第2話 インターナル・ヒロイック《 Ⅱ 》

「お前、ここでなにしてんだ?」

 質問をすれば彼は目を丸くした。

「話、聞いてなかったのか?」

 返されたのは質問だった。


 やばい。確かこの作戦会議をしていた時、全く別のことを考えていた。なんとかして誤魔化さねば。だが残念ながら上手な誤魔化しかたが分からない。

 よくよく考えた結果、目の前の灰がよくやる誤魔化し方をすることにした。


 つまり笑った。

 だが問題として、それまで満足に笑ったことがなかった。特に彼のような人のいい笑みなんて浮かべたこともなかった。

 結果、ひきつった邪悪な笑み――いや、もう笑とはおおよそ言い難いそれを浮かべた胡蝶に灰はひとつため息をこぼして、拳を落とした。


「なっ!!」

「誤魔化すな。聞いてなかったのならばそう言え」

「ご、誤魔化してない!! あと痛い!」

「痛くないだろう。水銀でガードしてたんだから」


 確かにそうだ。水銀でとっさに皮膜を作り拳を受け止めた。


「でも心は痛いんだぞ! 私、知ってる!」

「はいはい。とりあえず作戦の説明をするから大人しくしなさい」

「くぅ……」


 たてられていた作戦はこうだ。

 まず胡蝶が空から強襲を行う……というのは聞いていた。聞いていたからきちんとそうしたわけで。

 灰がアルファ地点で胡蝶を回収後、二人で長野基地を強襲する。


「というわけで迎えに来た」

「なるほどな。納得だ」


 戦場とは思えないゆっくりとした会話を楽しんでいた二人だが、不意に灰に引っ張られた。彼の胸板に飛び込むような形になった胡蝶は目を丸くする。


「オレのに手を出すな」


 低く呟かれた言葉と同時に、周囲の魔力が火炎となり矢のように絞り出され放たれた。遠くで断末魔が聞こえる。


「…………なに殺してるんだよ」

「オレはいいんだ。許可が出てるからな」


 平常心を取り持ちながら体制を戻せば彼が怪我の有無を尋ねてきた。回避行動のお陰でないと伝えればあからさまに安堵する。


「ならオレもいいじゃねえか。最低限しか殺すな、なんて無茶な注文つけやがってよ」

「ダメだ。君は人を殺さなくても生きていけることに慣れていかなければならないだろう」

「はっ。肥溜めには秩序がなかったからそんな言葉は耳新しすぎて参考になりゃしねえよ」

 砂山を崩すように歩いていく。


 今更、死体を見て心が痛むこともない。

 胡蝶が育ったのは帝都の廃棄区画だ。人間がそれこそ廃棄物のように転がっていた。違法な薬物が当然のように散乱し、弱者は食われていく地獄。


 だから戦争が終わるといわれても少しもピンと来ない。殺さなくても生きていけるなんて、そんなのはただの幻想だと、彼女は思っている。


「……ま、テメエみてえなあまちゃんにはそう言った幻想の方が生きやすいのかもな」

「分かってるじゃないか。私は理想論者だからな」

「バカ言え。理想、理念……ここまではいいが、お前が尊重するのは他に理論に理屈だ。どんなに馬鹿げていても、己の理想と相反していても、理論と理屈が通ってれば構わねえ質だろうが」

