第35話 見送られて

 時間がないから、出立の準備はバタバタになった。


 部屋から出ると、何かを手に持ったカルロスがそこにいた。


「帰るのか」


 私とテオを見てそう言ったけど、聞くまでもなく分かっていたようだった。


「ディバロの国境付近まで、俺の部下に送らせる。そこまでは、馬車を使え。キーラにはその方が楽だろう。皇家のものだから、速度もそれなりに出せる。それからこれは、俺の私物だが、キーラに譲ろう。座席と馬の鞍に固定しろ。振動が和らぐ」


 子供を気遣ってくれたのか、プニプニとした感触のそんなに厚みのないクッションを譲ってくれた。


「あのギルドのお前の教え子達には、俺から連絡をいれておく。他に何か気がかりな事はないか?」


「それしかない……。ありがとう」


 これ以上ないほどのカルロスの心遣いに、胸がいっぱいになる。


「達者でな。テオドール。キーラ」


 今度は、カルロスから別れの言葉がかけられた。


 その表情はいつもと変わらない掴み所がない感じだけど、眼差しだけは庇護した雛鳥の巣立ちを見送るようで、テオは、少しだけ泣きそうな顔を見せたから、きっと正解なのだろうと思った。


 ギフト所持者として一度国に帰れば、もう出る事は叶わない。


 これがカルロスと会うのは最後かもしれない。


 別に後ろ髪を引かれたりなんかしていない。


 ちょっとだけ名残惜しいだけだ。


 別に、寂しくなんかない。


 それを自分に言い聞かせているのが、カルロスのくせに私にそう思わせるのが、悔しかった。


「やっぱり、カルロスの事は助けて正解だった。もう、うっかり殺されそうにならないでね。じゃあね。カルロス」


 これが私の精一杯の言葉だ。


「機会があれば、お前の子供の顔を見に行こう。ちゃんと、テオドールの言う事は聞くんだぞ。元気な子供を産め」


 カルロスに見送られて、馬車が待機しているところに案内されたけど、それに乗り込む直前に、一つお願い事をした。


「一刻を争うのは分かっているんだけど、どうしても持って帰りたいものがあるから家に寄ってもいい?」


 テオから貰った詩集と栞。


 あと、マリー達がくれた押し花の栞。


 唯一と言っていい、私の宝物だ。


 私の願いは受け入れてもらえて、家に着くなり、それを急いで鞄に入れて、今度こそディバロに向けて出立した。


 もう二度と帰ってこられない、あの家の事は考えなかった。


 テオがいればいい。


 テオとあの家で過ごした思い出も、ちゃんと私の中に残っているから。


 だから、大丈夫だ。


 馬車の中で自分にそう言い聞かせている間、テオはずっと私の手を握ってくれていた。


 国境付近まで帝国の護衛を率いてくれていたのは、いつもカルロスと一緒にうちに来ていた、常に眉間にシワを寄せたあの護衛だった。


「もう、貴方にカルロスが無茶を言うことはなくなるね。ここまで送ってくれて、ありがとう」


 護衛と別れる時にその人に言ったら、


「少なくとも俺がソレを嬉しいと喜べなくなる程には、殿下も俺もあの家で過ごす時間が有意義なものだったのですよ。お元気で」


 初めて眉間のシワを解いて、優しい顔でそんな事を言われたものだから、ただの護衛のくせにと、別れるのが少しだけ惜しかったんだ。


 カルロスの部下達とも別れ、私とテオがその地に足を踏み入れた途端、斑らに点在していた防護壁の名残りが、綺麗に国全体を覆っていた。


 それを横目に、リュシアンに案内されたのは、聖獣を祀っている聖域にある抜け道だった。


 それは、王都と繋がっているそうだ。


 その聖域にあの獣はいないのは分かったが、嫌な場所ではなかった。


 むしろ、包み込まれるような安息感があった。


 王都こそが今は危険な状態なため、私はしばらくそこに留まっていた。


 騎士の一部は、混乱しているミステイル軍を攻撃する為に別の場所へ行くようだ。


 勝利を確実にしていたはずのミステイルは、予想外の展開に陥り、負けるはずがないと、命を惜しんだ兵士達の士気が下がりに下がっていた。


 そんな敵の背後を叩く事は簡単だったようだ。


 ディバロ国王のギフトが文字通り火を噴き、防護壁が復活した為に、補給路を完全に絶たれたミステイルは、決死の抵抗もあり、撤退していくのにそんなに時間はかからなかった。


