第6話 星占い



 いよいよ万策が尽きた。

 ボテリョという名の兵士を呼び出した。ボテリョはローマに住んでいたラテン語学者で、星占い師でもあった。

「お呼びでしょうか?」

 ボテリョも、ひどいあり様だった。遠征前に比べるとずいぶん痩せ、目だけがぎょろりと飛び出している。服には返り血らしき汚れが、至る所に付着し黒ずんでいた。

 誰もが同じようで、コルテスの直属部隊二百名とトラスカラ国の友軍三百はまだ規律を保てているが、元ナルバエス軍五百は戦意を失い投降を求める始末だった。

 投降したところで、待っているのは生け贄として生きたまま心臓をえぐり取られる未来しかないのを、彼らはどうしても理解できないようだった。

「我々の未来を占うことは可能か?」

「もちろんでございます。星はすべてを見ております」

 コルテスは、占いを信じてはいなかった。スペインでは大学で法律を学んでいて、論理的合理性こそが彼の最上であった。

 加えて、ボテリョという男そのものが、まずうさんくさい。小太りで、いつも汗をかいていて、無償の占いは絶対しない。粘りつくような声は聞いていて、気分が悪くなる気がする。

 それでも、占いに頼るほかなかった。

 論理的に考えれば、全滅しかないのだ。

 どう考えても、堤道を渡りきれると思えない。

 もし、渡りきったとして、逃げ延びる先は友好国のトラスカラ国しかなく、そこまでアステカの支配地域を、追撃をかわしながら撤退する必要がある。

 距離にして、およそ百六十キロ。海岸線に作った前線基地のあるセンポアラまでだと、三百キロ以上もある。

 運良く追撃を振り切ったとして、カヌーを利用すれば先回りできるポイントがある。

 歴戦の戦闘民族であるアステカ人が、それを見逃す手は万に一つも考えられない。

 つまり、必ず再度、大部隊を真正面から突破せねばならないのだ。

 既に包囲網は完成していて、三十万人のアステカ人が、たった千人のスペイン人を皆殺しにしようと全力を出しているのが現状だった。

 もはや、占いに頼るほか手はないのである。

「天の配剤、天の歯車装置。それが、星々でございます。星を知り、星に聞けばこの世全ての理が一つ残らずつまびらかになるのでございます」

 王宮の国庫から運び出し、り直した金の棒を差し出した。さも当然という顔で、ボテリョは金を受け取った。

「いつ撤退すればいい?」

「撤退日は、6月30日の深夜。この日をおいて他にありません。遅れれば、みな殺しになるでしょう」

 即答だった。しかも、明日だ。

 いかにもインチキ占い師くさい雰囲気ながら、籠城はすでに限界だった。

 噂は、あっという間に広がり、妙に全将兵の心を一つに動かした。

 そして30日の夜、闇を利用して首都を撤退することに決まってしまった。

 撤退が決まると、王宮の国庫に納められていた翡翠ヒスイ瑪瑙メノウ、金をどうするかが問題になった。

 金は鋳直して、延べ棒にしてあるが重くかさばる。莫大な量で、持って逃げられるものではないのは、一目瞭然だった。

 それでも、元ナルバエス軍の連中は、驚くほど強固に分け前として分配することを主張してきた。

「国王陛下に略奪品の五分の一を税として納めるのは臣下の務めであり、それを除いた分は将兵で分配する。そういう決まりでありましょうや!?」

 生きるか死ぬかの瀬戸際においても、金を寄越せという言動に、コルテスは一瞬理解が追いつかなかった。

 少しでも身軽に、素早く動いて逃げ延びるしかあり得ないが、主張に間違いはない。

 夕方までに、大広間にカカオ豆を除いた財宝のすべてを集めた。アステカでは、カカオ豆が通貨の代わりになっていて、国庫には莫大な量のカカオ豆が保管されていたが、スペイン人にとって豆に価値はなかった。