「ふっ、否定はしないさ」


 してほしかった訳ではないが、とは言え堂々と言われると腹が立つことでもある。理に執着するのはバカのやることだと一喝できない己も腹立たしいが。


「そう言う君は規律に規則、規範に……少しずれるが法規を守るのが好きだな」

「ルールがなければどこでも廃棄区画になりうるからな。地獄が嫌いと言え……っと。無駄話をしてる間に見えてきたな。あれが帝都軍部長野支部か」


 砂漠の真ん中。鋼鉄でできた要塞に目を細める。ずいぶん大層な建物だ。鉄臭いのも気にくわない。


「胡蝶」

「んー、魔力隔壁が展開されてんな。帝都にオレより優れた魔法師がいたか? いや、覚えがねえや」


 手を当てて隔壁の術式を言語化する。複雑で重厚な術式に思わず舌打ちが溢れた。


「どれくらいかかりそうだ」

「さあな。逆探査は苦手なんだよ。なるべく穏便に済ませたいだろ」

「仕事が楽な方がいいだけだ。殺した方が楽ならそっちに切り替えるぞ」

「了解だ」


 仮想キーボードを展開して中和理論を重ねて打ち込んでいく。それと同時に壁を構成する概念を解析しなければならない。


 やることが、多い。

 灰が周囲の警戒を行っている間、つまり彼の琴線に触れるか否かの時間で解除したいものだ。


「……いや、むしろこれ攻撃に転用するか?」

「胡蝶??」

「空間を遮断してる術式がある。これを攻撃に転用して内部の空間を消滅させて皆殺しは」

「逆に聞くがいいと思ってるのか??」

「…………ベストを尽くすよ」


 そう言えば我らの司令官は無血開城をお望みだった。流れる血はなるべく少ない方がいいだろう、と非情で非道であることに理解のある指揮官は告げたのだ。大変、できた男である。


 不意に現れた構成術式に目を疑った。なんだこれ、おいおいおい。なんなんだ、これは。


「……灰。作戦変更だ。あと三分で三枚目の壁が割れる。それと同時に最高火力ぶっぱなせ」

「構わんが」

「この隔壁」


 思わず最高の情報に顔がにやける。


「外は鋼鉄製だが中は紙装甲だぜ」

「…………はっ!!」


 彼も思わず凶悪な顔を浮かべた。普段の人好きする笑みの全てが嘘だと言うような邪悪な表情だ。


 解析を行いつつ結界経由で術式の指揮権を乗っとる。加えて三枚目が割れた瞬間の反動が魔法師に返る、ついでに試験としてある術式を変形して組み込む。うまく行けば……だ。


「魔法? 物理?」

「好きな方にしろ」

「では両方で行こう」


 刀が抜き放たれる。彼が構えたのとほぼ同時に、障壁が砕けた。僅かな魔力の衝撃波が走るがそれをものともせずに、焔を纏った一振が振り下ろされる。


 神之瑪しののめ 灰記録、第二六号。

 神之瑪しののめ 灰は最初から最後まで、徹頭徹尾、全く同じ火力で戦うことができる。それはつまり――最初から全速力のスタートができる、と言うことだ。


 焔を伴った斬撃は魔力障壁だけを正しく切り刻む。

 その黄昏とも、或いは揺れて弾ける焔のようとも思える瞳がこちらをみた。


「……胡蝶。中で一人倒れたみたいだが」

「鋼鉄の中の音が聞こえるのか? 意外だな。時雨の血か」

「胡蝶?」


 誤魔化せなかった。

 二度目の誤魔化しも失敗したので今度は素直に白状することにした。


「呪詛返しだよ。少し変形したがな。前に陰陽師の家に言って術式を盗んできたんだが、攻撃魔法には対処できないしとは言え今時呪いを使うヤツなんざ数にすりゃ少ないほうだ。扱いあぐねてたんだが……どうやらうまくいったみたいだな」

「殺してないだろうな」

「当たり前だろ。ちと魔力回路を逆行させただけだ。しばらく魔法を使えないようにしたんだよ。っつー訳でこの組織も乗っとり放題ってことだ……な!!」


 外壁をぶち破り通路の両脇に手を叩き付ける。

 指先から延びる魔力回路がじっくりと、施設全体に張り巡らされた術式を侵していく。胡蝶の鈍色の魔力が幾何学模様を描きながら廊下の術式を可視化し、狂わせ、乗っ取っていく。それはさながら、手を使わずに絵を描いていくようなそんな作業。


「よし! 乗っ取った!! “退廃の蜜にして不老不死の夢”よ、来たれ!!」


 防御システムであったはずの術式が鈍色の、金属性の光沢を持つ液体を吹き出した。それは自ら意思を持っているとでも言うように壁を塗り替え、施設を飲み干していく。


 その瞬間、奥の通路から現れた帝都軍が銃口をこちらに向けた。灰は刀に手を掛ける。胡蝶は防御体制をとれない。今、手を離せば、解き放った魔力が制御できなくなるからだ。その事を彼は言わなくても理解している。


「しの!」

 声に応じて彼は胡蝶の背中を軽やかに蹴り、宙に舞った。


 そう、彼はいつだって――胡蝶の最高のパートナーなのだから。

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