桜田門 特別対策本部

警視庁 大会議室

 庁舎の17階に位置するこの大会議室。現在ここには、進行中である東西線乗っ取り事件の特別対策本部が設置されていた。これを取り仕切るのは小笠原刑事部長である。

「南砂橋周辺、避難完了」

「門前仲町はもう1時間程度掛かるとの見込みです」

 地下鉄とはその名の通り、地下を走る鉄道だ。地上には様々な物が満ち溢れている。都内の何所で爆発しても被害は測り知れないものになるだろう。現状としては、駅周辺の半径2キロ圏内から関係者以外を完全退避させる方向で動いていた。

 最も骨が折れる作業として線路沿いの避難がある。半径の設定は出来ないので高架橋が幅1キロに広がったと考え、その範囲内に居る民間人を退避中だ。

「千葉県警より入電、西船橋から浦安にかけての退避完了。総武線、総武本線、京葉線、武蔵野線は西船橋への乗り入れを中止。折り返し運転などの対応を実施中です」

 あの辺りはベッドタウンだ。事件が長引けば大勢の帰宅難民が発生する。バスの振り替え輸送にだって限界はある。帝京地下鉄首脳陣の判断を待つしかないが、使える時間は限られていた。

「葛西及び西葛西も退避を完了」

「これで残るは……」

 中野方面に関しては神楽坂までの退避が完了。残りは神楽坂から西葛西の間だ。この区間に関しては簡単に事が運ぶとは思えない。ギリギリか、もしくは全員の退避が完了しない内に何らかの形で決着がつく可能性もある。

 と、小笠原はここで重大な部分に気が付いた。東西線は九段下から大手町に掛けて皇居に沿う或いは一部が食い込む形で走っている。もしもこんな所で爆発すれば大ごとだ。警察の面子は丸潰れになるだろう。

「皇居の方はどうなっている」

 小笠原の問い掛けでこの場に居る全員が顔を見合わせた。何人かの顔から血の気が引くも、警備部の理事官が立ち上がって説明を始める。

「宮内庁とは話がついており、職員たちと共に赤坂御所へ一時的に移動される手筈となりました。一機及び二機から護衛の中隊及び特科車両隊も随伴しています。既に皇居からは出られているのを確認済みです」

 この報告で小笠原以外の刑事たちも胸を撫で下ろした。あの辺りで爆発させる訳にはいかないが、これで最悪の事態だけは回避出来る。

「刑事部長。東京駅に向かった丸の内南署と中央署の合同班より報告です。JR、都営及び帝京地下鉄、各新幹線共に駅構内から退避を完了。新幹線は上野と新橋までの運行として東京駅には電車を入れない方針で折り返し運転を実施。他の路線に関しても、東西線乗り入れがある路線は該当駅に入らず手前までの折り返し運転中」

 伝令係がそう報告した。この短時間でよくやれたと改めて思う。ラッシュの時間ではないとは言え、今も電車で移動している大勢の人たちが居るのだ。この事件が与える影響は計り知れない。これが犯行グループの直接的な狙いではないらしいが、混乱を齎すのも彼らの目的であるのは間違いないだろう。


 小笠原の手元に置かれた電話が鳴った。内線の音だ。液晶に出ている番号は警視総監室である。

「……はい、小笠原です」

 幾分か緊張しつつ受話器を持ち上げる。相手は言わずもがな、警視総監こと久保田だ。

「私だ。犯行グループの身元を割り出すため、警察庁から午後一で公開捜査に移行せよとの通達があった。顔が判明している者だけで構わない」

 公開捜査。確かにこれを行えば、現在身元が一切分かっていない犯行グループの内で数名は何かしら情報が得られるだろう。しかし、こうなって来ると鎮圧のために"射殺"と言う選択肢が使い難くなる恐れがあった。だが警察庁からの通達となれば、もっと上の方で決められた方針の可能性も高い。

「承知しました。因みに、何らかの閣議が行われた結果でしょうか」

「皇居に一部食い込んでいる路線が複数あるとは言え、その内の1つでの事件だ。国交省は気が気がじゃないだろうさ。まぁ、直接的にどうこうするのはこちらの仕事だ。可能な限り被害は抑えなければならないが、どうにもならないのなら止むを得まい。あまり気負い過ぎるな」

 そうは言われても、場合によっては数百人単位での犠牲者が出る。その内の何割が警察官になるのだろうか。考えただけでも恐ろしい事だ。

「もう1つ宜しいですか」

「何だ」

「射殺命令を出したとして、それが撤回される可能性はありますか」

 小笠原の発言でこの場に居る刑事たちの視線が集中する。もし犯人たちを射殺せずに制圧するとなった場合、どんな手段があるのだろうか。最も穏便な方法としては要求を呑む事だが、それは帝京地下鉄の経営陣次第だ。あくまで要求に従わないとなった時、どうやって鎮圧するのか。そもそも可能なのか。簡単に答えの出る問題ではない。

