チョメ子さん×アバターる!

いすゞこみち

序 章

第1話 アバターメイキングにハマる。

 学校から帰って着替えると僕はすぐにスマートグラスを掛けた。


 メガネ型デバイスの中で画面が開くとそこは仮想空間『VRワールド』の入り口だ。

 だけどそこで僕はログインを選ばない。画面の下に見える『エディット』と言う選択肢に視線を向ける。すると脳波センサーと視線センサーが連動して画面がすぐに切り替わる。

 次に現れたのは三つのスロットだ。左端には少年アバター、真ん中には少女アバターが立っていて右端は空白だ。少女アバターを選ぶと画面の中からそれ以外の全てが消えた。


「――えっと……昨日作ったスキン・テクスチャは何処にしまってたっけ……」


 独り言を呟きながら昨晩苦労して作った人間の皮膚画像を選ぶ。やたらとリアルな質感の肌。瑞々しい透明感も充分だ。それで僕は早速その少女アバター『X子』に張り付けた。


 未確定の『X』に女の子を表す『子』で『X子』。それは僕が作ったアバターだ。


 腰に届きそうな黒髪で年齢は一六歳。僕と同じ位で設定してある。身体は華奢過ぎず肉付きも良過ぎず。少し幼さが残るイメージで、でも幼過ぎない様に細心の注意で調整した。

 いわゆるリアルアバターで現実にいても自然に見える事を心掛けた。そんな少女アバターに皮膚画像情報が反映され始めて進展状況を示すカウントバーが表示される。

 その結果が出るのを僕は今か今かと心待ちにしていた。


 VRワールドと言うのは今、学生を中心に大人気の仮想空間コンテンツだ。ゲームとは違ってあくまで仮想空間。元は動けない人が散歩出来る医療用仮想環境体験システムだ。

 最初は患者さんとその家族しか使えなかったけれど一般に公開されてから学生を中心に爆発的に普及した。でもその世界は視覚と聴覚だけでしか体感出来ない非体験型VRだ。


 日本では法律でフルダイブ――体験型VRが認可されていない。これは異性として仮想体験すると精神に変調をきたしたりホルモンバランスが崩れる事が原因だ。それにフルダイブを体験するには手術が必要で兎に角お金が掛かる。だから認可は下りなかったらしい。


 でもVRワールドは一応医療用で専用スマートグラスも血圧計と同じ医療機器。値段も相当安くて学生でもちょっと頑張れば手が届く。そして何よりも視覚と聴覚だけの仮想世界は思ったより汎用性が高くてあっという間に日本社会に浸透していった。


 たかが視覚と聴覚の似非VRと言っても出来る事が恐ろしく多い。

 例えば塾に通うのもワールドで出来るし音楽ライブも女の子だけで安心して参加出来る。

 真夜中に友達と集まっても大人に叱られない。ワールド内で終わる限りは事件に巻き込まれる事も無い。声も必ず合成音声で個人情報も安心だから特に保護者に好評だ。


 それにスマートグラスには視力補正機能があって普通のメガネとしても使えるし、拡張現実機能も搭載されていてアウトドアやスポーツ、交通標識にも利用されている。

 最近は企業も多く参入していて子供から大人まで参加出来る第二の社会になっていた。


 だけど実の処、それ自体に僕は余り興味が無かった。と言うのもワールドで使う自分の分身である『アバター』をカスタマイズする事にのめり込んでしまったからだ。


 アバターは自分が好きな形にカスタマイズ出来る。イメージ通りに人間をデザイン出来るのが凄く楽しくて僕はワールドにログインもせずに延々と調整ばかりしている。勿論自分で少女アバターを使う為じゃない。どれだけリアルに出来るのか、何処まで思った姿を創り出せるのか――そんな自分の中のイメージを形に出来るのが何よりも楽しかったのだ。


「――凄い……いい感じ……思ったよりこの方法、自然でリアルになるんだなあ……」


 やっと処理が終わって再表示されたX子を見て僕は満足の笑みを浮かべた。だけど肌がリアルになると今度は身体バランスが気になってくる。それでまた地道な修正作業に逆戻りだ。だけど自分が思った通りに人間が完成していくのが楽しくて堪らない。

