第3話

「さあ、聞かせるのだ」

 ヤーラにお茶の用意をするメイドを呼びに行かせたうえで、リリンカは装身具の山をテーブルの端に追いやった。

「まず、例の不埒ふらちものどもが残していった拳銃ですが」

 実は密かに、リリンカはあの場から拳銃を持ち帰っていた。そして私邸に着いてからアコーレに調査を命じておいたのだ。

「拳銃そのものは普及品でございます。しかし、浮浪者や下層階級の労働者の手に入るものとも言えませぬ。盗んだものということもありえましょうが、それにしてはあまりに手入れが良い……つまり奴ばらは、ただの物盗りではありえないかと」

「であろうな。あれらのみすぼらしい風体ふうていは偽装であろう。銃の扱いに慣れた、五体満足の、大の男が幾人も。おおかた雇われ者の傭兵か、誰かの私兵かというところ」

「仰せの通りかと。ただ銃から持ち主は追えませんでしたので、別の方向からあたることにいたしました」

 ヤーラが戻り、ぞんざいに寄せられた綿織物モスリンや絹の小山を見て驚愕の顔になる。

 おそらく「ンまあ!」と叫びたいところなのだろうが、慎み深くあれとの教育を受けて育った女性であったので、眉をきゅうと引き上げてリリンカを見るにとどまった。

「別の方向とは?」

「馬車のほうでございます。残念ながら紋章などは見受けられなかったのですが……」

「が?」

「他家の使用人に、なにかと噂に通じている者がございまして、そちらに尋ねたところすぐにわかりました。あの断髪の侍女どのです」

 なるほど一般に、成人女性なら髪は結い上げて、外出の際には帽子の中に隠すのが常識だ。リリンカですらそうしている。あの女性のような断髪は王都ではまず滅多にお目にかかれない。

「あの女性は、アグレシン子爵の養女であられるユランナ・メリエッド嬢にお仕えする侍女です。名はオルリーン・クワス」

「ならば当然、あの長身のご令嬢はユランナ嬢か」

「そのように推察いたします」

「養女であると」

「ある高貴な男性の私生児といわれております。父親は少なくともアグレシン子爵バゼル・メリエッド様のゆかりの方ではあるかと」

「子爵自身の私生児である可能性は?」

「そうではない、というのが噂の内容でございます。なにしろいささか、年齢が近うございますので」

「なんだ。では実際は愛人か」

 そう言いながら、リリンカは胸にひやりとするものを感じた。なぜこんなふうに、耐え難く思われるのだろう?

「そこまでは家中かちゅうのことゆえ、わかりかねますが……」

 ふむ、と顎に手をやり考えこむリリンカ。

「しかしそれだけでは、令嬢が狙われる理由にはならぬだろう」

「左様でございます。高貴な方の私生児にしろ愛人にしろ、世にありふれておりますからね。ましてユランナ嬢の父親がどなたであるかなど、子爵のご親戚だけに限定しても候補はずいぶん大勢になるかと」

 貴族の血縁はたいへんに込み入っている。300ほどの家が、お互いに縁組を繰り返しているのだ。誰と誰がどういう血縁であるか、古い家柄であるほど家系図は複雑なもの。

「謎はさておいて、どうしたものか。爺よ、さりげなく様子を見ておくというのは、お節介が過ぎると思うか?彼女が社交期シーズンのために王都にいるのなら、友誼を結ぶのも可能であろうが……」

「それでございますが、難しいと存じます。すぐにあちらさまのお名前まで判明したのには、実は理由が」


 話はこうだった。

 ユランナ嬢は社交界に出て10年になろうという独身女性であるらしい。15の歳に早々とデビューこそしたものの、その後は結婚を考える男女が集うあらゆる催しに、ほとんど全く姿を現さないのだとか。

「なんでも、ひどく内気なたちであるとか、教育が行き届かず恐ろしい訛りがあるとか、はたまた顔に大きな目立つがあるだとか……」

「まてまて、アコーレよ、一体どれが真実なのだ?」

「あくまでも噂でございますゆえ……真実など、お嬢さま自身がお確かめになる以外にありますまい?」

 つまり、そうした奇怪な噂によって、全く人目に触れないにも関わらず、ユランナ・メリエッド嬢はある種の有名人であるらしかった。

「お嬢さま、少なくともユランナ嬢ご本人は、他者との交流を望まれていないように見受けられます。もしもこれ以上……他人が踏み込める範囲を超えて、関わりを持たれるのならば」