「その辺はもう少し話を詰めなくてはならん。察庁の方では、他に手段が無いのなら全員射殺も辞さない構えらしい。それで人質が救えるかどうかは何とも言えないがな。難しい事件だ」

 取りあえずでも、殺さずに確保する最も困難な手段が前提にされないだけ有難かった。正直な所、実力行使で殺さずに制圧するのは不可能に近い。車内へ踏み込んだ瞬間にドカンだ。

「それとこれはまだ未確定な情報になるが、防衛省にも協力を仰ぐ方向で考えているらしい。場合によっては空挺か、もしくはその上の、何だったか、Sとか言う連中が現場に混ざる可能性もある」

 あの噂に名高いSこと特殊作戦群。陸上自衛隊における公式な特殊部隊として存在しながらも、未だに謎の多い部隊だ。性質上から情報の公開が制限されているのは仕方ないが、警察側としてもある程度は事前情報が欲しい所である。

「…………それは公式での参加となるのでしょうか」

「まだ分からん。SATと同じような風貌で見た目をカムフラージュして来る確率は高そうだ。どっちにしろ、その件も進展があれば伝える。今言えるのはこれぐらいだ」

「承知しました。その件に関してこちらで捜査員に公表はして良いでしょうか」

「頭の片隅に入れておく程度と釘を刺した上でなら許可する。現段階では以上だ。また動きがあれば連絡する。では切るぞ」

「はい」

 電話の向こうで受話器を置く音がした。それを確認してからこちらも電話を戻す。そして小笠原は、久保田警視総監によって齎された情報を伝達し始めた。

「総監より新たな情報を得た。第一に、犯行グループ身元割り出しのため、午後一で公開捜査に移行する事が決まったそうだ。現状で顔が判明している被疑者に限定して、中野駅で撮影された顔写真等を使用する事になるだろう。第二に、先ほどの会話で耳にしたと思うが、犯行グループの射殺に関しては察庁もほぼ賛成らしい。詳細はもう少し詰める方向で進んでいるようだ。第三に、防衛省にも協力を要請して、もしそれが受諾されればの話になるが、陸上自衛隊の特殊部隊から応援が来る可能性があるとの事だ。しかしこの件に関しては頭の片隅に置いておく程度で良い。どうなるかはまだ分からない」

 3つの情報で大会議室が一斉にザワついた。特に最初の公開捜査と最後の自衛隊特殊部隊の件はこの場に居る者たちを驚かせた。

 次第に大きくなる声量を、それまで沈黙を貫いていた成川捜査一課長が鎮める。そろそろ会議を進めなくてはならない。時間はあまり残されていないのだ。小笠原もそれを察して言葉を繋げる。

「残りの駅周辺における避難状況は適時報告を願う。続いて、午後一の公開捜査が決定した件は一先ずとし、今回の事件が帝京地下鉄に恨みを持つ誰かによって引き起こされた可能性。即ち金本が本当は実行犯なだけで一連の事態を起こすように教唆した者が存在したかどうか。それが帝京地下鉄以外の鉄道会社。私鉄及びJR内部で何らかのトラブルもしくは実行の引き金と成り得る不正な金が動いたかどうかについて二課長より報告を」

「はい」

 立ち上がった北杉捜査二課長がこの1~2時間で可能な限り集めたデータの報告を始める。

「まず都営各社においてですが、現状のデータでは特に怪しい金の流れは確認出来ませんでした。JRや私鉄及び関連企業についても同様です。至極個人的見解になりますが、本件において愉快犯は存在しない可能性がありますね。仮に金本が愉快犯となると、自爆テロの実行は辻褄が合わなくなるように考えられます。知能犯となればもう少し情報を集めないと確かな事は言えません。また、火薬製造工場やダイナマイト工場においても、特に目に付くようなものは見られませんでした」

 金本が"要求が呑まれない場合は全員で自爆テロを慣行する"と発言している以上、結果的にはそうなっても構わない訳である。そこまでやるような愉快犯は居ないだろう。死んでしまっては元も子もないのだ。

「組対は何か情報を掴んでないか」

「これと言って犯行声明のような物は確認出来ていない。もし何かしらで敵対している組織同士が本件を抗争の隠れ蓑にしているとしても、何所で爆発するか分からないようでは自分たちもダメージを受けかねない筈だ。暴力団関連も完全にとは言い難いが、ほぼ排除して構わない要素だと考えている」

 組織犯罪対策部の部長がそう答えた。昨今の条例強化などにより、暴力団も殆ど影を潜めてしまっている。たまにその手の犯罪は起こるも、回数的には減少傾向にあった。しかしこれは裏を返せば連中のカムフラージュ率が高まって表面化していない事でもあるが、今回のような事件は連中のやり口ではない。