 そうやって出来栄えに満足しながら調整作業に入ろうとした時、突然階下から電話の音が聞こえてきた。それで集中が途切れてしまって僕は現実に引き戻されてしまった。


――もう、折角良いところだったのに……。


 グラスを外して机に置くと僕は立ち上がる。手に着けたパームカフ――補助操作用グローブは面倒だし着けたままで構わないだろう。そして部屋を出ると階段を降りて行った。

 作業中に邪魔されるのが嫌で僕は昔から余り傍に電話機を置かない様にしている。同じ理由でスマートフォンも無音設定のままだ。どうせ電話する知り合いだっていない。そうして階段を降りる途中でコール音が鳴り止んだ。そのまま留守番電話機能に切り替わる。

 スピーカーから電話の主の声が聞こえてきて僕は階段の途中で立ち止まってしまった。


『――あー、ミユ? 俺だけどそろそろ学校から戻ってる頃だよな?』


 この声――父さんだ。仕事で母さんと二人、確か今はフランスに行っている。僕の父さんはプロの画家で夫婦揃って家を空ける事が多い。


『――てか電話の子機、部屋に置いとけよ? お前スマホも出ねえし連絡大変だぜ』

 それは……集中出来なくなるから嫌だ。大体父さんだって嫌がる癖に……。


『――それで年末には戻れるんだけどよ? 年明けは家族で一緒に――』

 だけどそこまで聞いていると後ろから別の声が聞こえてきた。


『――ちょっと蓮司くん!? もう約束の十一時過ぎてるんだから早く来てよ!!』

『――うおっ、ちょっと待ってくれよ玲子ちゃん!?』

『――クライアントもう待ってるのよ!? アマノちゃんに相手して貰ってるんだから!』

 割り込んで来た声は母さんだ。相変わらず二人は仲が良い。まるで子供みたいに無邪気で昔からお互いを名前で呼び合っている。親と言うより歳の離れた兄姉みたいだ。


『――あ、いや、あとちょいだからよ――なあ、ミユ?』

 だけど思わず笑ってしまった時、突然父さんの声が少し真面目に変わった。まるで受話器のマイクを手で覆ったみたいにボソボソとくぐもった声に変わる。


『――ミユ、お前……何かあれば絶対俺に相談しろよ? 俺はお前の親父なんだからよ』

 その言葉に僕は唇を噛んで俯いてしまった。父さんは僕が中学を卒業する頃からよくそう言う様になった。中学三年の頃に嫌な思いをしてからいつも同じ事を言う。心配してくれるのは嬉しいけど、その度に必ずあの事を思い出してしまう。息苦しくなって自然と胸を手で押さえてしまう。だけど父さんの声は少しだけ合間を置いてから続いた。


『――その……ミユはミユなんだしよ? 別に俺の事を気にしなくても良いんだぜ?』

 少し躊躇する様な言い方でそれが心苦しい。そして自己嫌悪に陥っていると今度は再び母さんの急かす様な大きな声が聞こえてきた。


『――もう、蓮司くんってば! ヴィクトルさんが、お・待・ち・か・ね、よ!』

『――い、痛ェって玲子ちゃん! ま、まあだからよ、ミユ、留守番の方頼むわ!』

 そしてやっぱりいつもと同じで唐突に電話が切れる。無感情な電子音声が日時を告げて再び廊下はシンと静かになった。それで僕も踵を返すとノロノロと階段を昇っていく。


「……分かってるよ。ちゃんと良い子にして、もう何もしないからさ……」

 それだけ呟くと僕は重くなった心を引きずりながら二階の自室へと戻って行った。


 部屋に戻るなり僕は自分の頬を挟む様に叩いた。机に置いたスマートグラスを取ると今自分が一番やりたい事だけを思い出して気持ちを切り替える。

 何かを形にするには気持ちが大事だ。気分が沈んでいると描いて――作ってもろくな事にならないし酷い物になってしまう。それは昔から思い知らされている事だ。今日中に出来る処まで進めたいし早く完成させたい。何よりも早く形にしないと自分の中にあるイメージの鮮度が落ちて迷いが混ざってしまう。それだけは絶対に避けたい事だった。


 そして僕は右手に着けたグローブをギュッと握り締めると再びスマートグラスを着けた。

 さあ、やるぞ――だけどそう思った処で今度はグラスから着信音が鳴ってビクリとする。


「……もう、なんだよ今日は……こんなのばっかりだ……」


 聞こえたのはチリンチリンと言うメッセージ着信音。ぶつぶつ文句を言いながら僕は画面を開く。そしてその差出人と見出しを見て思わず『あっ!』と声を上げてしまった。


 すっかり忘れていた、今日VRワールドで会う約束をしていた相手からのメッセージ。

 それは……二年前から会っていない一つ年下の、幼馴染からのメッセージだった。

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