第12話 生きられなかった人の分まで生きる

 今日は月に2回の矯正指導日きょうせいしどうび


 矯正指導日とは、月に2回、工場での就業が免除され、その代わりに読書やビデオの視聴等の矯正プログラムを行う日である。


 他の部屋では巡回の刑務官の目を盗んでペラを回しているらしいが、この部屋には衛生係の浅野あさのさんがいるので、この部屋の部屋人達は仕方がなく面白くもない矯正プログラムを真面目にこなすのである。


 不正が大好きな部屋の2番手である坂田さかたさんも、流石に浅野さんの目の前で不正をする気はないらしく、大人しく本に目を落としている。


 静まり返った部屋の中で本の世界に没入するのは、私にとっては至福の時間なのであるが、坂田さんや、3番手の関根せきねさん、そして4番手の石田いしだ裕二ゆうじは苦悶の表情を浮かべている。


 ビデオ視聴の時間になってテレビが点くと、NHKで放送されている、あらゆる分野のプロフェッショナルに密着するドキュメンタリー番組の録画映像が流れ始める。


 今日のゲストは、現役のサッカー日本代表選手という事で、先程までと打って変わって、坂田さんと関根さんと裕二は目をキラキラ輝かせている。


 ビデオ視聴後の感想文の事など、まるで忘れてしまったとでもいう様に、生い立ちや世界で戦う為の秘訣を惜しみなく語るサッカー日本代表選手の言葉に耳を傾けている。


 【人は成功する為の方法を知りたがりますが、成功というものには再現性がないんですよ。成功というのはアートの様なものだから、仮に、私と全く同じ生き方を選んだとしても、サッカーの日本代表選手になれる可能性は限りなく小さい。私という人間にとって、私の歩んできた人生は、ある側面では上手くフィットしましたが、それは誰にでもフィットするものではないんです】


 坂田さんと関根さんと裕二は、関心した様に、うんうんと強く頷く。


 【だから成功に学ぶのではなく、失敗に学ぶべきなんです。人の失敗を学び、同じてつは踏まない様にして、成功の確度を上げる。そうやって一歩ずつ足を前に踏み出していけば、いつかきっとそれぞれの夢に辿り着けるはずです】


 気持ちを高ぶらせるBGMと共に、日本代表選手がフェードアウトしていく。


 テレビが自動的に消えると、感想文を書く時間がやってきた。


 私と浅野さんは、苦もなく感想を書き進めるが、あれ程熱心にビデオを視聴していた3人は、何もないくうを眺めたまま、思考が停止してしまっている。


 苦しみながらも3人が何とか感想を書き終えた所で、今度はラジオが流れ始める。


 【被害者遺族の声】というタイトルのラジオ教材が始まった。


 【私の息子は、ある日突然命を奪われました。息子は仕事からの帰宅途中で犯人に襲われ、ナイフで数ヶ所を刺された後で財布から4千円を抜き取られ、路上に放置されました。通行人に発見されて病院に搬送された時にはもう手遅れで、息子は短い生涯を終えました。たった4千円の為に、息子は命を奪われたのです】


 理不尽な話だ。


 この世界では、真面目に生きていたって誰もが報われる訳ではない事は知っているけれど、でも、あまりにも理不尽ではないか?


 【犯人の事は憎いです。今でも許す事は出来ません。でも、死んで欲しいとは思いません。私が彼に望む事はただ一つ。生きられなかった人の分まで生きて下さい。それだけです。息子には夢がありました。私にも、息子の夢の果てを見るという夢がありました。でも、もうそれは叶わぬ夢です。だから、せめて、生きたくても生きられなかった息子の分も、犯人には精一杯、命懸けで人生を生き抜いて欲しいのです】


 力強い女性の言葉に、私は心を打たれた。


 生きられなかった人の分まで生きる。


 この部屋の受刑者達は、誰も人の命を奪ってはいない。


 それでも、彼らの顔を見れば分かるし、もちろん私もそうであるが、彼女の強い言葉に感化された。


 生きられなかった人の分も生きる。


 私も含め、この部屋の全員が心で誓った。


 精一杯、命懸けで今を生きると。

 


 


 


 

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