第12話 なんだかんだでもう目前

「なかなかいい仕上がりだと思うよ」

 小林さんはニコニコしながら僕にそう声をかけた。

 マラソン大会が目前に迫ってきた今日、僕は小林さんに最終チェックをお願いして練習の成果を見てもらっている。

「小林さんは、本当にそう思いますか?」

「ははは……何? 本当にって。本当だよ」

 確かに初回の練習と比べたら今の僕はこなれた感じは出てきているようだ。

 まぁ、必死にやってここまで来ました。が本当のところだけれども。

 絶対的なターニングポイントはあの、踊り場でMinoriちゃんに会った瞬間だと、思う。

 真剣にやるって凄いことだなぁって思えたから。だから僕も(期間限定にはなるけど)少しくらい無理をしてでもこのマラソンは取り組んでみると決めたのだった。

「あとは連続でどれくらい走り続けられるかと体力がもつのか、だよね」

 そう小林さんが言うように、今懸念しているのはスタミナ切れが思いのほか早くやってきてしまうのではないかということだ。

 同じ条件下で走ることができないので何とも判断できないのがつらいところだ。

 でも、元陸上部監督の小林さんの言葉はとても心強い。


「やーまもーとくーん! お疲れさまー!!」

 花田さんの声が遠くから聞こえる。振り返ると、花田さんとコンビニのビニール袋をぶらりと手に下げた課長の姿が見えた。

「東堂課長! それに花田さんも」

 僕たちに近づいてくると「どうだ? 調子は?」

とすかさず課長が尋ねてくる。まるで職場で「あの件、どうなった?」とチェックを入れてくる感じと全く一緒だ。……まぁ、今も正にチェックはされてるんだろうけど。

「なかなかいい感じだよ」

 僕の代わりに小林さんが満足そうに答える。

「監督が、そうおっしゃるなら間違いないですね」

 軽い笑みを浮かべながら返事を返す課長は、職場の課長と小林さんとはまた少し違った雰囲気だ。

「監督は、もうやめてよ? 僕はもうすっかり引退した身だよ」

「私にとっては監督はいつまでたっても監督ですよ。職場ならまだしもプライベートでくらい、そう呼ばせてもらっても」

 なるほど。話を聞きながら僕は二人の関係を正確に理解した。課長が陸上部に在籍していた頃の監督は小林さんだったんだ。

 会話している二人の話を全く気にすることなく、花田さんが今日も天真爛漫に切り込んでくる。

「なんか、サマになってきたねー。その格好! にわかランナーには見えないよ!」

 直球投げ込む会話スタイルの花田さん、いきなり何を言ってくるかと思ったら、ホメだったとは!

「……最初は全く似合わなかったのでそう言ってもらえると嬉しいです。っていうかこんなところまですみません。お腹大きくて大変な時に」

「あはは。いいっていいって。本番も応援しに行くんだから頑張ってよぉ」

「そうだぞ、山本。俺もお前の雄姿は楽しみにしているからな」

 ほら、と手にしていた袋を僕に差し出した。

「差し入れだ」

 滅多にない課長のデレに僕はちょっとだけドキッとしてしまう。



 最後の練習を終えて、大会3日前。

 大会の事を考えるだけでなんだかそわそわして落ち着かなくなってきてしまった。ふいに不安が襲ってくるから仕事に支障をきたさないよう普段以上に気を遣う。なんだか食欲もないし、胃はキューってするし、喉に物が詰まっているような感じがして調子が悪い。

 最後の練習で小林さんからいい感じだとは言われたけど、本当の事なのだろうか、全くの気休めだったらどうしよう。とあの時の言葉にまで疑問をもちそうになってはいや、信じろと打ち消すことの繰り返しだ。

 僕は制限時間内で走り切れるのかな。みんなから見たら僕の走りなんてへなちょこすぎて指さして笑われるんじゃないだろうか。考えれば考えるほど不安はあふれ出てくる。


 終業後、席から立たずにぼんやりしていりう僕の肩をポンとたたいて課長が話しかけてきた。

「どうした、山本」

「課長……」

「今日はずっと浮かない顔をしてるな。まさかお前、今から緊張してるのか?」

「だって初めてなんです。人前で何かやるの」

「お前Minoriのグループのライブとか行きまくってるんだろ?」

「家で動画見てるだけで人前なんてそんな……だから、あんまり、その……」

「自信がない。か」

 僕は静かに頷く。

「そんな、不確かなものをあてにするな」

 きっぱりと、はっきりと課長は言った。

「自信ってなんだ。そんな目に見えないものにすがろうとするな。」

 あまりにもキッパリと言い切られて僕はうなだれた。いつもの仕事上の叱責タイムのような気がしてしまう。

「勘違いするな。責めているわけじゃない。俺だって陸上を始めたての頃は同じようなことを考えたこともあった。でもな、そんな目に見えないものよりお前はもっと確実なものを手にしてきただろう? 積み重ねともいうか。」

 その言葉にハッとして僕は顔を上げる。そうだ。決して長いトレーニング期間じゃなかったけど僕だって僕なりにゼロからここまで毎日毎日、筋トレしたり走ったりフォームを研究したり階段上ったりしてきたじゃないか!

 しかもどれもこれも全くできないところから少しずつできるようになってきたことばかりだ。


「最初は嫌々だったかもしれないが、毎日そうやって過ごしてきた時間が無駄になると思うか? その蓄積はお前の血肉になって今もお前と共にある。そうして費やした時間や人に教えを乞うてまでやってきた練習がお前を裏切るとは思わないだろう? 誰かと競おうとしなくてもいい。人の目すら気にするな。そのままやって来たことを自分自身のために発揮しろ。例え上手く行かなかったとしても、そのことでお前のやってきたことやお前自身が損なわれることは絶対ない。……大丈夫だ。俺はお前を信じてるしな!」

 そういって課長は僕の背中をポンポンっとたたくと自分の席に戻っていったのだった。

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