君の笑顔も縹渺で

折葉こずえ

第1話 巣立ち

 巣立ち



 「菜端穂なばほ、出来るだけ週末は帰ってきてね」

 母が心配そうに玄関で私を見送る。

 西向きの玄関。下駄箱の上には母が世話をしている金魚の水槽。モーターがコポコポと音を立てながら空気を送り込み、その気泡の間をユラユラ泳ぐ金魚達。

 私は普段は使わない靴ベラを使って靴を履きながら、

 「うん、わかってるよ」と返した。

 とは言ったものの、正直、盆と正月位しか帰省する気は無いんですけどね。お金もかかるしさ。すまぬ、母よ。


 私はリュックの中にスマホが入っているか確認し、

 「じゃあ、お母さん、行ってくるね。寮に着いたらLINEするから」


 「うん……気を付けてね」

 そう言った母の目は少しだけ潤んでいる気がした。

 胸が締め付けられるのを感じながら、しかし私の目にも涙が溢れ出す前に玄関のドアを開け外に出る。

 涙に気付かれないよう素早く振り返って、再度手を振り、

 「じゃあね」

 と言ってドアを閉めた。


 門の外に出ると、隣のクリーニング屋さんの奥様がプランターの植物に水をやりながら、「あら、菜端穂なばほちゃん、お出かけ?」と声をかけてきた。

 「うん、しばらくお出かけしてきます」と、意味深な言葉を残し足早にその場を去る私。

 3月下旬というのに今日は幾分寒い。スーツケース内の荷物を減らす為に季節外れのコートを羽織ってきたが正解だったようである。



 私はこの4月から静岡県の隣、神奈川県にある、私立旭第一高校に入学する。

 旭第一高校は願書さえ出せば受かるという、いわゆる最後の最後の本当に最後の砦の最底辺高校である。

 だけれど、私は決して勉強が出来ないという訳ではない。むしろ中学時代はクラスでも上位を争う程には勉強が出来た方である。いや、本当に。



 「何故あの高校なんだ? 水原なら県内の上位校も十分狙えるのに」と首をかしげる当時の担任。

 この担任には解ってないのだ。何故なのか。説明する必要もないし、する気もない。

 中学時代の担任は再三、私を県内の上位校に進学させようとしたが、私の決心が変わることは無かった。




 私が旭第一高校に進学を決めた理由……。




 孤立するきっかけなど本当に些細な事。




 まだ中学1年生だったある日の事、私は月のモノが普段よりも酷く、かなり気分が悪かった為に学校を休んだ。理由は体調不良ということにして。


 昼食後、幾分体調が良くなった為、少し喉も乾いていたこともあり近くの自動販売機までジュースを買いに行ったのだけれど、自販機に小銭を投入している時に私の後ろに人の気配を感じ、何気なく振り返るとそこには一人の男子学生がいて彼も私を見ている。

 (あれ? 彼は)


 クラスメイトの沢村剛也さわむらごうや君だ。

 沢村君はいわゆる悪ガキという少年で、喧嘩も強いらしくクラスでも恐れられている存在である。身長も高く普通にしてればカッコイイのに勿体ない事だ。

 正直、あまり関わりたくない種類の人である。

 こんな時間にこんな場所で何してるんだろう、まだ授業中のはずなのに。


 沢村君はしばらく私を見ていたんだけどすぐに目を逸らし、何も言わずそのまま立ち去ってしまう。

 何だったんだろう。



 翌日、朝のホームルームの時間、担任の先生が教室に入ってきて起立礼の後席に付いた時である。


 「先生! 昨日水原が体調不良で休んでいたくせに外で遊んでいるのを見かけたよ」

 と言う声が聞こえた。


 えっ!? と思い声の主を見ると、昨日、自販機の前で会った沢村君だ。

 私を一瞥した後、すぐに先生の方に視線をやる沢村君。


 次に先生から発せられた言葉は、




 「本当か? 水原」




 ――本当か?―― こんな風に聞くものだろうか。外で遊んでいたかそうでないか。この二択しか先生の頭の中には無いのか。




 「ち、違います」

 私は慌てて否定するけど、


 「だって外にいたじゃねぇか、お前。俺見たぞ。お前も俺に気が付いたろ?」

 「そうだけど別に遊んでいたわけじゃ。ジュースを買いに外に出ただけだよ」

 必死に言い訳をするけれど、


 「え? ズル休みなの? 水原」


 「嘘つきじゃん」

 と他のクラスメイト達も沢村君に加勢し始めたのだ。


 沢村君だって同じ時間に外にいたじゃん、と思ったが声として出てこない。


 (違う。なんで?)




 今思えば、クラスでも恐れられている沢村君の言葉を諫めて私を庇ってくれるような人などいる訳がない。

 泣きそうになりながら先生の方を見るけれど、先生は教壇の机に両手を付き、じっと私の目を見つめるだけで何も言ってくれなかった。

 周りの騒ぎが益々大きくなった所でようやく先生が口を開き発した言葉が、

 「静かにしろ。出欠取るぞ」



 結局先生は最後まで私に事情を聴いたり、騒いでいるクラスメイト達を諫める事は無かった。

 中学1年生の女子が体調不良の本当の訳を大勢の前で説明できる訳も無く、ただ黙って俯くしか無かった。




 その後、事あるごとにクラスメイト達は私の事を、


 「嘘つき」

 「仮病女」

 などと呼ぶようになり、沢村君に逆らう人などおらず、私はクラスのみんなからつま弾きにされるようになってしまった。


 私と仲良くすると沢村君に目を付けられるのが怖いのか、仲の良かった子達もいずれ私を避けるようになった。




 何故、沢村君が私にあんな仕打ちをしたのか今となっては解らない。

 沢村君とは2年生以降別々のクラスになってしまった為、結局卒業まで真意を聞くことは出来ず、会話をしたのもそれが最後だ。


 あの日以来、私は孤立し、誰にも相手されない空気のような存在になってしまい、次第に私からもクラスのみんなに話しかけることも無くなった。


 私の中学の3年間はまさに孤独。

 言っておくが私は決してコミュ障という訳ではない。ただ一人ぼっちだっただけである。野良ネコやてんとう虫にだって平気で話しかける。うん。いたってコミュ障ではない。



 ――もうみんなと一緒にいたくない。この人達と同じ高校に行きたくない。私の事を知っている人が誰もいない高校に行きたい。この街から出たい――

 



 という訳で寮のある高校に行きたかった。この街を出たかった。逃げ出したかった。そこで見つけたのが旭第一高校である。

 不安が無いかと言われれば、そりゃ不安だ。親元を離れ知らない街へ行くのだ。さらに言えば悪評名高いあの高校なのである。

 それでも私にとっては新しい街で学校生活をやり直す希望の方が勝った。


 隣県の高校に行くことを母に相談したとき、当然反対された。


 「私、友達がいないの。孤立してるの。みんなともう顔を合わせたくないの。この街を出たいの」

 表情を変えずにそう告げたとき、母は黙って涙を浮かべていた。そして最後に、


 「ごめんね、気が付かなくて」

 と言った。

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