第二部
第4話 開拓者の少年
また、父さんから手紙が来た。森で生活するなんて馬鹿げたことはやめて、とっとと家に帰ってこい、と。いつも同じ文章。飽きないのが不思議なくらいだ。
僕は森を歩いていた。それも、夜の森だ。静かで、闇の中で生き物たちが密やかに息づいている気配。そういったものを、五感を全開にして感じとる。
そうしていると、僕はただ“僕“という生き物になる。
他人からの期待や押し付け、そういった声がどこかにいく。空を見ると、きらきらとした星たちが瞬いている。無言に、だけど、見ているよ、とでも言っているのかのように。
(ヤン、お前は俺の言う事を聞いて、画家になれ)
「うるさい。僕は、僕なんだ」
ふと浮かんできた声に、僕はかぶりを振った。
父さんは僕に画家にさせたがる。絵を描くのは僕自身大好きだ。だけど、僕が描きたいのはあくまでも動物や植物だ。
多分、おそらく、父さんは僕を自分の思い通りに動かしたいだけなんだと思う。
「そんなことしたって無駄だぞ。僕は、博物学者になるんだから」
この世界が好きだ。
町にいるときには感じられないものがある世界。静かで、厳しくて、見守られている世界。実の親に理解してもらえないのは悲しい。
だから僕は、森を歩く。
どこかで大声がした。森の秩序、静けさを破る悲鳴。
「は?」
ざわざわとした違和感があった。今は初夏。動物たちの営みの時期だ。
ーー熊。
彼らももちろん活動をしている。僕自身は獣のように感覚を全開にしている。だから、わかる。これは余所者だ。ここのルールを何も知らない者が、何かをしでかした。森の秩序を破ったのだ。
せっかくのひとときを邪魔にされて僕は舌打ちをした。しかし、何か間違いがあってはいけないんだ。僕は、声のした方に走り出した。
(あれは、あのときみた母熊……!)
数日前、僕は谷底をのんびり歩く親子の熊をみた。
子どもはこの春生まれたばかりなのだろう。まるで子犬のように、ぴょこぴょこと歩きながら母熊の周りをじゃれついている。このときばかりは、僕は遠く離れたところに暮らす実の母のことを思った。
末っ子の僕を、いつも優しく見守ってくれた。父に楯突くことはなかったが、それでも陰ながら僕のやりたいことを応援してくれていた。
母の子どもを見る眼差しは、人間も動物も変わらないと僕は思う。
僕は、あの子熊を孤児にしたくなかった。
人を襲うということは、呪いを受けるようなものだ。野生の生き物と人間はどうしても相容れない。別の世界で生きている、と思う。
それくらい僕たちは母なる世界から切り離された場所で生きている。
その相容れないものの命、人間の命をとるということは、その生き物を狂わせる。人を恐れなくなる。襲うようになるということは、駆除の対象になるということだ。僕は、あの母親をそのような目に合わせたくなかった。
(やむおえない)
使うつもりはなかったが、いざというときの護身用に背負っていた銃を僕は構えた。
(頼む。……逃げてくれよ!)
祈る気持ちで僕は空に向かって引き金を引く。
ーーパーン!
熊の動きが止まった。じとりと嫌な汗が落ちる。
続け様にもう二発、うった。
(近くに子熊が隠れているんだろう? その子のもとに帰るんだ)
僕の祈りが通じた。
熊は戸惑った様子を見せたが、次の瞬間身を翻して薮の中に戻っていった。
「はぁ〜、よかった」
熊の気配が完全に遠ざかったのを確認してから、僕は森の秩序を乱した大馬鹿もののもとに近づいた。異質な服装。一体どこから現れたんだ?
その子は、どうやら気を失っているらしい。このままここに置いておくわけには行かない。この子は森の異物なんだから。
「仕方ない」
気が進まなかったが、僕は彼女をおぶって開拓小屋まで戻ることにした。
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