~依頼~


「……」


 私は今決断を迫られている。




 ううん。


 本当はすでに決まっていることだから、後は実行するだけでいい。



 でも、実行に移るのがとても躊躇われた……。




「何してるんだ? 早くしろ」


 隣に座っている朔夜が急かしてくる。



「うん、分かってる。分かってるけど……」


 私はそう言って生唾を飲み込んだ。




 改めて、目の前にあるそれを見る。



 協会から支給されている、人間の血液。



 私は今、これを飲まなくてはいけないんだ。





 吸血鬼である朔夜に、共に生きろと言われて吸血鬼にされた私。


 多少の不満もあったけど、朔夜と共に生きることが出来るのは嬉しかった。




 でも!



 人間の血を定期的に摂取しないといけないのは考えていなかった。



 嫌な汗まで流れてくる。



「ねえ……どうしても飲まなきゃダメ?」


 私は救いを求めて朔夜を見た。




「ダメに決まってるだろう? お前には俺の血を分けたから普通の吸血鬼よりは持つが、せめて二週間に一回は飲まないと辛いぞ?」



 はい、ごもっともな意見です。



 実際、そろそろ二週間たつ頃で、動きが鈍くなってきてるのが自分でも分かる。



 飲まなきゃ……ないんだよね……?



 それでも決心する事が出来なくて、血液パックを手に固まってしまう。



 そんな私に朔夜がはぁ…と呆れたため息をついた。



「貸せ」


 短くそう言った朔夜は私の手から血液パックを奪い取る。




 そしておもむろに中の血液を口に含み、私にキスをした。



 舌を使って押し広げられた唇の隙間から、何とも言えない濃厚な味の血液が流れて入ってくる。


 朔夜の唇が私の唇全体を覆ってしまったから、私はその血液を飲み込むしかなかった。


「んっ……んぅ…」



 ゴクン



 喉を上下させて飲み下すと、朔夜の唇が離れる。




 空気を求めて上下する胸元。


 口移しで血を飲ませるためだとはいえ、突然のキスに驚いて顔を真っ赤にしている私。



 そんな私を見て、朔夜はニヤリと笑った。



「口移しなら飲めるみたいだな?」


 目を細めて、朔夜はとても楽しそうだ。



 私はそんな朔夜にドキドキする。


 朔夜が楽しそうにするのは、決まって私をいじめるとき。



 いじめるのは、朔夜の愛情表現。



 だから私は、その愛情が欲しくてドキドキする。


 無意識に、朔夜がもっといじめたいと思うように頬を染めながら困った表情を作る。



 朔夜いわく、私のそういう表情がそそるんだとか。




 案の定、朔夜の手が緩やかに私の頬を撫でた。


 そして、片手に持った血液パックを見せながら言う。


「まだ、もう四回分くらいは残ってるな……?」


「っ!」



 私の心音は、もうドキドキどころかバクバクだ。



 朔夜はもうあと四回、さっきみたいなキスをすると言っているんだから……。




 息苦しいほどの鼓動で、私は言葉を発することが出来ない。


 代わりに、潤んだ目で朔夜を見た。



 朔夜が欲しいと、はっきりした意志を持って見ていた訳じゃないけれど……。


 でもきっと、求めるような顔はしていたと思う。



 朔夜はそんな私を見てフッと笑う。



 顔が近づいてきて……多分、口の近くに血が残ってついていたんだろう。


 それを舐め取った。



「んっ……朔夜……」


 自然と甘ったるい声が漏れてしまう。



 朔夜に見つめられて、無意識に自分からキスをしようとした――けれど。




「あー……その。……私はしばらく席を外そうか?」


 いたたまれないといった感じの佐久間さんの言葉がその場の甘ったるい空気をぶち破った。



 そして私は現実に引き戻される。



 そう、ここは日本ヴァンパイアハンター協会本部の本部長室。


 私達が血液補給のために本部を訪れると、本部長直々に依頼したい事件があるので来て欲しいと受付の女の人に言われた。



 そしてこの部屋に入り、とりあえず血液補給を先に、と言うことで今に至る。



 つまり、先ほどの一部始終を佐久間さんに見られていたことになる。



 いや……別に存在忘れてた訳じゃないんだけど。


 ……ううん、ちょっと本気で忘れかけてたかも……。



 現実に戻ると、異様に気恥ずかしくて私は佐久間さんから視線を逸らした。



「別に? いれば良いだろう。こっちはこっちで勝手にやってる」


 暗に、見られたって構わないと朔夜は言った。



 いや、私は構うんだけど!?



 そう思って朔夜を振り仰いだけど、朔夜は佐久間さんの方に顔を向けていたから気付いてくれない。



「貴方だけが良くてもなぁ……」


 と佐久間さんは苦笑い。



「だったらどこかに行ってろ。俺達の邪魔をするな」


 シッシ、と手を振る朔夜はあからさまに佐久間さんを邪魔そうな目で見た。



「もう、朔夜! そんな態度、佐久間さんに失礼じゃない!」


 私は思わずそう叫んだ。



「ほほぅ……?」




 え?


