きみの物語になりたい

大臣

プロローグ

 キーボードから最後に手を離したとき、指先がと引きはがされるような感触があった。自分がやっていることが、いまでも許されないと思っているからだろうか。

 それでも私は止まれない。薄暗い研究室の中、目の前に書き込んだプログラムの羅列を確認する。ミスはない。ちゃんと問題なく動作するはずだ。とはいえ、怖いものは怖い。体の中に重しがあるような感覚が嫌で、仕方がないので一度深呼吸したが、すぐにせき込んでしまった。ここ数日掃除をしていなかったからだろうか。さらに埃が舞ってしまった。

「はぁ.......」

 これから一世一代の勝負をするというのに、これでは幸先が悪い。普段ならこんなこと気にならないのに、今の自分は不安になっている。これじゃだめだと、また大きくため息をつく。

 私は立ち上がって研究室を出た。外の廊下も蛍光灯はついておらず、非常灯の赤がやけに不気味だった。それでも、迷うことはない。何度も進んだ廊下だ。

 研究室を出て右に二十四歩。角を左に三十一歩進めば、目的地はある。

 取り扱い上は「貴重な研究の資料の保管庫」ということになっているので、部屋に入るためには認証キーが必要だ。そして、その研究は私のものなので、当然キーは持っている。確かここのことが週刊誌にリークされたときには「親友を実験材料にする狂気の天才科学者」と題された記事が回されそうになった。事前に分かったため差し止められたが、まあ間違ってはいない。

 部屋の中央、様々な計器が中身をモニタする棺の中、彼は横たわっていた。はた目からは眠ったようにしか見えない。でも実際は違う。

 そのきれいな顔があんまりにもあのころと変わらなかったからか、自分の目頭を意識してしまう。でも、それがいい喝を入れてくれた。しゃんとしろ、と自分に呼びかける。そうだ。私は、このために。

「大丈夫。あなたの物語は、私が綴る」

 研究室に戻る前に彼の顔をしっかりと見据えて、私はそう言った。

 また暗い廊下に足音が響く。それでも臆してはいけない。これから私は神様にケンカを売りに行くのだ。

 研究室のパソコンの前に座って、最後の動作確認をする。すべては問題なく動作する。

 最後にもう一度だけ深呼吸をして、私はプログラムの実行ボタンを押した。

 __さあ、あの子を取り戻そう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る