第3話

 彼女は、学生時代からの友達だ。恋人ではない。とても仲のいい友達。三週間前、僕と彼女は新宿で待ち合わせて映画を観に行く約束をしていた。しかし、彼女は二時間待っても来なかった。公衆電話から、何度も彼女の家へ電話をした。誰も出なかった。日曜日だから仕事に行っているわけはなく、僕は彼女に連絡するすべなくその日は帰宅した。


 それからしばらくして、自宅に電話がかかってきた。それは彼女の母親からの電話だった。僕と映画に行く予定だった日、彼女は交通事故に遭っていた。頭やあごや口、腕に大けがを負った。あまりの驚きに声が出なかったのに、僕がその電話でまず最初に確認したことは、僕との待ち合わせの道で事故に遭ったのかどうかという、ひどく自分勝手なつまらない事柄だった。結果的に彼女は待ち合わせの道すがらではなく、その日の朝に自宅近くで事故に遭っていたと聞き、心のどこかでほっとしていた。僕は薄情な人間だと自覚した。


 すぐに見舞いに行きたいと思っていたけれど、僕も仕事がなかなか落ち着かなくて、そしてこの病院が少し遠くて遅くなってしまった。けれども、包帯だらけの彼女の様子を見て、あまり早く来なくてよかったかもしれないとも感じた。早く押しかけたら、かえって彼女にも彼女の母親にも迷惑をかけただろう。


「あの、こういうものなら口に入るかと思って持ってきたんですが」


 僕は出がけに買っておいたストロー付きの飲み物や、柔らかいプリンとかヨーグルトとか、いくつか見つくろったものを差し出した。彼女の母親は嬉しそうにお辞儀をしてくれた。


「まあ、ありがとうございます。ね、嬉しいわね、プリン好きだものね」


 彼女に話しかけながら、一つひとつ取り出して見せている。彼女はまたこくりこくりとうなずいて、僕にニコリと目で笑ってみせた。


「お花なんかより、そういうもののほうがいいかと思って」

「ありがとう、本当にそうですよ。夏だから喉も乾くし、この子も」


 うなずいて見せる彼女は、それでもかなり苦しそうな様子だった。たくさんの包帯が痛々しく、僕が普段見慣れている彼女ではなかった。


 ゆるくクーラーの効いた院内は、まるで人工の繭のようだ。多くの命がひっそりと、どこかへ飛び立つ準備をしている。繭の外は相変わらず青空で、雲は白く、夏の緑はぎしりと窓のそばまで迫ってきていた。繭の中でまだ苦しんでいる彼女がかわいそうで、僕は自らの無力を感じた。僕なんかよりも、お母さんのほうがずっとずっとそう感じているだろうに、僕は自分のことしか考えられなかった。クーラーが効いているはずなのに、こめかみを汗が伝う。


「そろそろ、失礼します。あまり疲れさせては」


 そこまでは、ちゃんと言った。しかし、その後のことをよく覚えていない。母親と何度も挨拶を交わしたことと、別れ際に真っ白い包帯がぐるぐる巻いてある腕で、そろりとうかがうように手を振ってくれた彼女の姿が目に焼き付いた。


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