過ぎ去りし時3

「……僕は男を殺した。そして気が付けば室内でもなくなり男も消え、姿も今まで通りの木に戻っていた。まるでそれが単なる夢だって言うみたいに体には藁人形も釘も無くなっていたけど――でも不思議と気分は今まで以上に良かったよ。それから一人また一人と人が訪れては憎悪の籠った釘を藁人形越しに打ち付けた。僕はその度に体を手に入れ対象の人間をこ――その人の想いを伝えた。それを繰り返せば繰り返す程に僕の噂は広まり訪れる人間が増えたんだ。そしてついに僕は邪神にまで成った。自らの力で体を手に入れ人々の願いを聞けるようにね」


 再び開いた彼の双眸は私を真っすぐ見据えた。真剣な表情と共に。


「彼も僕も所詮は人間の願いから生まれた神なんだよ。そういう意味では変わらない」


 すると寿々木さんは噴き出すように笑みを零した。突然の事に私は置いてけぼりにされ、ただ彼を見つめるしかなかった。


「って君に言っても意味ないね。今は気分が良いからかつい話したくなったんだ。ごめん」


 そして彼は出会った時を再現するかのような優しい微笑みを浮かべた。


「心配しなくても彼には何もしないよ。どうせもうすぐ終わる。神と言えど所詮は人間の都合によって状況は変わるんだ。以前は島の守り神として崇められてた彼も今じゃこの様だし」


 まるで自分でも見るような視線を真口様へ向けていた寿々木さんは立ち上がり顔を逸らすように踵を返すと拝殿まで足を進めその階段に腰を下ろした。

 そしてそれぞれの膝の上にそれぞれの腕を乗せ手を組んだ彼は私の方へ真っすぐま視線を向けた。


「止めた方がいい」


 ゆっくり首を横に振り口にしたその言葉の意味はすぐには分からなかったが、背後から聞こえた音に振り返ってみると。そこには立ち上がった真口様の姿があった。


「何もしないとは言ったけど、それはそっちが何もしなければだからね。さっきみたいな事をされちゃこっちもやるしかなくなる」

「どの道、儂の末路は変わらん。ならば最後にあ奴の言っていた事の為に力を尽くすまでだ」


 真口様は鋭い視線を真っすぐ寿々木さんへ向けながら前足で私を横へ移動させた。


「それは神としてかい? それとも彼女の友として――かい?」

「どうでもいい」


 そしてこれ以上話す必要はないと言うように言葉の直後、真口様は走り出した。寿々木さんへ向け真っすぐ。


「それは残念」


 寿々木さんはその姿を見つめながら零すように言った。

 すると突然、あの箱から出て来た黯く禍々しい何かと似たモノがオーラのように彼から溢れ出し始める。だがそれはただユラユラと湯気のように不気味な動きをしているだけ。かと思われたが見えない境界線でも超えたのか突如としてそれは尖鋭な触手として真口様を強襲し始めた。しかも一本ではなく二、三、四……数えている間にも先頭の一本が真口様の元へ到達してしまう程の数だ。

 そして瞬く間に最初の一本と真口様がいつ戦闘が始まってもおかしくない距離まで近づくと先手を取り触手が一閃。鋭く襲い掛かった。

 だが触手の動きとほぼ同時といっていい速さで真口様は動き始めその攻撃を難なく躱す。

 しかしその一本を皮切りに触手は真口様へ狙いを定め次から次へと容赦ない攻撃の雨を浴びせた。その中を真口様は力が弱まり、傷を負っているとは思えない俊敏な動きで躱し、獰猛な牙と爪で噛み千切り、切り裂き、確実に寿々木さんとの距離を縮めていく。

 でもそれが多勢に無勢という事に変わりなく真口様が進むにつれ参道には鮮血が滴り飛び散っていた。

 しかしながら雉と鷹でない事を証明するように傷を負いながらも真口様は拝殿前の階段に悠々と座る寿々木さんの元まで辿り着くと、勢いそのまま彼へ襲い掛かる。

 牙を剥き出しにし爪を構え飛び掛かる真口様。それを余裕の二文字と共に受けて立つ寿々木さん。

 その瞬間、私は既視感に包み込まれた。

 そして泰然自若な寿々木さんはその理由を説明するかのように、目と鼻の先まで迫った真口様を枯葉でも吹き飛ばすように容易く束になった触手で殴り飛ばした。参道に体を叩きつけられながら私の傍まで戻ってきたその光景は最初を再現するようだった。

