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国内産黒米

第一章 逃げる岩礁

紀元一八六六年のある港町インテガ。海は豊かで山は高くそびえ、多くの人々が漁師として生活している。浜辺には淡く輝く珊瑚や難破船からのものであろう、ダイヤモンドや金貨が流れ着くこともあり、人々は金色の港と呼んでいた。

しかし、その砂浜に漁師ら多数が集まる不思議な事件があった。

近くの小屋に住んでいるネッド少年は集まった漁師たちの様子を眺めていた。じっと見つめていると、男たちの様子が変わってきたのだ。何かが海面から姿を現し、こちらを見やる。すると男たちは銛で仕留めようと我先にと投げつけるのである。

ネッド少年は齢九つでありながら銛の名手である。名手の少年は無理な狩りはしない。それほど大きな岩礁のような生物が海に浮かんでいるのだ!

岩礁のようなものは輪を描くように銛の雨を避け、雷鳴のような雄叫びをあげると水を吹き上げた。遠くの浜辺で見物していたネッド少年達の服をずぶ濡れにするほど、遠くまでその飛沫は広がった。

少年が呆気にとられている間に男たちは退散し、辺りには沈黙が響く。僕も帰ろう。少年が立ち去ろうとしたとき、沈みゆく岩礁の影に見えたのだ。

人影が。


「インテガ浜辺に逃げる岩礁現る!」

かの生物は後日、新聞記事の一面に飾られていた。町の掲示板に貼られていたその一面を子供達は瞳を輝かせながら、また大人たちは身を震わせながら読んでいた。それもそのはず。紙面には強大な岩のドラゴンが海面から顔をのぞかせてこちらを伺っているイラストが大きく載せられていたからである。

母親から牛乳の買い出しを頼まれたネッド少年も、この新聞記事を読みに寄ったのだ。しかし少年が最後に見た謎の人影については一切載っておらず、幻覚だったのだろうかと首をかしげる。

「やあ、ネッド。今日もおつかいかい?」

「そうだよ、アロナックスおじさん」と少年は親しそうに三十ばかりは歳上の男に声をかける。「まさか、おじさんもドラゴンなんて信じてるなんて言わないよね?」

ネッド少年の父親がわりの近所のおじさん、アロナックスが視線を紙面に移す。「そんなことはないさ。でも、この世界は広いからね。海底なんかには潜んでいることだってあるだろう」

興味深そうに何度も紙面を読み返すと、何かに気付いた。

「ネッド、おつかいは?」アロナックスが言うと、飛び上がるようにネッドが驚いた「母さんがカンカンだ!早く帰るよ!じゃあね!」

掲示板の角を曲がり丘の先、牧場にて牛乳をもらう。牛乳瓶が六本入った木のケースを抱き抱えながら少年はできる限りの早足で自宅へと帰った。


この事件は全ての始まりであった。

群れて渦巻く鰯の様に、全ては繋がり、やがて大きくなる。


政界ではさまざまな議論が交わされるほど事が大きくなってしまったのだ。イカロス国の軍艦レイチェル号が噂されるインテガ海沖で岩礁とぶつかり、沈没したのである。生還した船員に状況を聞いたところ、レイチェル号は腹部に大きな穴があけられ、暗き海に沈んだのだと言う。この事件が皮切りとなり、イカロス国の軍艦は次々と沈められるようになった。

イカロス国から遠く離れたエンテリガ国のインテガ海で軍艦が沈むとなると、疑われるはエンテリガ国の軍部である。しかし、その疑いはすぐに晴れた。岩礁はインテガ海から遠く離れたアメリゴ海でも複数確認されたのである。

あれは船ではなく、生物であるのだ。そう称える学者と、否、幻の箱舟である!と信じる学者が対立を始めた。それぞれの見解を報じる新聞社同士で決闘を始める事態にもなり、世の中は混乱を極めている。

ネッド少年は新聞記事を掲示板で読むと、あの人影は幻であったのか、と更に不信感と好奇心に突き動かされた。

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