1-2 賢者の番人

「この道でいいのッ?」

 黒髪の少年が声を張りあげる。

 突然降りだした無数の雨粒が、容赦なく石畳を叩きつけていた。雨音は激しく、少し離れただけでもなかなか声が届かない。

 そんな豪雨に打たれながら、もう一人の銀髪の青年が無言でうなずいた。

 それぞれフード付きのマントを羽織っていたが、夕闇にこの雨では視界が悪く、仕方なくフードを脱ぐと、二人は何度も顔を拭いながら辺りの様子をうかがう。

 第三環状街東部十三番区。

 剣闘士ではない一般生活者が多く暮らすこの地区には、比較的低階層の住民が多い。簡素な石造りの家が所狭しと並び、それらが細い路地を押しつぶさんばかりにひしめきあっている。

 迷路のような無数の道が入り組んだこの区域にあって、ここから先に続く路地はただ一本だけだった。薄闇に包まれた細いその路地は暗く、その上この雨では先の様子はまるでわからない。

 今度こそ探し物が見つかる――。確信めいた予感があった。

 先を行く銀髪の青年は、ゆっくりと歩を進めていく。

 不意に、視界に人影が浮かんだ。

 それは突如現れたわけではない。青年が近づいたため、元々その場に立っていた人影が姿を現したのだ。

 黒いコートをまとったその姿は、意外なことに随分と華奢だった。だが、その右手には、この雨の中でも鈍く光を放つ、鍛えられた金属特有の輝きが携えられていた。

「当たり、かな。ガルディア、手を出すなよ!」

 銀髪の青年は足を止め、腰に下げた剣の柄に手をかける。

 ガルディアと呼ばれた黒髪の少年は、最初から心得ていたように後方からその様子を黙って眺めている。

「あんたが噂の賢者さんってわけじゃないよな」

 銀髪の青年の問いに人影は答えない。ただ、青年もそう言いながら、人影の右手の先に視線を走らせていた。

 随分と細い剣だった。剣身の長さは一メートルに満たない。ポメル(柄頭つかがしら)から剣先までの全長で一メートル程度だろう。刺突用の剣だが刃はついている。

 レイピアか、面倒くせえな……。青年は思わず眉をひそめる。

 その時、人影がかすかに揺らいだ気がした。

 いつの間にか、ほんの少しだけ間合いを詰められていた。

 普段ならばそんな動きを簡単に許しはしない。これだからこんな雨の日は厄介なんだと、青年は内心で毒づく。

 切っ先が上がる軌跡を目にした瞬間、それが目の前からフッと消えていた。腰の剣を抜く暇はない。

 人影の動きの像だけを頼りに、青年は素早く上体を左右に一度ずつ振った。

 シュシュッ!

左右それぞれの耳元で、雨粒と空を切り裂く音が鳴った。視界の中の人影の動きは、まだ止まらない。

 三回目、来るッ⁉

 青年はたまらず、後方に小さく跳躍する。

 シュンシュッ!

 鼻先に切り裂かれた空気の振動が触れた。青年は、なりふり構わず再度跳躍し大きく間合いを外す。

 シュンッ!

 青年が完全に路地から後退しきった時、目の前でレイピアを突きだしたその姿が動きを止めた。

 距離は離れているが、鋭い剣先が青年の顔へと向けられている。警告のつもりなのか、突き終えた姿勢のまま、剣先とその先を静かに睨みつけていた。

 この一瞬のうちに、全部で五回の突きが放たれた。

 銀髪の青年は思わず唇を噛む。

 二度の突きまでならば、剣を抜いて反撃に出ることも可能と思えた。だが、間髪入れずに五回もの突きをこの速さで放たれていては、正直その機はない。

 仮にこのまま間合いの攻防に負け続けたとしたら、青年に攻撃の順番が回ってくることはないだろう。

 そして今、青年が自分の方が不利と感じる理由がもうひとつあった。

 ほんと、厄介だな……。

 路地から姿を現したその敵の姿が問題だった。

「悪い、今日はやめだ」

 腰の剣から手を外すと、青年は両手をだらりと下ろす。黒いコートをまとった剣士は、微動だにせずそのさまを凝視している。雨水が激しく顔を濡らしているというのに、ほとんど瞬きすらしていない。

「勝手に押しかけといてなんだが、また今度出直すわ」

 すでに戦意がないことを示すため、開いた両の手のひらを向け、青年はそのまま一歩、また一歩と後退する。もちろん、攻撃への警戒だけは解かない。

「賢明だね」

 三歩下がったところで、隣に並んだガルディアが、明るい声で言った。

 その気楽な様子がなんだか気に入らなかったが、青年はひとつため息をつくと、最後にもう一度、剣士の姿を眺めた。

「じゃあ、またな」

 二人はフードを被ると揃って反転して、そして走りだす。背後の剣士が二人を追いかけることはなかった。

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