 それは私も同じでその再現に沿い行動するかのように真口様の元へ。


「大丈夫?」


 傷だらけのその姿に私は怖くてたまらなかった。それに真口様を助けるつもりだった結局、自分は悪い事をしてしまったという自覚も。

 だからその所為で真口様が傷を負い苦しむ姿に酷く罪悪感を抱いてしまう。私の所為で、そう思えば思うほど怖くて泪に瞳が潤む。


「……問題ない」


 今にも消えそうなか細い糸のような声。

 そして真口様は荒れた息を止め痛みに耐えながら重そうな体を起こした。立っているのがやっと。そう思える真口様だったその双眸には、依然と闘志の炎が燃えていた。

 でも今の彼が大丈夫じゃないことぐらい私でも分かる。もう一度立ち向かったところで結果は火を見るよりも明らかだった。

 だから私はそんな真口様を助けたい一心で彼の脚に抱き付いた。いや、もしかしたら一心ではなかったのかも。私は自分の所為でどんどん悪化してく状況下で真口様が死んでしまうという最悪の結果を防ぎたかったのかもしれない。彼の為というより自分の為に。どの道このままじゃ真口様は消えてしまうけど、その時の私はきっと今しか見えてなかったんだろう。

 子どもは大人よりも今を生きているから仕方ない。


「ダメ! 行っちゃダメ!」

「彼女の言う通り。どう足掻いたところで今の僕と君じゃ、どんでん返しは起こり得ない。それぐらいは神である君も分かってるはず」

「言ったはずだ何をしようと末路は同じだと」

「避けられぬ死を背負った者に恐れはない、と。でももしそこを一歩でも動けば僕はトドメを刺さざるを得ない。その子の言葉を無視してまで死を早める必要が本当にあるのか、今一度考えるべきだと思うけど?」


 この点に関してだけは寿々木さんと同じ側に立っていた私は抱き付いた腕をそのまま真口様を見上げた。訴えるような表情で。

 そんな視線を感じ取ったのか真口様は少し遅れて私を見下ろした。

 暫し交差し続ける視線。その間、私は真口様が無事でいる事を願い彼は――何を考えていたんだろう。神様として私の願いを受け取ってくれていたんだろうか。

 でも私にそれを知る術はない。だけど彼の行動だけは私も知ることが出来る。というより見ることが出来る。

 私から視線を外し寿々木さんへと戻した真口様。そして私が抱き付いている脚とは反対の前足を彼は一歩踏み出した。空気を掻き分けるように前へ出された足が地面に触れたその瞬間――。

 私の瞳が取り込み私の脳が記憶するのも見るのも拒んだその光景は、地面から飛出た数本の触手が真口様の体を貫くというものだった。四方に飛沫しその場に零れるそれは血であることを疑いたくなる程の量で、あっという間に私の足元まで広がる血溜まりを作り上げた。触覚、視覚その次は、頭上から聞こえた血を吐く声。

 まだ理解は追いつかない。だけど私の理解など待ってくれるほど世界は寛大じゃない。その間も時間は進み状況は更新され続ける。

 そして真口様は血溜まりの中に倒れた。体を地面に叩きつけ血を飛び散らせ倒れてしまった。幸い私は潰されなかったが服は血に塗れ、なのに頭は真っ白。

 私は血溜まりも気にせず膝を着くとピクリとも動かない真口様の体に触れ軽く揺らした。


「――ねぇ……」


 相変わらず訳が分からなかったが寝ている彼を起こすような感覚で何度も体を揺すった。


「ねぇってば……」


 だがいつものように目は開かずそれどころか両手からは呼吸すらも感じられない。時間の経過と共に段々と嫌でも頭が彩られていく。それに伴い私はより強く彼を揺らした。頭の中を否定するように。


「起きてよ。一緒に遊ぼ」


 しかしいくら体を揺らそうとも真口様は何も答えてくれなかった。

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