 ここで小笠原は時計を見た。現在の時刻は11時を少し回ったくらいだ。

「各員、少し早いが交代で昼休憩にしてくれ。午後一の公開捜査に向けて態勢を整えるぞ」

 早めの昼休憩を取る事とする。大会議室に居る半数が立ち上がり、施設内の食堂や自分たちの所属するフロアに戻り出した。

 

 交代の昼休憩も無事終わり、人によっては軽い睡眠を済ませた午後12時50分。大会議室には再び全員が再集合を終え、午後一から行われる警察庁の発表を待っている。

 天井から吊られている大型テレビのデジタル時計表示が、59分を示した。ニュースのキャスターが午後1時から現在発生中の事件における警察庁公式発表のため、通常の編成ではない特別番組が行われる事をアナウンスする。そして時刻が1時ちょうどになった瞬間、画面は切り替わった。映っているのは警察庁庁舎内の一室で、横に置かれた長テーブルに3名が座っているのが分かる。

「午後1時になりましたので、これより帝京地下鉄東西線で発生中の車両乗っ取り事件における、警察庁公式見解の場を設けさせて頂きます。まず最初に、犯行グループの身元割り出しのため、本件を公開捜査に移行する旨をお伝え致します」

 幾重にも瞬くフラッシュの中、3枚の顔写真が公開された。これは中野駅で撮影された画像を可能な限り綺麗な状態で拡大印刷したものである。

「現在判明しているこの3名に関する何らかの情報をお待ちしております。電話番号はこちらになりますので、市民の皆さんのご協力をお願い申し上げます」

 "帝京地下鉄東西線乗っ取り事件情報提供先"と書かれたプレートに黒字で印字された電話番号が見える。報道のカメラが捉えたそれは、地上波の映像として日本中に広まっていった。


目黒区周辺

 1台の覆面パトカー。警視庁碑文谷警察署の刑事組織犯罪対策課に所属する2人の刑事こと堀内ほりうち坂東ばんどうは、繰り返し放送されて10分程度が経った公開捜査の報道を車内で見ていた。

「さて、これでどうなるかな」

「少しは進展するか否か」

 ここで無線の呼び出し音が鳴った。碑文谷署ではなく警視庁の共通系無線からの呼び出しである。

「警視庁から各局、目黒管内各移動、八雲周辺で待機中のPCありませんかどうぞ」

 助手席の堀内が受令機に手を伸ばした。通話スイッチを押し込んでそれに答える。

「碑文谷6から警視庁」

「警視庁、碑文谷6どうぞ」

「現在地は都立大学駅前南口、八雲は目の前です。どうぞ」

「警視庁了解。公開捜査における情報の第一報が入った模様。氏名、櫻木亮太さくらぎりょうた、年齢27歳。無断欠勤で連絡が取れず、放送を見た勤務先上司から本人かも知れないとの情報。住所、八雲4丁目26-1、八雲4丁目26-1、ポート八雲2階、2001号室、至急確認に向かわれたい。以上、警視庁」

「碑文谷6了解、直ちに向かいます、以上」

「警視庁から碑文谷」

「碑文谷です、どうぞ」

「えー念のため支援可能な移動あれば向かわせて下さい、どうぞ」

「碑文谷了解」

 署と本庁のやり取りを聞きつつ堀内が受令機を戻した。それを横目に坂東はエンジンを掛けて車を発進させる。

「無駄じゃないか? 既に犯行に及んでいる人間の家に行った所でどうなる」

「身元を割り出すのが目的だ。そこから解決の糸口が見つかるかも知れないだろ」

「要求呑んで人質全員解放、犯人も全員確保、それでお終いだろ。一番安全な解決策じゃねぇか」

「それを判断するのは帝京地下鉄の経営陣だ。まぁ、どう転ぶか分からんがな」

 面倒ごとが嫌いな性格の坂東は、要求を呑んでしまうのが事件解決最速の道だと考えているようだ。確かにそれも選択肢の1つであるのは間違いない。 

 10分とせず、覆面車は目的地の住所に到着した。2階建てのよくある賃貸。色は薄い黄色。ベランダ側に古めの雑居ビルがあるお陰で、日当たりは悪そうだ。2人がそんな事を考えている内に覆面車がもう1台到着。4人も居れば何とかなるだろう。

「碑文谷6から警視庁、当該住所に現着した。これより確認に向かう」

「警視庁了解。受傷事故等に注意して当たられたい。続報を待つ」

 覆面車から降りる前に、2人は懐の拳銃を確認した。私服の下は防刃ベストを着ている。少しゆったりした上着を羽織り、それに気が付かれないようにはしてあった。

「行くぞ」

「了解」

 もう1台から2人の刑事が降車するのを確認した堀内が先に降りる。坂東もそれに続き、賃貸の階段を静かに上って行った。

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