 翡翠、紅玉、金。それらを組み合わせた工芸品。広間が埋め尽くされそうなほどの量になった。金だけで、スペイン金貨にして七十万枚以上あると見積もられた。

 アステカには車輪がなく、壊れた砲台を分解して台車を作っていたが、撤退しながら運び出せる量ではない。

 国王陛下への分を、ナルバエス兵の前で取り分け、あとは自由にさせた。

「これらは、すべてお前たちのものだ。おのおのが持ち運べると信じる分だけ、持って行くがいい」

 コルテスがそう言うと、ナルバエス軍の五百人が我先にと財宝の山に群がり、抱えきれないほどの金塊を抱えフラつきながら出ていくのを、コルテス麾下二百名とトラスカラ国の勇士三百人は、彼らの代わりに王宮を死守しながら、憐れみの視線で眺めるしかなかった。

 コルテスとコルテスの部下は、新大陸ヌエバ・エスパーニャに来てマヤやアステカの人々、特にモクテスマ王と過ごすうち、彼らの誠実さと生き様に感化され、いつの間にか"恥"と"尊さ"を魂に刻み込むようになっていた。

 元々は、コルテスの部下のほとんどもナルバエス兵同様、黄金を求めて新大陸に渡って来たのだった。

 コルテスは、冒険と名声を求めて来た。

 どれも、己が欲望を満たすためだけの行為である。

 そのために、何万人もの原住民を女子供に関係なく殺し、略奪しながらテノチティトランまで来た。

 生け贄をやめさせ、真の神の教えを伝えるなどというのは、ただの建前だ。

 獣のように、犬畜生のように、欲望のままに他者を踏みにじって生きれば、それでよかった。

 それが、今ここに来て変節をし始めている。

 ナルバエス兵の姿は、間違いなくかつての自分の姿だった。

 信用できるものは金しかなく、たやすく他人を裏切り、陥れ、略奪するだけでは飽き足らず命までをも無意味に奪う。

 さもしい生き方だった。

 ナルバエス兵のようには、なりたくない。

 誇り高い、アステカ人のようになりたい。

 モクテスマ王のようになりたい。

 モクテスマ王に立派な生き方だと、そう言われる人間になりたい。

「見ていられません」

 書記官のディアスが横に立っていた。

 ナルバエス兵は、動けないほど金塊を背負ってなお、奪い合いを始めてしまっている。今、この時も王宮を死守するために、コルテス兵やトラスカラ国の勇士が戦っているのは理解できないらしい。

「ディアス、お前も行って分け前を手に入れて来てよいのだぞ」

「私は、偉大なる王より頂戴した分で、もう充分です」

 そう言って、翡翠と瑪瑙を一欠片、小指ほどの金を片手の手のひらに乗せて見せた。

「それでは、わりに合わぬであろう?」

「わり、とはなんでございましょう。私にとって、偉大なる王と出会えたこと以上の褒美はありません。それに、この翡翠は王が友情の証として、私に直接くださったものなのです」

 ディアスの目は、心底亡きモクテスマ王を敬愛している目だった。

「この翡翠には、新大陸に住む人々の誇りと友情が込められているのだそうです。私は、もし生きて帰ることができれば、この小さな翡翠を一生の宝とし、決して売り払うことなく、魂の拠り所として生きる所存であります」

 今のコルテスには、ディアスの言っていることがよく分かった。スペインにいた頃には、きっと理解できない感覚だっただろう。

 人を人たらしめる何か。

 それを、アステカ人は確かに持っている。

 文明として文字を持たず、車輪を禁忌として使わず、鉄器もない。

 決して、洗練された文化ではないと思っていた。

「魂か。モクテスマ王も、そんなことを言っていたな」

 魂を込めた生き方。

 誇りある生き方。

 丁寧に生きて、丁寧に死ぬ。

 尊く死ぬには、尊く生きることが重要なのだと言う。

「もっと、王には話を聞いておくべきだった」

 ナルバエス兵は、打ち捨てられた布切れさえ持って最後の一人が広間を出て行った。

 これで、撤退のすべての準備が終わった。

 あとは、深夜になるのを待つだけである。

 破滅以外の道があるのだろうか。それは、考えないようにした。


 

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