雑貨屋さんの決意

(本当に、大丈夫でしょうか?)

杏奈は、前々から目を付けていた八角形のハンドミラーを手に、レジに座る真咲をそっと盗み見た。

今日は、もう何度目かもわからないほどの、開店前の店内デート。

美味しい物を食べに出かけたり、新しく出店した雑貨屋を偵察に行ったり、智の店に行ったり、映画を観に行ったり。

休みの日を合わせては二人で出かけるようになっていたのだが、杏奈にとっては、真咲の店で2人で過ごす店内デートが何より落ち着く癒しの時間となっていた。

だが、ここ最近の真咲は、明らかに様子がおかしかった。

何やら考え込んでいる事が多くなり、杏奈が話しかけても、聞こえていない事もある。

疲れているのか、体調でも悪いのか。

最初は随分と気を揉んだ杏奈だったのだが、どうもそうでは無いらしい。

つい先日、智の店に寄った際、真咲に気付かれぬようそれとなく尋ねた杏奈に、智はこう言ったのだ。


『真咲が自分から杏奈ちゃんに話す時がくると思うから、その時は受け止めてやって。』


(真咲さん、いつお話してくれるのかな・・・・)

「それ、前から狙ってたやろ?」

知らぬ間に、杏奈は自分の思考の中に沈んでいたらしい。

いつの間にか隣に立っていた真咲が、いつもの柔らかな淡いブラウンの瞳で杏奈を見つめていた。

「あ・・・・はい。気付いてました?」

「当たり前やん。俺を誰や思てんねん。」

杏奈ちゃんのことなら何でもお見通しや~。

そう言いながら、真咲はそっと、杏奈の手からハンドミラーを受け取る。

「珍しいやろ、ハンドミラーで八角形って。風水的にも、八角形の鏡はええらしいで。よう知らんけど。周りのデコレーションもな、シンプルやけどなんや可愛らしいし。でも、持ち手はめっちゃ手馴染みええし。雑貨屋としてはめっちゃオススメや。けど、どないしたん?今まで使てたやつは。」

杏奈は、大の雑貨好きだ。

だが、今使える物を捨ててまで、たとえ気に入ったものであったとしても、新しい物を買う事はしない主義でもある。

これまでの付き合いで、真咲もそれを分かっているのだろう。

不思議そうに尋ねる真咲に、杏奈は言った。

「ちょうど今朝、割れてしまって。」

「そやったんか。」

「はい。小さい頃に父が出張先のお土産だと言って買ってきてくれたもので、おそらくそれほど高いものでは無かったと思うんです。枠も持ち手もプラスチック製でしたし。でも、私にとってはお気に入りのもので、大切に使っていたつもりだったのですけど・・・・洗い物をした後に持ったせいか、滑って落としてしまって。落とした場所にちょうどバッグが置いてあって。バッグの金具に当たってしまったみたいで、ヒビが入ってしまったんです。」

朝の出来事を思い出し、杏奈の気持ちは沈んだ。

既に他界している父からの贈り物は、そう多くはない。そのうちの1つを、不注意で壊してしまったのだ。

それも、壊れてしまったのは、鏡。

不吉な事でも起こらなければよいが、と思っていると。

「ほな、きっとお父さんが、杏奈ちゃんを守ってくれたんやな。」

「えっ?」

驚く杏奈に、真咲は手にした鏡で杏奈を写しながら、言った。

「鏡はな、持ち主に降りかかる災いを身代わりに受けて割れるらしいで。あと、持ち主に大きな変化が訪れる時に割れる、とも言われとる。ま、どっちも受け売りやけど。」

「そう、なんですか?」

「ん。よく、鏡が割れるなんて不吉や~、って言われとるけどな。形あるもんは、いつか壊れるんや。鏡作っとる人なんて、失敗したらいくつも割ってまうやんか。そやったら、その人どんだけ不幸背負ってなあかんねん、て話やろ?せやったら、ええ方に考えとった方が、絶対ええに決まっとるし。」

真咲の手にした鏡に写る杏奈の顔は、気のせいか朝より明るくなっているようにも見える。

「お父さんの鏡、ちゃんと塩で感謝のお清めして、白い布か紙で包んで捨てたってな。」

「はい!」

(お父さん、守ってくれてありがとう。)

温かい気持ちが杏奈の胸に広がる。

「うん、ええ返事や。ほな、これは俺からのプレゼントや。」

言いながら、はい、と真咲は手に持っていた鏡を杏奈へ手渡した。

「えっ!ダメです、これは私が・・・・」

「俺も、杏奈ちゃんを守りたい。」

この鏡は絶対に自分で買う!

