第12話 ゆっくり前進(SIDE耕平)

 こういうふうにしたよと千波から渡された年賀状に視線を落とすと、送り主の欄に住所の記載はなく、裏面にも電話番号は書かれていなかった。

 まだ千波は、家族と連絡を取れる心境ではないのだと、理解する。


「責任持って、投函してくる」

「よろしくお願いします」


 靴を履き、一段低い土間に立った耕平が振り向けば、自然な動作で、千波が背伸びをした。


 ちゅ、という軽い音と共にされた、かわいらしいキス。


「不意打ちヤバい。出掛けるのやめようかな」


 あまりにも嬉しくて家の中へ戻ろうとすれば、笑った千波に押しとどめられる。


「本当に、一緒に行かない?」

「行かない。本人がいないほうが、話を聞いた相手も反応しやすいでしょう?」

「まぁ、確かに。本人の前でするような話じゃないか」


 あまり遅くはならないと思うが、先に風呂に入って眠っていいよと告げてから、耕平は外へと出た。

 昼間激しく降っていた雪は弱くなり、はらはらと、夜が近付く空を舞う。

 千波を一人残すことは不安ではあるが、生きたいと言った千波の言葉を、信じることにする。

 隙間なくガチガチに守ることが、千波のためになるとは思えない。


 車を走らせ、郵便局を経由してから向かったのは、海沿いにある伸行の家だ。

 既に友人たちの車があり、どうやら耕平が最後のようだった。

 普段するように、勝手に玄関の扉を開けて家に上がる。リビングへ顔を出せば、友人たちが耕平を迎えた。


「あれ? 耕平一人かい」


 既にビールを飲んで顔を赤くしている伸行が、耕平の背後を覗き込む。


「千波ちゃんはー? 福袋に入ってた、細過ぎて着られない服持って来たのに」


 かわいいでしょうと言いながら桃子が広げたのは、鮮やかな黄色のフレアスカート。

 千波に似合いそうだなと、耕平は感想をこぼす。


「慎太郎も一人かい。嫁さんは?」


 親から牧場を継いだ友人の隣へ座って問えば、口数の少ない慎太郎が、嫁さんは家で子どもの面倒を見てるのだと答えた。


「結婚したと思ったら、ぽんぽんぽんと三人目だろ。大変でない?」

「牛の面倒見るほうが楽」

「慎太郎ってば、まーたそんなこと言って。倫子さんにキレられるよ」


 言いながらゆかが料理を運んできて、皆で揃って乾杯する。耕平を含めた車を運転するメンバーは、酒ではなくお茶だ。


「子ども、の話題はまだ早いだろうけどさ、耕平だって結婚考えて千波ちゃんを呼んだんだろう? 春までなんて、一番厳しい季節に内地から呼び寄せたってことは、本気なんだよな?」


 桃子の夫である智之の言葉に、耕平は苦笑で答える。

 智之は下戸だから、緑茶を飲んでいる。桃子はゆかと共にワインを開けたようだ。

 智之と桃子の間には女の子が二人いて、今日は桃子の実家に預けているのだろう。


「その、千波のことでさ」

「プロポーズの相談かい?」


 ゆかが楽しそうに笑い、何故か桃子と再度乾杯して、グラス同士がぶつかる軽やかな音がした。


「いや。プロポーズは、もうした」

「したっけ、結婚式の相談?」


 桃子がわくわくした様子で顔を輝かせ、ゆかと共に黄色い声を上げたが、耕平は違うと答える。

 室内に視線を走らせ、伸行とゆかの息子たちの姿がないことを確認する。


「ヒロ、ヨウ、ミナは?」

「隣のじっちゃん家。なした耕平? 子どもらに聞かせらんねぇ話かい」


 伸行に問われ、耕平は頷いた。

 耕平の雰囲気から真面目な話なのだと感じ取り、友人たちが聞く姿勢を取ってくれる。


「たまにさ、内地から死にに来る人間がいるだろ。千波は、それなんだ」


 室内が、静まり返る。


「今月の頭に、慎太郎のとこで夕飯ご馳走になったしょ。その帰りに、公衆トイレがある、あの辺りでさ、ガス欠で停車してる車を見掛けて。見に行ったら、千波が雪の中に寝転んでた。それで、うちへ連れて帰って、話聞いて……惚れた」

「おぅ。そんで?」


 伸行に促され、耕平は話を続けた。


「千波の心は、多分だけど、相当弱ってるんだ。二人でいるぶんには回復してきたように見えたから、昨日は試しに、村に連れて行った。大丈夫そうかなって思ったんだ。だけど昨夜……今日の明け方か、姿が見えなくなって、薄着で外出たんじゃねぇかって、相当焦って」


 声が震えてしまった耕平の肩を、慎太郎が優しく叩く。

 気付けば喉が、カラカラに乾いていた。


「家の中にいた。俺の書斎で、真っ暗な中、小さくなって泣いてたんだ。みんなが作ってくれた飯を、全部吐いちまったって。申し訳ないって。みんながいい人だって思うのに、人間が怖いんだって、ごめんって、何度も謝って泣いてた。……俺、あいつに生きてほしい。一緒に、生きてほしい。でももしかしたら俺だけじゃ、足りないんだ。だから……助けてくれないか」


 ガタリと椅子の音がして、視線を向けた先で伸行が、ダイニングテーブルの椅子から立ち上がって耕平のもとまでやって来た。

 耕平の目の前で屈み、歯を見せ、笑う。


「おぅ。任せとけ!」


 隣では慎太郎が、耕平の肩を何度も叩きながら、頷いた。


「うちの嫁さんにも話していい? あの人、相当、人間力高いから」

「もしかしたら千波も、年上のほうが話しやすいこともあると思うから、頼む」

「わかった」


 三人の向かい側で智之が、緊張で詰めていた息を吐き出してから、苦笑を浮かべる。


「昨日の様子見て、耕平が相当惚れてるなとは思ったけどさ。本気以上の本気だな。――うん。わかった。何ができるかわかんないけど、力になるよ。千波ちゃん、ご両親は?」

「神奈川の平塚にいるらしい。昨日撮った写真で作った年賀状を送ったから、無事ってことは伝わると思う」

「コウくんのおばさんには話した? 多分もう、千波ちゃんの話いってるしょや」

「早く手を打たないと、おばさんのことだから会いに来らさるよ」


 桃子とゆかに指摘され、忘れていたと言って耕平は焦る。

 電話するため席を立った耕平を見送って、友人たちはそっと、息を吐いた。


「千波ちゃん、ガリガリだったもんなぁ」


 桃子が呟き。


「肌と髪を見て、食生活わやだったんだろうなと思ったよ」


 ゆかが同意する。


「心が疲れてるなら、焦りは禁物だよね」

「そだねー」

「うまいもんたらふく食ったら、元気になるべや」

「ノブは単純だから」

「桃ちゃんにはわかんないかなぁ。それがうちの旦那の魅力なの」


 のんびり、ゆったり、取り巻く環境も、変わっていく。

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