まぼろしの花

まきや

第1話 旅の僧



 深夜、美しい満月の夜だった。


 あるひとりの僧が、村の外れの細い道を歩いていた。


 こんな真夜中に移動する旅人はまれだ。急ぎの用事があることは想像にかたくない。


 僧の懐には貴重な品物があった。自宗の大僧正がわずらった重い病に効くという霊薬。何ヶ月も都をさまよい、大金を支払って手に入れた妙薬だ。一刻も早くこの薬を届けることが、彼の使命だった。


 川にかかる橋を渡ると、森に続く道が見えた。同時に遠くで山犬の遠吠えが聞こえた。


 僧の足はぴたりと止まった。


 ここまでの道中、あたりはずっと畑で視界は十分ひらけていた。だから安全だろうと夜でも歩いてきた。


 しかしここから先は暗い森に入る。藪の中に獣や盗賊が潜んでいてもおかしくない。


 食い殺されるのも薬を奪い取られるのも、どちらも望みではない。とはいえ森を迂回すれば、旅は確実に遅れてしまう。


 僧は空を見て星の配置を調べた。あと数時間待てば空が白み始める。ならばどこかで夜明けを待つのが無難というものだ。


 僧が川に沿って歩いて行くと、小さな池にたどり着いた。


 水辺には草が生い茂っていた。人に踏み荒らされた様子はない。池の中は自生するはすの葉で覆われていて、合間の水面に映る満月が綺麗だった。


 ここならば誰も来るまい。僧は座りやすい石を見つけ、腰を下ろそうとした。


「こんばんは、お坊さま」

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