狂い咲きのベンジェンス

鞠吏 茶々丸

第1話 志島春樹という男

しじまはるき【志島春樹】(名)彼女いない歴イコール年齢の二十三歳(童貞)。理想の恋人はお市の方。趣味は古民家、城、寺社仏閣巡り。…


 そんな彼『志島』は現在、苦悩のあまり捻じり切らんばかりに上半身を捩らせていた。


「可哀そうに」


 冬期休暇を用いてやっと辿りついた古民家を改築した田舎の小さな旅館。客人と言えば自分以外女性が一人居るばかりで、志島はこの静かで落ち着く空間に至福のひと時を感じていた。…のだが、翌日の朝にはその至福は脆くも崩れ去った。


「どうしてこんなことに」


(それはこちらの台詞です)


 時刻は午前八時。窓を開ければ一面の銀世界どころか白い鉄壁。落胆する暇もなく、薄い壁越しに滑り込んできたのは『落雪』『惨い』の単語。そして、客人が部屋から出てきたというのに女将とその夫、従業員の女は青褪めた表情で隣の客室前でうろつく始末。

 無駄に想像力豊かな志島は、何が起きたのか手に取る様に理解できた。


「おはようございます」

「あ、おはようございます。お騒がせしてすみません」


 ようやく存在に気付いたのだろう。廊下の隅へと引き下がったかと思えば、割烹着姿の女将が申し訳無さそうに口を開いた。


「志島様、大変申し訳御座いません。此方の手違いで朝食が準備出来ておらず、宿代からお食事代とお詫びとして幾らかお引き致しますので、ご了承頂けないでしょうか」

「…構いませんよ。それを伝える為に、皆さんこちらへ?」

「あ、いえ。少々トラブルが有りまして…」


 思わず口を吐いて出た言葉に、志島は心底しまったと額を押さえた。彼の悪い癖である。面倒事は嫌いなのに、自分からその面倒事に首を突っ込むのだから救いようがない。


「何か事故でも?」


 志島の悟った(眠いだけの)表情に、気の弱そうな主人がおどおどと「ご内密にお願い致します」と告げてくる。どうやら下手に騒ぎ立てず事を治めようと考えているらしい。(うん、その考え方凄く共感する)

だがしかし、悪癖とは意識外に動くものである。


「救急車は既に呼んであるんですよね?」

「…これから呼ぼうかと」


 ちらりと左の扉へ視線を配る。

 女将の中で『呼びたくない』『呼んだ所で意味が無い』どちらの選択肢が浮かんだのか察するのは容易い。かつて田舎に住んでいた志島にはよく解る。田舎の伝言板は回るのが早い。驚く程に早い。しかも尾鰭背鰭がふんだんに付けられるのだから堪ったものではない。例え事故死だろうと、『死人が出た旅館』というだけで致命的な打撃を受けるのは容易に想像が付く。

 だからと言って、その選択肢は許されたものでは無い。


「失礼します」


 右手に持った携帯で手早く一一九をコールする準備を整え、鍵の掛かっていない客室へと足を踏み入れる。息苦しい程暑い室内には敷布団に横たえられた女性が一人。青白い表情で彼女は志島を迎え入れた。

 傍らにしゃがみ込み、徐に布団の中から彼女の白い腕を引き出す。医者では無いが、脈の有無位は彼にでも解る。


「勝手なことは止めて下さいよ!」


 そんな彼の右手を掴み上げたのは従業員の女だった。しかし時既に遅く、女が腕を掴む頃には訂正されたコールが始まっていた。


『――事件ですか?事故ですか?』

「事故だと思います」

『どこでありましたか?』

『石楠花屋という旅館で、女性が落雪に見舞われました』

『いつ頃ありましたか?』


 その問いに志島は女将へと電話を渡したが、女将は一言二言話すと『田口さん』と従業員の女を呼び、電話を回した。どうやら彼女が第一発見者らしい。


「こんなのあんまりよ」

「本当に気の毒ですね」

「ようやく経営が軌道に乗ったっていうのに!」


 夫の胸にしがみつき、女将は段々とヒステリックに叫び出す。志島はぼそっと『そっちか』と独り言ちる。


「雪で到着が遅れるそうです」


 降雪量的に致し方ないだろう。睨みつける田口の手から携帯を返してもらうと、再び女将へと振り返る。


「つかぬことをお聞きしますが」


 彼の問いに、三者三様の表情が浮かび上がる。


「どうしてこれが事故だと断定を?」


 彼の問いが理解できないのだろう、困惑した表情が一様に向けられる。


「落雪ですから、事故以外に何か?」


 夫の胸を離れ、志島の意図を探る様に女将は彼へ一歩近づく。彼女の言葉に志島は淡々と『あるでしょう。自殺と事件が』と返した。

 空気が張り詰める。


「昨晩、風呂上りにこの方と少し話をしました。どうやら祖父母に会うべくこちらに帰省されたようなんですが、その時にこう仰られていました。『悪阻が収まったのでやっと来ることが出来ました』と」


 被害者にお辞儀をし、志島は部屋の片隅に置かれた大きなボストンバックを開く。暫く漁ると、彼は目当ての物を彼らの前に提示した。


「母子手帳です。彼女が妊娠していたのは間違いないでしょう」

「妊娠していた事と、事故以外の可能性がどう繋がるというの?」


 女将の問いは最もだったが、志島は心底落胆したように『妊娠、帰省、帰省途中の旅館、予測不能の落雪、その条件下で自殺をしますか?』と返した。女将は口を開きはしたが、言葉は出てこなかった。


「なら本当に事故だったのでは? 落雪が起こるかなんて誰も解りませんし」


 部外者の志島が首を突っ込んでくるのが余程気に食わないのだろう。田口は続けて『確証も無いのに迷惑です』と告げてくる。


「では、事故である確証があるんですか?」

「不慮の事故に確証なんて無いでしょう!」

「そうでしょうか」


 すっと立ち上がる志島。暑そうに息を吐くと、縁側に移動し窓を全開にする。


「女将。この建物には小屋裏がありますよね」

「…ありますが」

「小屋裏に登ることは出来ますか」

「できます」

「どちらから?」

「この部屋の隣にある物置に梯子がありまして、梯子を下ろせばそこから」

「ではご主人、梯子が下りていないかご確認頂けませんか」


 暫し逡巡した主人だが、女将さんの視線を受けてそそくさと部屋を出て行く。

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