起源の魔女

秋都 鮭丸

プロローグ:魔女の目覚め

1話

——これは遠い昔の話。まだ魔女が、魔女と呼ばれていなかった頃の——



 若い夫婦が、ある“木”の根本に、生まれたばかりの赤子を捨てていってしまいました。ただただ衰弱していくばかりの赤子を可哀そうに思った“木”は、その赤子を自身の太い幹の中に取り込むことにしました。“木”がずっと蓄えていた“力”を赤子に注ぎ込むことで、命を繋ごうとしたのです。そうして何十年もの間、赤子は“木”に抱かれ続けていました。


***


「きみ、こんなところで何をしている」

 白い髭をたっぷり蓄えた老人が、私に迫ってきた。迫りながら、矢継ぎ早に質問を投げかける。

「きみ一人か」「服はどうした」「話せるか」「親は」

 私には答えようのないものばかりだった。つい先ほどまで、私は暗く暖かい“木”の中にいたはずなのに。どうしてこうも視界が開けているのだろうか。なぜこの老人は、私に声をかけるのだろうか。

「名前はなんて言うんだ」

 その答えは知らないはずだった。名付けられた記憶なんてない。自分で考えたこともない。それなのに——、

「アネモネ……です……」

 まるで初めから与えられていたかのように、私はその名を名乗った。


 温かい食事をとった。きっと、生まれて初めてのことだ。

 老人に連れられて、私は小さな村に行き着いた。木材で建てられた、吹けば飛ぶような小屋が十数個ほど並んでいる。その中でも一際小さな小屋で、私はもてなされていた。

「今日からここが、きみの家だ」

 老人は優しく微笑んだ。


***


 かつて赤子だった少女は、村で暮らすことになりました。村人達の反応は様々でした。老人同様、暖かく接してくれる者。余所者だ、といい冷たくあしらう者。少女にとって、それは些細なことでした。しかし老人は、少女を心配していました。その度少女はこう言うのです。心配してくれる人がいれば、私には十分、と。そうして二人で、食卓を囲むのでした。

 年月が経てば、きっと村のみんなも受け入れてくれる。老人はそう考えていました。ところが、そうはいきませんでした。

 少女は何年経っても少女のままでした。本来なら成人するような年になっても、少女は相変わらず、片手で持ち上げられそうなほどでした。その上、少女の左目には、何か黒いシミのようなものが日に日に広がっていました。村人達は、気味が悪い、と少女から離れていきました。老人は、いつまでも少女と共にいました。少女はそれで満足でした。


***


 鳥の声で目が覚めた。少し早い時間に起きてしまったようだ。私は朝食の用意をして、老人を待った。

 しばらくして、がさがさと布の音が聞こえてきた。老人が起きたのだろう。頭をかきながら姿を現した彼に、私はおはよう、と声をかけた。

 老人の足がぴたりと止まった。予想外の返事が返ってくる。

「アネモネ、目……」

「目?」

 老人は慌てて物入れから鏡を取り出し、私の前に差し出した。

 そこに映った私の左目には、昨日までの黒いシミは跡形もない。その代わりに、瞳が異様な変貌を遂げていた。青みがかった緑に変色した瞳には、うっすらと幾何学模様が浮かんでいる。さらに左目の下、左頬には三つの黒い逆三角形がほくろのように現れている。

