさんいるようだったから、過剰な心配だったよ、はっはっは」

 俺の頭はグルグルと駆け巡っている。『ABC殺人事件』はなんとなく聞いたことがある。あれだろ。女性ミステリー作家の有名な話。ていうか時刻表? なんだ、それ。事件現場? 名前? うーん……。

「福山……もしかして」

 三原が馬鹿にした目つきでこちらを覗き込む。こいつ、面倒くさいな。あとで心置きなく罵倒されるして、

「『C』は『チカコ』の豊浜さんってことでいいんですか?」

と二人に尋ねた。

 豊浜さんはちょっとこわばった顔で、「覚悟はできてます」といった。

「彼女はウチの大事な女性人員でね、本郷方面の担当主任でもある。こういっちゃなんだが、襲われるのに十分な影響力もある」

「野暮かもしれませんが、千田ちだ千ヶ崎ちがさきのような名前は華月には……」 

「少なくとも『NGC』にはいないね」

 三原も答える。「あたしも知り合いにはいない。でも、全校生徒はだいたい千人だから、一人ぐらいはいそうで怖い」

「教師が公表するか、もしくは生徒の有志が調べてくれれば安心するんだどなあ」

 教師もそれほど暇じゃないし、千人もの名前をすり合わせる面倒な奴がいたとしたら、それはそれでご苦労なことだ。

 だが、三原は「やってくれるかも。新聞部が」と明瞭にいう。

 俺は笑い飛ばした。

「とんだ暇人だなあ。尊敬ぐらいはできるかもしれない」

「ほら。江田よ。江田進平。あんた覚えてる?」

「ああ……」

 覚えている。同じ文麗中学の出身で、嫌でも顔と名前が一致してしまうタイプだ。

 悪目立ちというか――あの外見で、とても隅っこで物静かに生きてくのは困難なはずだ。むしろ、江田はそれに囚われることもなく縦横無尽に走り回っていたのだから、自分で蒔いた種であることは確かなのだが。

 新聞部・江田進平。うん、確かに江田らしい。そして、江田なら名前探しも飄々ひょうひょうとやるだろう。

「ねえ、豊浜さん」三原が向かいに話かける。「江田って毎日なんか机で書いてるよね」

「うん。授業中も、絶対先生にバレてるのに新聞作ってるし」

 豊浜さんの微笑みが、うっすらと出た。そして江田は相変わらずの阿呆らしい。いい意味で。

「さて、そこで二人への依頼だ」

 青沼が膝をドンと叩く。「まず幸いにして、同じクラスの三原君には、豊浜さんを見張っててほしい。土曜日に先んじて強襲されることも念頭に入れなきゃいけないからね。放課後は、ウチの会員が預かる。そして福山君」

 学校も違う俺に何ができるのか――俺が伺いを立てようとした、その時だった。

 青沼はいきなり床にひざまづき、深々とこうべを垂れたのだ。ブラウンの髪の毛が、お世辞にも綺麗とは言えない地べたと接触している。

 そして青沼の肩は、はっきりわかる、震えていた。

「森吾を……弟を殴った犯人を、突き止めてほしい。警察に拘束される前にとっ捕まえて、俺が落とし前を付ける。付けなきゃならねえ! どうか……どうか……」

 俺は座ったまま、動けなくなっていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る