そう固く決意していた杏奈の心は、目の前の真剣な真咲の瞳に脆くも崩れた。

「え・・・・」

「会えんようになっても、この鏡が、俺の代わりにきっと杏奈ちゃんを守ってくれる。」

「・・・・えっ?」

耳から入ってきた言葉がうまく頭で理解できず、杏奈はぼんやりと真咲の瞳を見つめ返す。

「一旦この店、閉めよ思てるんや。」

身代わり、はともかくとして。

不吉な事。大きな変化。

これはやはり、お父さんから貰った鏡を割ってしまったからだろうか。

杏奈は無言のままただ呆然と、目の前の真咲の真剣な顔を見つめていた。



「堪忍な、突然こないな事言うて。」

丁寧に鏡を包みながら、真咲は笑った。

「ほんまはずっと、迷ってたんや。どないしたらええやろって。けど、杏奈ちゃんのお父さんの鏡のお陰で、吹っ切れた。杏奈ちゃんにとっての大きな変化。今が正にその時なんや、きっと。」

「なんですか、それ。」

納得ができないままの杏奈は、1人スッキリした顔をしている真咲に、不満をぶつけた。

「ちょっと前に、杏奈ちゃんに色々聞いたやろ?覚えとる?」

手を止めて、真咲は杏奈の顔をじっと見た。

(色々?・・・・聞かれた?)

言われてここ最近の事を思い出してみる。


『なぁ、杏奈ちゃん。借金ある男と無い男、どっちがええ?』

『それは・・・・無い方がいいです。』

『ま、せやろな。』


『なぁ、杏奈ちゃん。もしこの店が無うなってもうたら、どうする?』

『いやです。』

『はははっ、なんや、嬉しい事言うてくれるやん。』


『3年て、長いて思う?』

『何に対してですか?』

『何て・・・・一般的に、や。』

『一般的・・・・長いですね。中学校も高校も、卒業できてしまいますから。』

『じゃ、2年は?』

『う~ん・・・・ギリ、待てる時間、ですかねぇ?って、なんの話ですか?』

『せやから、一般的な話やて!』


「あれって・・・・」

「うん。」

再び手を動かしながら、真咲は小さく頷く。

「俺、な。毎日頑張ってる杏奈ちゃん見てたら、このままやあかんて、思たんや。杏奈ちゃんとの未来考えたら、絶対あかんねん、今のままやったら。この店のオーナー言うたかて、実質親と姉ちゃんからの借金で買うた店やし。少しずつは返しとるけど、今のままやったら何年かかるか分からん。この店をちゃんと俺のもんにせんと、杏奈ちゃんとこのまま一緒になんて、居られへん。せやから、な。一旦この店閉めて、他で金稼いで借金全部返すことに決めたんや。」

真咲は、包み終わったハンドミラーを愛おしそうに見ている。

(私、何も気づかなかった、何も。)

情けなさに、鼻の奥がツンとした痛みを杏奈に伝えてくる。


 『その時は受け止めてやって。』


ふと、智の言葉が思い出された。

今が、その時。

涙を堪えて顔を上げると、不安そうな表情を浮かべる真咲と目が合った。

「2年、や。ギリ、待てる時間、やろ?」

「はい。」

「・・・・おおきに、杏奈ちゃん。」

心から安堵したように破顔し、真咲はハンドミラーを杏奈に手渡した。

受け取った杏奈は。

(でも、ただおとなしく待っているだけだなんて、思わないでくださいね。)

心のなかでそっと呟いた。

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