「なに……これ……?」

 私は老人に、助けを求めるような視線を送った。老人はその右手を、私の頬に当てた。

「美しい……」

 そうしてじっ、と私の左目を見つめていた。見つめたまま、時間が止まったようだった。


「ねぇ」

「朝ごはん……」

私がひっそりと声をかけると、老人はハッと意識を取り戻した。

「すまないアネモネ、まずは食事をいただこう」

 そう言って、老人は私から手を離した。


 結局、私の左目に何が起こったのかはわからずじまいだった。


 村の外れに、薪が集められた場所がある。そこにある薪は、村人が自由に使えるものだ。私も、暖炉にくべる薪を持ち帰るためにそこを訪れていた。

 積みあがった薪に手を伸ばそうとしたとき、声が聞こえた。

「なんだあの目!!」

 ばっ、と振り向くと、五、六人ほどの子供達の視線が私の左目に注がれていた。

「化物だ!!!」

 私は慌てて左目を覆った。子供達は私を指差し、化物だ化物だと口をそろえた。騒ぎを聞きつけた大人達も、何事かと寄ってきた。

「あいつの目、化物になってた!」

 否定も肯定もできないまま、私はうろたえていた。大人達は元から不気味だった私に近付こうとはしない。

 そんな中、一人の子供が何かを構えた。

「出ていけ!」

 左目を覆っていた手に、投げられた石が直撃した。痛みで思わず目から手を離す。手の甲が小さくえぐれ、赤いモノが滲んでいた。

 左目の奥に熱を感じる。

 わずかな痛みはすっと消え、えぐれていた手は元に戻った。僅かな血液だけが、手の甲を滑る。そこに傷跡は残っていない。

「出ていけよ!」

 子供達は一斉に石を投げつけ始めた。私の左目を見た大人達は、嫌悪を募らせた表情を見せる。

 私はたまらず逃げだした。

 体中に刺さる痛みは、少しの間を置いて消えていった。傷が残らないのなら、老人に心配させなくてすむなぁ、なんて考えていた気がする。

 そうして私は、老人と暮らす小屋に辿り着いた。もう誰も追ってきてはいないらしい。少し息を整えて、私は小屋に入った。

 老人はこっちを見るなり、がたん、と立ち上がった。

「何があった」

「え……?」

 私は身体中を見回し、血痕もほつれもないことを確認した。じゃあ何故、老人は……。

「あっ、薪。ごめんなさい、忘れて——」

 老人は私の目の前に立ち、その手で私の頬を撫でた。

「泣いているじゃないか」

 冷たい筋と、温かな指の感触が、頬をなぞる。


 私は何故、泣いているのだろうか。


***


 こうして村人達は、少女が自分達とは明らかに違う存在であることを確信しました。得体の知れないモノを、いつまでも側に置いておきたくはない。村人達は少女を村から追い出すことに決めました。反対する者は、誰もいませんでした。


***


 次の日の夜に、彼らはやってきた。私をこの村から追い出すために。

 老人は必死に抗議をしてくれていた。

「アネモネが、何か危害を加えたというのか」

「君たちに何か不都合でもあるのか」

 村の長が前に進み出て、老人を思い切りぶった。

「アレを庇うというのならお前も同罪だ」

「出ていけ」

 長がそう言い放つと、村人達は私達の小屋に火をつけた。火は徐々に燃え広がり、私達の居場所を灰に変えていく。

 老人は、最初こそ火を消そうと躍起になったが、ついには諦め、燃え盛る炎の先を眺めていた。私もまた、同じ場所を眺めていた。


 何故老人までひどい目にあわなければならないのだろうか。私が悪いのだろうか。私がいなければいいのだろうか。


 左目の奥で、何かが弾けた気がした。

 じんわりと、でも火傷しそうなほどの熱を、左目に感じる。


 風が止んだ。


 異変を感じた村人達はざわめきだす。

 しかしそのざわめきは聞こえない。

 そんなものは、聞くに値しない。

 何の罪もない老人に、こんなひどい仕打ちをする奴らだ。


 こんな奴ら、私は、いらない。


 一陣の風が、村を貫いた。


 私達の小屋を、村人達の小屋を、村人達を――、全てを巻き上げて薙ぎ払う。草も花も木も、地面ごと抉り取り、宙を舞う。火は空いっぱいに燃え広がり、風にのせられたものを焼き尽くした。嵐のように吹き荒れる風だったが、私のことは、優しく撫でていくだけだった。

 そうしてその場に残ったものは、私と、呆然と立ち尽くす老人のみとなった。老人はゆっくりと振り返り、絞り出すような声で言った。

「アネモネ……」

「きみが……やったのか……?」


 たったの一瞬で、この村にいる人間は老人ただ一人となってしまった。


 私はきっと、人間ではないのだ。

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