「検潮所」

 地元に帰ると、必ず行く場所が一つある。

 小さな入り江の海沿いにある、僕の生家からボートを漕ぎ出す。この舟屋が立ち並ぶ漁村では、どの家にも一隻はこういった手こぎボートがある。漕げば漕ぐごとに、海の色は山の色を写したような緑色から、濃藍色へと均等なグラデーションを描いている。少し離れた岬へと、僕は漕ぎ続ける。空には雲の姿すら見られない。5月の、身体を刺すような感覚も、皮膚をジリジリと焼け付かせるような感覚もなく、純粋に包み込むような優しさにあふれた太陽の光が、ただ注ぐだけだ。

 やがて、岬の先端から少し離れた海上に、コンクリートの建物がぽつりと、立っているのが見えてくる。あまりにも長年、潮と海風に晒され、一瞬見た限りでは海の岩と大して区別がつかないかもしれない。ただ、岩場と背の高い草だけに覆われた殺風景で無個性な岬に比べると、ひときわ目を引く。

 少し前に亡くなった祖父からは、ここは「検潮所」と呼ばれていた、と聞いたことがある。


 子供の頃は、夏になるとこの検潮所まで泳いで、物思いに耽るのが好きだった。ただぼんやりと、乾いた藻がアトランダムな模様を描き、時々壁をカニやもろもろの海の生き物が這い回る、そんな光景を眺めながら、膝を抱えて、いろいろなことを考えた。床の真ん中に観測窓のようなものがあって、そこから響く穏やかな波音に包まれて、僕はいろいろなことを考えたのを覚えている。

 たとえば、海の水が急に何倍にも増えたら?この検潮所にも、窓から、入り口から、水が注ぎ込んで、あっという間に天井まで届いてしまうかもしれない。そうなったら、助けて、と言いながら溺れるがままに任せるだろうか?そうなる前には、せめてここから抜け出せるだろう。そうしたら、水面が上がっていくままに、僕も上へ、上へと登っていけるんじゃないか。まるで空を飛べるようになったみたいに。そしたら自分の家も、裏の山々も、足元に全部見えるかもしれない。ただ、水に沈んでいるわけだけれど……。

 あるいは逆に、海の水が全部なくなったら?ここは浅瀬にあるわけじゃなくて、いわば水中にある山の上に立っている。しかもなだらかな山じゃなくて、かなりの断崖絶壁だ。だからちょうど、高い山の頂上にいるような景色が見えるんじゃないだろうか。少し怖いかもしれない。でも、そうしたら普段は見ることができない海底が見られるのかもしれない。

 そんなことを、またそれ以外にもいろいろ、この検潮所で想像しながら、一人空想の世界で遊んでいたことを覚えている。それら一つ一つの中には、悪夢のたぐいとすれすれのところにあるものがあったかもしれない。だが、夜に見るそれら――例えば自分の頭が膨らんで倍の重さと大きさになるような――と比べると、明らかにどれも、楽しい空想だったと思い出す。


 だけれども、それらの空想は全て子供時代の無邪気な、屈託のない頭だから考えられたものばかり。今同じことを考えても、どんな景色が見られるかなんて考えられず、被害の大きさばかり気にしてしまうだろう。子供の頃の自己中心的な考え方、世界の捉え方というのは、ちょっと恐ろしくて、残酷でもある。大人になれば、それらは影を潜める……でも同時に、新しい想像というのも、やりにくくなるのだろう。


 太陽が、海の背後に迫る山々に沈もうとしている。潮が上がり始めて、床の観測窓から何度も飛沫を上げて噴きあがる。

 もうそろそろ、もう戻らない時に別れを告げて、現実に戻る時だ。僕はボートへと戻る。

 

 おそらく、遠からずまた、ここに来ることになるだろう。

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