第14話


 陽の匂いが、鼻先をくすぐった。

 閉じた瞼の裏が、白い。

 死んだのかと一瞬だけ思って、目を開けた。土で汚れた手が、大きく映る。自分の手だと気付くのに、長い時間がかかった。


 キョウは身体を起こす。そばに、カンの大きな身体が横たわっていた。身体に似合ったいびきを立てている。その巨体を見下ろすようにして、ハツが身体を屈伸させていた。目を覚ましたキョウに、短く挨拶をしてくる。


「今は何時だ?」

「隅中初刻(朝九時頃)」

「誰も起こしに来んのか」

「ああ」


 ハツが短く応える。キョウは驚きながら立ちあがった。見ると、多くの民兵と住民が広場で寝ていた。正規兵の姿だけがない。昨夜のことが嘘だったのではと思うほど、暢気な光景だった。


「眠れるうちは眠っておくべきなのだろう」


 後ろから声がした。シカの声だ。ふり返ると、シカとテイが槍を片手に立っていた。二人とも、額から汗を流している。鍛錬でもしていたのだろう。


「籠城の準備は」

「正規兵がやっている」

「俺達には、なにも言われていないのか」

「日中初刻(朝十一時頃)から始めよと」


 悠長なことだと、キョウは眉根を寄せた。敵が迫っているのだ。一刻を争う時ではないのか。


「集まった民兵は、疲れている者が多い」

「休めと?」

「これからしばらく休めぬ、ということだろうよ」


 シカが苦笑いする。彼の隣に立つテイの腕に、緊張が加わった。槍の刃先が、小刻みに揺れてだした。


 城壁の上に目を向けると、いくつかの人影が忙しなく動いていた。正規兵だろうか。なにかを運んでいるようでもない。同じ場所を何度も行き来しているようだった。


「草を下ろしているのか」

「いや。あれは使うらしい」

「火を付けて落とすのか。たいして意味も無いだろう」

「さあな」


 シカが頭を横に振る。

 二人が話しているところへ、ハツが近付いてきた。長い戈を立て、城壁の上へ目を注ぐ。彼はしばらく何か考えていたようだったが、ついに口を開くことはなかった。目をほそめ、眠っているカンのそばにどかりと腰を下ろす。何か気になるのかとキョウがたずねても、ハツは頭を横に振って答えなかった。


 やがて日中初刻となり、民兵も動きはじめた。昨日と同じように、城壁の上へ延々と荷を運んでいく。

 身体の大きいカンは、よく働いた。人の二倍、物を運んでいく。大きな石を担いでも、身体がぶれることはなかった。やや体の小さいテイとハツが、うらやましそうに彼を見る。二人とも小さな荷を運ぶだけでも息切れしていた。


 住民の力ある者も、手伝っていた。女や子供は、食事の準備をしているらしい。時折風に乗って流れてくる匂いが、多くの者の腹を鳴らした。そのたびに、各所で笑い声があがった。


「シカ」


 またひとつ石を担ぎ上げ、キョウが声をこぼした。


「なんだ」

「逃げようと、思わなかったのか」

「思った」

「なぜ、留まることにしたのだ。土地か?」

「いや」


 キョウに続いて、シカも石を担ぎ上げた。複雑そうな笑みを浮かべ、キョウの顔をのぞく。


「きっと、お前と同じだ」

「そうか」


 キョウは、戦いの結末を見てみたいと思っていた。見ることもなく死ぬかもしれないが、なぜか、思ったのだ。その思いが自らのものかどうか、キョウには分からなかった。雰囲気に流されたのか。まだ戦いたいと感じたのか。劉延という男が、そうさせたのか。キョウはシカの目をのぞいてみた。彼もまた、答えを持っているようではなかった。不安と迷いの色が、瞳の奥にゆれている。


「草のようなものだ。我らは」

「そうだな」


 石を担いで、城壁に向かう。二人の前を、テイとハツがふらつきながら石を運んでいた。先頭を、カンが悠々と進んでいく。

 風が、頬を撫でた。

 城壁の下で伸びる雑草が、ぐらりと揺れる。確かに草のようなものだと、キョウは苦笑いした。

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