第1部 2章 7 (202111/23改稿)

 夜、リザリット修道院は物々しい雰囲気に覆われていた。


 修道院のある中央広場では至るところで篝火が焚かれ、ギルドや闘技場といった周辺の建物の屋上に弓兵が配置されていた。

 そして広場から放射状に伸びる通りは全て封鎖され、周辺の路地を三、四人の班に別れたギルドと憲兵隊の混成部隊が周辺を巡回している。

 更には教会の中は僧兵が守りを固めており、数だけなら外遊中の王公貴族にも匹敵する警備体制だ。


 しかし憲兵隊を束ねるリック・マクベインの表情はいつにも増して険しい。


 リザリットのような交易の要衝は人流が多い分犯罪やトラブルも多発するが、帝国や教会、各種ギルドが目を光らせている為凶悪性は低い。

 現にギルドに舞い込む依頼もC級相当が殆どで、B級以上のクエストは年に二、三回あるか無いかだ。

 常識人が多く平時に一般市民と諍いを起こさないのは歓迎すべき点だが、こうした非常時に何処まで頼りに出来るか。


「やってますというポーズにしかならんだろうな……」


「何か言いましたか隊長?」


「いや、独り言だ」


 隣にいた副官にそう応え、詰め所に戻ろうとした矢先、背中を一陣の風が撫でて行った。

 リックは反射的に剣の束に手を伸ば、足を止め辺りを見渡す。

 月が雲にかかっておらず松明の火と合わせるとかなり遠くまで見渡せるが、何処も変わった様子は見受けられない。


「どうしました?」


「いや、多分気のせいだ」

 

 不安げな部下を安心させる為笑顔を作り肩を竦める。

 必要以上に気が高ぶっていたに違いない。

 彼はそう結論付けると違和感を拭うため首筋を手で拭いながら、歩き始めた。




 一方その頃、彼等の護衛対象は安らかな眠りに誘われていた。


 巫女候補ということもあって本来は来客用の大きな部屋が与えられる予定だったが、エクトルが警護の観点から敵の目を欺きたかった事と、マヌエラが豪奢な部屋だとかえって休めないと言った事の二つの理由から今の部屋に落ち着いたのだ。


 彼女に割り当てられた部屋は机とベッドがあるだけの質素な作りで、外の光を取り入れる為かやや大きめ窓が填められている。


 その窓がカチリと小さな音をたてた後ゆっくりと開き、先程ゲラートの首筋を撫で付けた風が夜の冷たい空気を纏って部屋に降り立った。

 風は人の形をとると、そのまま無音で眠っているマヌエラへと歩み寄る。


 手を伸ばせば顔に触れる距離にまで近付いたその刹那、叩きつけるようなプレッシャーが侵入者を襲った。

 それが無言で放たれた剣気だと覚った侵入者はすかさず部屋の入り口に視線を移す。

 そこに立っていたのは剣へと変じた十字架を構えるエクトル・マイヤールその人だった。


「イレーヌか……」


 彼は侵入者の正体を確認すると安堵に胸を撫で下ろすと長剣をロザリオの形に戻した。


「随分と気が立ってるわね、何かあったのかしら?」


「知ってて聞いてるだろ」


 憮然として言い放つ。

 リゼルとミリアの二人が一緒にいなければエクトルが駆け付ける前にマヌエラは殺されていた。

 結果として最悪の事態は回避できたが、それで自身の失態を帳消しに出来るエクトルではない。


「この子ったらまたお腹を出して寝てるのね」


 イレーヌはエクトルから視線を外すと、マヌエラが蹴落していた毛布を拾い上げると丁寧に掛け直すと優しく頭を撫でる。

 その表情は普段の彼女からは想像もつかない慈愛に満ちたものだった。


「それで、何しに来たんだよ。ただ嫌味を言いに来るため来たわけじゃ無いんだろ?」


「これを見せに来たのよ」


 彼女はポケットから何かを取り出すとエクトルに投げ渡す。


「あなたならそれが何か分かるわよね?」


 それは昼間にイレーヌが路地裏で拾った石ころだ。


「何かの骨、いや竜の牙か」


 何も知らない者からしたら石灰質の欠片にしか見えないが、エクトルはすぐにその答に辿り着いた。


 竜の牙は竜牙兵と呼ばれる使い魔を産み出す為に用いられる触媒だ。

 竜牙兵の戦闘能力は牙の持ち主である竜によって変わり、人間の言葉を理解し高位の魔法を操る古龍の牙から作られたものになると一体で国一つ滅ぼすと言われている。

 市場に多く流通しているのはワイバーンに代表される亜竜の牙だが、それでも人間や動物の骨を使ったスケルトンとは比較にならない力を持つ。


「ご名答。見つけたものは全て処分したけど、それで全部ってことは無いでしょうね」


「不味いな、町中にこいつらが溢れたら町はめちゃくちゃだ」


 町の至るところに竜牙兵が現れれば町はパニックになる。

 助けを求めて半狂乱になった一般人により指揮系統がパンクし、猛威を振るう襲撃者に対し組織的な迎撃が出来なくなった憲兵や冒険者は為す術もなく殺されていくだろう。


「それでも、私とあなたならマヌエラを守り抜くことだけは出来るわ」


「それは本気で言ってるのかい。マヌエラがそんなことを望んでいるとでも?」


「あなたこそ、教会の教えや巫女の使命なんかに殉じることがこの子の望みだと思っているの?」


「望むも何も巫女候補を引き受けたのだってマヌエラが自分の意思で決めたことだ」


「自分の意思で決めたですって……」

 

 煮えたぎった憤怒が声になって飛び出しかけたが驚異的な自制心で抑え込む。

 その代わりとばかりにイレーヌは刺し殺さんばかりの眼差しをエクトルに叩き付けた。


「フィオレの代わりになろうとしてるだけだって分からないあなたでは無いでしょう。なのに自分で決めたことだからって見てるだけなの? 無責任にも程があるわ」


「マヌエラの前から逃げ出した君にだけは言われたくないな」


 エクトルもまた言の葉に怒りの炎を燻らせる。

  

「君に何と言われようが構わない。マヌエラが背負うと決めたものを一緒に背負う。それが僕の償いだ」


 怒気と怒気がぶつかり合い、研ぎ澄まされた闘気が不可視の剣戟を奏でる。

 

 しかしそれも一瞬のこと。

 イレーヌは即座に平静を取り戻すと何事も無かったかのように言葉を放つ。


「町外れの森の中に放棄された屋敷の近くで炭焼き小屋の職人が怪しい人影を目撃してるわ。ヴァレンティヌス派がいるとしたらそこでしょうね」


「イレーヌ……」


「何を間抜けな顔をしてるの。マヌエラとこの町と両方を守りたいなら、竜牙兵を呼び出す前に術者を始末するしか無いに決まってるでしょう」


「ありがとう、恩に着るよ」


 この姉弟子はいつもこうだ。

 無愛想で無神経で無遠慮と三拍子揃った難物だが、最後はいつも助けてくれる。


「止めたところで聞かないだろうし、私が教えないとあなたは町中を走り回って探していたでしょう。後は好きにしなさい」


「ああ、すぐに片付けてくる」


「ほんとバカね」


 二人に対する憐れみかそれとも自嘲かエクトルには分からない。

 イレーヌはマヌエラに一瞥をくれると、窓から飛び降り、夜の闇へと溶けていった。

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