第2話 邂逅②

 明日から始まる新学期に向けた準備を、教職員たちの手伝いをしながら進めていたら辺りはすっかり陽も落ちており、職員室にいた教員はあらかた帰っていた。

 入学式の後片付けという力仕事も終わって一息いれようと保健室に戻るのは、この学校の保健教諭である桐ヶ谷透華きりがやとうかである。

 後髪を結い上げた金髪は短く、夕陽に照らされたそれは歩くごとに小さく揺れ動く。


──いつか来るとは思っていた。


 時は遡り入学式。体育館を貸し切って行われたそれはいくら広いといえども、パイプ椅子に座った新入生や保護者たちによってかなり狭苦しい印象を与えていた。

 壁には紅白幕を一面に垂らし、壇上で新入生のこれからに期待を募る校長のスピーチ。

 去年から何も変化がない光景だと1人あくびを噛み殺してる最中だった桐ヶ谷は、それまで緊張の糸が張り詰めていたのが校長の長い退屈話によって緩み始めていた。

 そんな新入生の中から1人こちらに視線を向けていることに気づいた。

 桐ヶ谷は自分の目を疑った。飲み込もうとしていた唾が気管に詰まり、誤魔化そうと咳払いをする。

 隣にいた顔馴染みの体育教師がこちらに視線を向ける。問題なしとその教師にはその場でアイコンタクトを送る。だが桐ヶ谷の心は問題ありと高らかに告げるように鼓動を早めた。

 もう一度視線を戻す。先程見つめてきたその新入生はすでに壇上の校長へと顔を向けていた。


──今更慌てることかよ……。


 桐ヶ谷は目の前の仕事に手がつかずにいた。取り掛かろうとしても先程の少女のことを思い出しては手が止まってしまう。

 入学式で見た少女の視線の既視感を思い出し、それが10にいた少女であると確信していた。

 瞳に見覚えがあったからだ。雨で濡れた前髪から覗く暗く深い瞳。その瞳が桐ヶ谷が手をかけた親友のそれと同じであり、桐ヶ谷はそれを1度前に見ていた。

 有咲花、10年前のあの日に死んだ桐ヶ谷透華の親友。その妹が今日、こうして10年前のあの事件と近い日に現れたことに、桐ヶ谷は運命というものを感じずにはいられなかった。

 

──約束、破る事になるな。


 椅子から立ち上がり、落ち着かない様子でレースのカーテンに手をかける。気分を変えるためにとった行動だったが、これが良くなかった。

 校舎へ向かう影が隙間から見え、目に入ったものがなんなのかを知るためにレースを開けると、今日いた有咲花の妹の姿だった。

 忘れ物を取りに来たか、そんな感じはチラリと見えた穏やかな表情からは読み取れなかった。

 足取りも落ち着いていて向かうべき場所が最初から決まってる様子にも見えた。だからこそ桐ヶ谷はこれから起こることは避けられない事なのだと言い聞かせる。

 

──ずっと思っていた。あたしが花のためにできることを。あたしが殺した花のためにできること。


 10年経った今でも夢に出てくるあの日の光景で、花が死に際に交わした約束を思い出す。これからしようとすることがその約束を反故することになるのに、桐ヶ谷は少し心残りがあった。

 生前有咲花が自慢していた妹。その妹の目の前で殺された姉とあたしを見て何を思うのか。

 桐ヶ谷が1人思考に耽っていると、目の端に小さな何かを捉えた。机の上に茶色い体毛に頭頂部から背中にかけて一筋の白い体毛を纏った物体がいる事に気がつく。


──リス?


 リスと思しき動物が学校に出没している。人がいる場所に滅多に現れないそれを桐ヶ谷はそれがただのリスではないことを悟る。

 リスはそのままじっと桐ヶ谷を見つめた後、リスは自分ほどの大きさはさんるカッターナイフを机の引き出しから取り出しそのまま走り去り扉をカッターナイフごとすり抜けていった。


──差されていたか、に。


 『魔が差す』という言葉がある。軽い気持ちで手を出した悪事の言い訳として使われる常套句。しかしそう言葉を紡ぐ彼ら彼女らは実際に何かに差された形跡を確認することができる。

 普通の人間には差されたことで現れるという存在を視認する事はできない。しかし桐ヶ谷透華にはそれができる。できてしまうのだった。

 有咲花の妹が復讐を望んでいるのではあれば、桐ヶ谷透華はその復讐を終わらせる存在として、その報復を受け入れる。そういう心算をこの10年、ひたすら己の中で決めていた事を彼女だった。

 全ては桐ヶ谷透華の自己満足な自己犠牲。

 それで終わらせられるのであれば楽になれる。



 だからこそ、有咲の妹が出た行動の意味をわかりかねるのだった。



「わたしを、殺してくれますか?」

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