第8話 そして、着せ替え人形になる

 サディアスは手に持っているレモン色のワンピースを私に当ててみると、僅かに首を傾けて思案している。

 月のような色の瞳は瞬きもせず、私とドレスを交互に見ていて。


「う~ん、どうしようかしら。最近の流行に合わせてタイトめなスカートもいいけど、パフスリーブでふんわりしたワンピースも捨てがたいわ。ドレープがたっぷりある方もいいわね。ああん、もう迷っちゃう!」

「はあ……?」


 呪文のような言葉を幾つも呟いている。

 サディアスが口にする言葉の半分も意味が分からなくて、曖昧に相槌を打つしかない。


「やっぱワンピースかしら。今日の服装のテーマは【初めての演劇鑑賞に胸を躍らせる夢見がちなオトメ♡】だから、ふんわりさせた方がいいわね」

「何それ……」

「服装のテーマは大切なのよ! なりたい自分になるためのオシャレなんだもの」

「ただ出かけるだけなのにそこまでしなくても……」

「んもう、わかってないわね。オシャレをしたら強くなれるのよ。いわば武装ね。ぶ・そ・う!」


 熱弁するサディアスは、前髪を片手でサラリとかき上げた。顔にかかった前髪が邪魔だったようで、乱雑に払うような仕草に見入ってしまう。

 いつものサディアスだと優雅な所作で耳にかけているはず。それに比べると今のサディアスの仕草はなんだか……男くさくて珍しい。


「あら、ティナったらぼんやりしちゃってどうしたの?」

「別に。呆れてただけ」

「んまあ、減らず口をたたくくらいなら着替えなさい。この後もまだまだあるんだから!」

「げっ」

「ぜーんぶ終わらないと外には出さないんだからね?」


 ギラリと光を放つ金色の瞳には有無を言わさぬ圧が込められている。こうなったサディアスは騎士団の団長さんでも止められないのだ。

 そのままノリに乗ったサディアスに促されて五着ほど着せ替えられてしまった。


     ◇

 

「うん、やっぱりアタシの見立ては完璧ね」


 サディアスは満足そうに頷いた。


 最終的に決まったのは白いブラウスと空色のワンピースの組み合わせ。

 ブラウスの襟元は四角く開いており、いつもより肌を晒す面積が大きいため、なんだか落ち着かない。


「……似合ってる?」

「ええ、とっても似合ってるわ。こんなに可愛いとなおさら、ティナを一人で歩かせられないわね」

「はあ?」


 サディアスは訳が分からないことを呟くと、どこからともなく化粧道具箱を取り出して私を椅子に座らせる。


「サディアスって本当に女装癖があるんだ……」


 神殿にいたときに噂で聞いたことがあったけど、まさか本当に本人が化粧道具を持っているとは思わなかった。

 サディアスがその気になって女装すれば国が傾きそう。


「あら、どこの誰がそんなことを言ったの? さてはあの金ぴか馬鹿狼ね」


 サディアスは小声で「あの馬鹿狼、今度会った時はダタじゃおかないんだから」なんて物騒なことを付け加える。どうやらご立腹のようだ。


「女装しないのに何で持ってるの?」

「おだまり。細かいことは気にしなくていいの」


 そのままバシャバシャと化粧水をかけられ、粉をはたきかけられ、目を閉じているうちに瞼や頬にブラシが軽く触れる感覚を感じた。


「ティナ、息止めていたら酸欠になるわよ」

「だって、粉が鼻の中に入ってくるんだもん」


 文句を返していると、サディアスの手がそっと顎を掬う。決して強くない力だけど、いとも簡単に顔を上に向けさせられてしまう。

 瞼をそっと開くと、金色の瞳がうんと近くに迫って、私を見下ろしている。


「ティナってほんと、アタシを信用し過ぎよね。こんなに無防備だと何をされるかわからないのに」

「きゃー、元護衛が襲って来ますー(棒読み)なんて言えばいいの?」

「もうっ、その生意気で可愛いお口を塞いでやろうかしら」


 サディアスはそう言うと、口紅用のブラシで私の唇をなぞった。


     ◇


 化粧が一通り終わると今度は髪を結い始める。

 髪に触れるサディアスの手はこの上なく優しくて、ひと房ずつ掬っては丁寧に櫛を通してくれる。


 神殿にいる時も、私が激務に追われて倒れてしまった時は、サディアスは見舞いに来るとこうして髪を整えてくれていた。


 私の髪を花の形に結わえて、「疲れた時こそオシャレの力で元気になるのよ」なんて言っていたのを覚えている。

 

「今日も花みたいに結わえるの?」

「いいえ、飾りに花を使うからハーフアップで簡単に纏めるわ」

「ふぅん」


 手持ちぶさたになってワンピースの胸元にある編み上げの紐を弄んでいると、サディアスは「できたわ」と言って私を姿見の前に連れて行ってくれた。

 そこに映っているのは、まるでどこかの貴族のお嬢様みたいな上品で可憐な雰囲気を醸し出している私。


 まさかこんなにも変わるとは思っていなかったため、驚きのあまり、ぼんやりと鏡を見つめてしまう。


「どう?」

「……すごい。魔法みたい」


 必死で言葉を集めてみたけど上手くこの衝撃と喜びを表現できない。


「すごい……私じゃないみたい。本当にすごい……」

「あらヤダ。馬鹿の一つ覚えみたいに『すごい』しか言えないのかしら?」

「う、うるさい。ビックリして言葉が出てこないの」


 もう一度姿見を眺める。

 体を少し横に向けると頭の後ろで結わえている結び目に黄色の可憐な花が添えられている。


 王都でお祭りがあった時、オシャレをしている貴族令嬢もこうやって髪に花を添えていて。

 オシャレを許されていなかった私は、好きな服や髪形をできる彼女たちが羨ましくて遠目で見ていた。


 もう自由にオシャレをしていい。

 その実感が嬉しくて頬が緩む。


「サディアス、……ありがと」


 いつも軽口を叩き合っているサディアスに真正面からお礼を言うのはなんだか照れ臭いけど、思い切って口にする。


 サディアスのことだから「あら、それならアタシを存分に敬いなさい」なんて言ってくると思ったのに、サディアスは黙りこくってしまって。


「サディアス?」


 見上げると、口元を手で覆って固まっている。

 月のような色の目を大きく見開いて、息が止まってしまったかのような顔をしているのだ。


「……なによ、いつもはツンツンしてるくせに、急にそんな可愛い笑顔を見せられたら心臓に悪いじゃない!」


 絞り出すような声でそう言うと、サディアスは私の手をそっと取る。

 そのまま流れるように自然な所作で床に膝を突く姿は、まさに《騎士》だ。

 

 おまけに掻き上げらえた髪がぱらりと落ちて額にかかる様子はえも言えぬほど美しくて、見惚れてしまった。


「それじゃあ、ティナの初めての演劇鑑賞をお供する栄誉を、アタシにくれるかしら?」

「もったいぶった言い方」

「んもう、これは騎士の常套句よ。恋愛小説を読んで勉強してきなさい」


 するとサディアスは、初めて会った時のように、私の手の甲に口づけを落とした。

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