 一部の指揮官の所へ、ミステイル王国兵になりすましたテオが行って“撤退しろ“と命令したのもあるけど。


 全ての戦闘が終わるのに、そんなに時間はかからなかった。


 それが終わるまで、私は静かに聖域で過ごし、そして、久しぶりに王都へ帰還したけど、なんの感慨もなかった。


 王都の通りには、人が溢れかえっていた。


 皆一様に、鉛のように生気のない顔をしており、表情は暗い。


 住んでいた土地を追われて逃げてきた者なのだろう。


 着の身着のまま、路上に座り込んでいる者ばかりだった。


 これだけの人数が密集していれば、異臭も放つしゴミも散乱している。


 衛生状態は酷く劣悪だ。


 食糧が行き届いているのかも分からない。


 かつての華やかな王都の面影は、どこにもなかった。


 でもやはり特に思うことはなく、関心を向けることもできずにその人達の間をすり抜けて、城へと向かった。


 ただ、私が王都の惨状を目の当たりにして何も感じなかったとしても、テオが同じなわけではない。


 テオは青い顔で俯き、無言だ。


 王都に溢れる暗く重苦しい感情の塊を、ダイレクトに感じ取っていたのは分かる。


 そんなテオにかける言葉が見つからなくて、馬車の中で私にそうしてくれたように、手を握ってあげることしかできなかった。


 出来る限り人目につかないように城内に入ると、待機室に通されて休むように言われ、先に国王に話しをしてくると、若干怒りを滲ませてリュシアンは出て行った。


 それからどれくらいの時間が過ぎたのか、しばらくして、廊下をカツカツと走ってくる音が聞こえた。


 ガチャリと開けられた扉の前には、国王と思われる男が立っていて、その人の腕を、リュシアンが引いて止めようとはしていたようだ。


 初めて見るその人は、スカーレットの髪を持つ私と同じ顔をしていて薄ら寒くなった。


 ああ、この人は本当に私の父親なのだと、そう思える相手だった。


 国王は、私の姿を認めるなり、目を見開いて微動だにせず、いつまでこのままでいるつもりなのか眺めていると、


「すまなかった……」


 何に対してなのか、突然そんな事を言って頭を下げてきた。


 頭に血がのぼるのがわかった。


「今さら謝られたって、気持ち悪いだけなんだけど」


 人を不快にさせることしかできない謝罪など、いらない。


 私を無責任にこの世に誕生させたこと、そのせいであの公爵家でされた仕打ち、そしてこの人に無慈悲に処刑されようとしたこと、どれをとっても謝罪された所で許せるものではないし、許すつもりもない。


「私の罪と、公爵家の罪を明らかにして、ブランシェットの当主は必ず断罪する。公爵家は取り潰し、重罪として処罰する。ギフト所持者であるキーラを虐待した罪は、必ず償わせる。もちろん、私もその罪は同じだと……すまない」


 私が何も言わずに睨んだままだから、リュシアンに促されてそいつは最後までは言わずに出て行った。


 またリュシアンから、不快な思いをさせて申し訳ないと謝られた。


「ブランシェット公は拘束される。そうされるようにすでに勅命は出されているから。恐らくは、もう牢の中に入れられている」


 その言葉に、ザマーミロと内心思いかけていたら、甲高い声が響いた。


「何でそんな酷いことを!!!!」


 リュシアンが帰ってきたと聞いてここに来たのだろう。


 制止を振り切って許可もなく飛び込んできたのは、ローザだった。









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