 それなりの、お覚悟が必要と存じます。


 アコーレはそう神妙に囁いたのだった。


◇◇◇


 さて、翌日はリリンカにとってごく退屈な一日になる予定であった。夜には馬鹿馬鹿しい時間をかけて身支度を整えて、さして気の向かない夜会に行く必要はあったけれども。

 しかしながら、まず朝に兄が訪ねてきたところから、彼女の心算は狂い始めていたといえる。

 ゼアドゥ家長子、未来のルブリック伯爵である兄のテオセンは、妹との婚約を解消したバルオンが、親戚筋の紳士の娘であるエディア・アッシェラ嬢と結婚したという知らせを持ってきたのだ。

 リリンカとしては、そうなるよう仕向けた張本人でもあるので、何か障害があるのなら、取り除く協力をするにやぶさかでないと考えていた。

 しかし、バルオンはエディアの懐妊をうまく隠し通したまま、無事に結婚まで漕ぎつけたのだ。やっと根性を見せたな、と深く頷く。

「出だしは天晴れとはいかなかったものの、結果としては最良におさまったのではありませんか?」

 リリンカがテオセンの持ち込んだ新聞から顔を上げると、兄は悲壮な表情でこちらを見ていた。

「さ、最良?!本気で言っているのか、リリンカ?バルオン・ソローが、あのろくでなしめ、婚約を解消してまだ何日も経たないのに、他の女と結婚したのだぞ!僕は、おまえがこのことを心無いハゲタカ連中から聞かされるのは忍びないと思って――」

「……もしやご存知ではない?」

 とっくに両親のどちらかが話していると思ったが、もしやテオセンは、リリンカの婚約解消の詳細を知らないのだろうか。

「なにをだ!おまえが実家に戻らず私邸に篭っているのは、他の家族に煩わされずに傷心を癒すためだと……違うのか?」

 ぜんぜん違います、とため息をつく。

「どこまでお話ししたものでしょうね」


 全部だ!と拳を握ったテオセンに力一杯言われて、リリンカは結局、ソロー家での顛末を話した。エディアの懐妊の件までだ。

「な、なんたる不品行ッ!以前から気に入らなかったが、バルオンめ、どうしてくれようか!!」

「どうもしなくて結構。せっかく私がまるくおさめたのですから、蒸し返されてはたまりませんよ」

 リリンカとしても、こういった反応が煩わしいから実家に寄り付かなかったのだ……という点を口に出さないだけの慎み深さは、一応持ち合わせていた。

「そんな……おまえはそれで良いのか、リリンカ?」

「良いかと問われれば即答はしかねますが。アッシェラ嬢、もうソロー夫人ですか、彼女の産み月が半年もずれることは隠し通さねばならないでしょう。かわいそうに、子どもがある程度大きくなるまで人目にも触れさせられない。噂が漏れぬようにするのは並大抵では……」

「ええい、おまえは何を言っているのだ。他人の心配なぞしている場合か。醜聞を被るのはあちらの方、ゼアドゥは被害者だ。だが、それとは別に、おまえの婚期が遅れているのは事実なのだぞ!」

 なんだそんなこと、と思わず言葉にして、テオセンから睨まれる。

「確かに20歳は世間で行き遅れと判断される歳ではあります。しかし私自身は今現在、なんら不自由をしていないのです。私は自分のろくで、この私邸や使用人を維持していけますゆえ」

 リリンカの言うことはまったくの事実であった。

 彼女は戦役魔女であり、王の軍隊に所属して力と才覚で自分自身を養える。財産と地位に関するあらゆる権利を男並みに与えられる、女性としては稀有な存在なのだ。

 しかしエルサランドでは本来、淑女は働けず、自身の財産を持てず、相続もできず、結婚できなければ将来的に兄弟や身内のものの厄介になって肩身の狭い生活をするほかない。

「資産の上ではそうかもしれぬ。だが遅くなればなるほど、選択の幅は狭くなるのだぞ。ただでさえ、おまえに釣り合う男などそうそういないというのに」

 兄の言いぶりは、はたして資産や地位のことを指すのか、それともリリンカその人自身の価値を指すのか。後者だとしたらあまりに身贔屓がすぎるというもの。

「思うのですが、兄上。もしも選択の幅なるものが事実として存在しているなら、私はその狭き門に入らねば死活問題となる他の令嬢たちに、道を譲るべきではないかと……」

 テオセンが絶句して妹の顔をまじまじと見たとき、アコーレが居間へ飛び込んできた。

「お嬢さま、テオセン様。ただいま、王宮からの使者が参りまして――」


 リリンカ・ゼアドゥ本人がどう思おうと、彼女は世間から放っておいてもらえるほど、小さな存在ではなかった。

 王国のために高貴なるものの義務を果たすことがなによりの生きがいである。結婚もまた同様に貴族としての義務だが、軍務ほどには熱心になれない。

 そんな内心が誰に漏れたわけでもなかろうが、リリンカはこの後、己の意思とは裏腹に、魑魅魍魎の跋扈する結婚市場に身を投じる必要に迫られるのだった。

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