 何……?


 朔夜、何かたくらんでる顔してる……?




 私は座ったまま少し後退りした。


 朔夜はその私の腰を掴んで引き寄せる。



 顔が、近づく。



「こういうことをしているのは、一体誰のためだと思っている?」



 誰のためって……あ……。



「わ、私?」


「何で疑問形になる……。とにかくそういうことだ。お前がどうこう言える立場か?」


「うっ……」



 確かに、私が自分で血を飲めれば良いんだろうけど……。



「でもこんな人前で……」


「もういい、黙れ……」


 朔夜は、尚も反論しようとした私の唇を少し乱暴に塞いだ。


「んぅっ!?」



 ちょっ……佐久間さんが居るのに……。



 そう思って私は初め抵抗したけれど、慣れた舌は私の意識をすぐに溶かしていく。


 溶けていく意識の中で、佐久間さんが部屋を出て行く気配を感じた。



 それを待っていたかのように、朔夜がまた血液パックを口に運び、口移しで飲ませてくる。




 一回……。


 二回……。



 最初はあと四回と言っていたのに、朔夜はわざと一回分の量を減らして、結局六回口移しのキスをする。


 そんな子供じみた所も愛しくて、私は朔夜の首に腕を回し彼を受け入れた。






「え~と……それで、依頼って何でしょうか?」


 改めて佐久間さんと向かい合い、本題に入る。


 先ほどのやり取りのすぐ後だから何だか気まずかったけれど。



「ああ、まずはこれを見てくれ」


 と、佐久間さんは数枚の写真を私達に見せる。




 佐久間さんの態度は普通だ。


 良かった、気にしてないみたい。



 私はホッとしつつ写真を見る。



 写真はそれぞれ人の体の一部を写したもので、足やら腕やらその場所は様々だ。


 ただ、共通するところが一つ。



 その部分に二つ並んだキスマークがあった。



 明らかに吸血鬼の仕業だ。



「実はかなり前から、こんな風に手足から血を取っていたらしい。その量がわずか過ぎて、長い事気付かれてなかった」


 写真の一枚を手に取り、それに視線を落としながら佐久間さんは続ける。



「それに、その量から見ても飲むために取られたとは考えにくい」


「そうですね」


 私は頷いて同意した。


 それに、血を吸うならやっぱり首筋からの方が吸いやすいはずだ。



「それで? 他に情報は?」


 朔夜が話の間に入って来るように質問した。


 佐久間さんは聞かれるままに答える。



「それがさっぱり。吸血鬼の仕業だということが分かっているだけで、それ以外の情報は入って来ないんだ。……そこで君達の出番というわけだ」


 視線を写真から私達に向けた佐久間さんは、にっこり笑顔でそう言った。



 それに対し朔夜がため息をつく。


「それは『君達』というより主に俺にだろう? 吸血鬼同士の情報網をあてにしやがって……」


「仕方ないだろう? 他に方法が無いんだ」


 朔夜のグチも平然と受け流す佐久間さん。




 何だか二人とも遠慮のない話し方するなぁ。


 昔ながらの知り合いだからかな……?


 これもある意味仲良いってことだよね。




「ま、とにかくそういうことだから頼むよ」


 にっこりと有無を言わせない表情で佐久間さんは言った。



「まったく……望がハンターでなければ受けないぞ、こんな依頼」


 しぶしぶ言った朔夜の言葉に引っかかりを覚える。



「何それ、私がハンターなのがいけないの?」


 全面的に私の所為にされたような気分で、ちょっとムッとする。



「違う」


 呆れたように言った朔夜は、私の方を向いて迫ってきた。



 え?

 な、何!?



「お前のためじゃなかったらしない、という意味だ」


 近くで艶やかに微笑みながら言われ、私の顔は熱くなる。



「朔夜……」



 私のためなんて……正直嬉しい。



 こんなとき、愛されてるって思える。



 朔夜の手が優しく顎に触れ、顔が近づく。



 目を閉じ、唇が触れようとした瞬間――パンパンと手を叩く音がした。




「はい、そこのバカップル! 用は済んだんだからそういうことは他所でやってくれ! それとも何かい? それは彼女すらいない私へのあてつけかい!?」


 佐久間さんがちょっと半泣き状態で叫ぶように言った。



 私は呆気にとられる。



 佐久間さん、それなりに年くってるしもう結婚してるのかと思ってた。


 ダンディーな感じで顔も悪くないのに……。



 これまでよっぽど出会いが無かったか、仕事一筋だったのね。


 可哀相に……。


 


 そうやって憐れみの目で見ていると、さっさと帰れと言わんばかりに本部長室を追い出された。



 ちょっと悪いことしたかな?


 佐久間さんの前ではあまり朔夜とイチャつかないようにしよう……。




 と、私はそう思った。


 でも、朔夜は何だか楽しそうに笑ってる。




 あ、これ、絶対また同じような感じでからかう気満々だ。



 ゴメン佐久間さん。


 私、こんな楽しそうな朔夜は止められません。


 本っ当にごめんなさい。



 私は心の中でのみ、先に謝っておいた。

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