第32話 この中に犯人がいるとしても

「それもそうか。まあ、ドアが使えないことに何ら問題はないからな。無理に操作しようとは思わないよ。しかし、解らないことは、この際はっきりさせておくしかないだろう。安西に問い質すことが出来ないんだし」

「ですね」

 そこで誰もが一度黙り込んでしまった。無理に触れないようにしているが、この中に殺人犯がいるかもしれないという疑問は残ったままだ。

 その表情と反応は様々で千春は一度頷いたが、大地の顔が困惑したように眉が下がった。友也は相変わらず楽しんでいるかのように笑みを浮かべていた。

「目を逸らしていても仕方ないだろ。誰かが殺した。これは間違いない」

「それは当然でしょう。誰かが意図的に起こさなければ、二人を殺すことは出来ませんよ」

 忠文の言葉に、友也がにこりと笑ってそう応じる。たしかにあの二つの死体を見る限り、計画性のない犯行とは思えなかった。つまり、誰かが予め計画し実行した。それが、友也の言う意図的にということだ。

「しかし、ここに来たのは初めてですからね。ドアのことは当然、ついさっき仕掛けが解ったくらいです。夜中、あそこが通行できない状態で、果たしてこの中の誰かが犯行を行うことは可能だったかという疑問があります」

 続けて友也の指摘した疑問に、大地はほっとした様子だった。少なくとも自分は容疑者から外れる、という気持ちが表れていた。

「そうですね。私は何も、招待客の中に犯人がいるとは言ってませんよ。ここにもともと住んでいる人たち、彼らにもまた殺害が可能ですからね」

 忠文の一言に、また空気が騒めく。丁度その時、田辺が食後のコーヒーを持って来たところだった。桃花の看病に加えて美紅の事件を受けて、メイドたちは完全に姿を見せなくなっているから何もかも彼一人でこなしているのだ。そんなところに忠文の一言は大きく響く。

「――」

 その田辺は、忠文に一瞥をくれたものの、そのまま全員にコーヒーを配った。下手に騒げば疑いを強める、そう察してのことだ。

「まあ、そうですね。ドアの仕掛けを知っているかどうかは別として、彼らもまた等しく容疑者なのかもしれません」

 凍り付きそうな空気を、友也の軽口が壊す。対立を煽っているのか避けているのか、よく解らない態度だ。

「ええ、そういうことですよ。つまり、何者かが殺害したことは間違いないんです。互いに、そのことを忘れてはならない。そういうことですよ」

 忠文は苦々しいという思いを飲み込んで、そう言い直していた。本当はこの場で田辺のことを追及したかったのだろう。コーヒーを受け取った時、その目が一瞬鋭いものになっていた。もちろん、その忠文の真意が解った田辺の目も鋭くなっていた。

「外部からの侵入は考えられないですからね。この中に、というのは当然ですよね。庭には怪しい足跡はなかったんですよね」

 大地がコーヒーを一口飲んでから、遠慮がちに訊いてくる。こちらも、まだまだこの中に容疑者がいるかもしれないと気づき、不安になったのだ。

「そのとおり。足跡はなかった。少なくとも、玄関からアトリエに向かって調べた限り、足跡はない。それに、足跡と言えばもう一つ、考える必要があることがある。いや、よく考えるまでもなく、アトリエの中にも足跡がなかった。これはどうしてか。あの真っ赤な空間から、犯人はどうやって逃げたのか。安西先生を殺した後に部屋を真っ赤にしたのだとしても、廊下か庭に逃げなければならないから、庭に足跡がなかったということは、建物の内部に向かって逃げたはずだ、と考えることもできるんだよ」

 千春が自分の考えを披露すると、なるほどと一同は頷いた。たしかにあの真っ赤な空間に足跡はなかった。そんな当たり前のことが、あの異様な光景に飲まれて見えていなかったのだ。

「さすがですね。そこに着目するのを忘れていました。それにしてもあの奇妙な死体、凶器は何なんでしょうね。部屋を真っ赤にした意図と関係あるんでしょうか」

「さあ、そこまでは。何か犯人にとって不都合なことがあったのかもしれないですね」

「ですよね。次に発見された遠藤先生にしても、謎ばかりですし」

「ええ、あちらもある意味で密室です。浴室という密閉された空間に突如として現れた。これはどういうことか。夕方まで遠藤先生はどこにいたのか。あの騒ぎの中で出て来なかったのは何故か。色々と疑問が浮かびます」

 考えるべきことは山のようにあるんだと、千春は肩を竦めてしまう。そう、ドアの問題は氷山の一角に過ぎない。他の大量の問題の中から、解決しやすいものを選び取ったに過ぎないのだ。しかし、それすらどうしてあんな仕掛けをと考えると、謎として残ってしまう。

「そうですね。遠藤先生の服はどこに行ったのか、という些末な謎も含めれば、この事件は謎だらけです」

 友也もそれは認めるしかないと、同じように肩を竦めた。何一つ、事件に関わる謎は解けていないのだ。殺人事件について考えないようにしていたというのもあるが、あまりに解らないことばかりで、手が付けられない。

「田辺さんが異変に気づいて呼びに来たのは、朝食を食べていた時でした。朝の八時半くらいでしたね」

 状況を整理しようと、千春がリビングの隅に立つ田辺に確認する。呼びかけられた田辺はびくっと肩を震わせたが、すぐに答える。

「え、ええ。そうです。先生はいつも九時までには朝食を召し上がりますので、現れないのはおかしいと気づきました。それで呼びに行こうとしたところ、ドアがあちら側だけ閉まっていたんです」

「そう、それだ。連動しているはずのドアが、なぜか片側だけ閉まっていた。これもおかしい。なぜなら、あれは地下水を利用したものだと、今は解っています。つまり、本来ならばあり得ないことが起こっていると、我々も理解できている。あれを片側だけ閉めるのは不可能ですからね」

「あっ」

 そうかと、大地が驚きの声を上げた。あの時はまだ、不思議なドアは不思議でもなんでもなかった。だから単純に閉まっていると思っていた。しかし、実際は二つのドアが連動しているので、片側だけが閉まったままというのはおかしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る