第10話 ついに来た合同練習会

 自主練を始めてからは毎日があっという間に過ぎてゆく。

 そんな僕の心の支えはもちろん、推しの笑顔と日々の歌声(ヘビロテ)だ。


 最近は小林さんに教えてもらったトレーニングを少しでもこなそうと、僕の退勤後のオタ活は『ながらオタ活』になった。

 これが案外よくって、逆さま坂の曲のほとんどはトレーニングのペースを維持するのにぴったりだったりする。

 特に僕の推しのMinoriちゃんのソロナンバーは、神的にいいかんじで、気持ちもペースもがっつり上げてくれる。

 推しの歌声で毎日身体を動かすせいか、寝つきもよいし、眠りも深い。

 そして何より、ごはんが美味しい!

 これは僕の今までにはなかったことで、身体づくりのためにもっと食べないと、と言われた最初の頃が嘘みたいだ。

 し・か・も、課長に言われて、半ば業務命令みたいな気持ちで始めた階段移動、慣れてみればなかなか良い、上がり方を工夫するとハムストリングに効かせたり、ふくらはぎに効かせたりとそれぞれの部位に効くトレーニングにもなる。

 そして、僕は気づいてしまった。

 1階から逆さま坂15の『恋のランランRUN』の1番は前奏間奏込みで歌って上がるとちょうど8階まで到着するのだ。

 おかげで会社でも楽しくオタ活できていて、仕事に緩急がついている気がする。


 そして、今日! 敬遠していた合同練習会当日。練習会に参加することは全然苦じゃない……、知らない人と話す以外は。普段から僕は人見知りだし極力人の大勢いるところには行きたくない。だからオタ活だって宅オタが活動のメインになっているのだ。

 長いこと培われたこの人見知りは急には解消されない。フレンドリーに接するのはおろか、できれば接点を持たないで済むよう、ちんまり過ごしてしまうのは仕方がないんじゃないかな。


 練習会場になっている会社の運動場に到着してみると、やっぱりそこには沢山の人がいる。

 うわー、どうしようどうしよう、おろろっとしている僕に後ろから声をかけてくれたのが、同期入社で総務に配属されている村山君だった。

「あれ? 山本これ出るんだ? 俺もさー、ホントはぶっちしたかったんだけど課長に4年に1度の社内イベントなんだからってごり押しされてさー」

 村山君は入社当初から誰に対しても、物怖じしない感じの奴で、色々な部署にわたってやり取りする必要のある総務部で遺憾なくその性格を発揮している。

「う、うん。村山君のところは何人で出るの?」

「ウチ? 5人かな。全員若手で体力勝負ってとこ 。お前のとこは?」

「……ひとり」

「え?」

「ひとりだ」

「えー、まじかー! 大変だけどラッキーだな!」

 え? 一人参加することのどこがラッキーなんだよ! 全く理解できないよ、村山君!

 僕は想像の中で村山君の胸ぐらをつかんでゆすぶってみた。

「えー、そうかなぁ……どのへんが?」

 実際のところは、こう返すのが精いっぱいだったけれども。

「マラソン大会って言ってもさ、社内のお楽しみイベント的な要素が多いんだって。スポーツメーカーの海千山千の経験をもつ強者が一堂に会してガチで順位を競うってナンセンスじゃん。だから、なんか社内のタテヨコのコミュニケーションのきっかけくらいに考えたらいいって前に部長が言ってたんだよねー」

 ふぅん。そうなのか、僕はそんなことすら知らなかった。

 社内に友人いないし、そんなこと話す機会もなかったからな。

「山本ぼっち参加なんだろ? チャンスカードが引けるぜ!」

「え? ナニ、チャンスカードって……」

 たずねた答えの返事を聞く前にタイムリミットは来てしまった。


「お待たせしましたー! では参加者の皆様はグループごとにまとまって号令台の前に集まってください!」

 運営委員会とおぼしき人からのアナウンスが入ってしまった。

「やべ、俺あっちだった。山本、頑張れな、また時間見つけて話そうぜ!」

 村山君はそういうと総務チームの元へと駆けていった。

 僕は一人、なんとなく集まった人々の後方に位置をとる。


「ではー、運営委員会から当日の流れとルールの確認を行いまーす」

 場内に散らばっている運営委員会の人たちが手に持っていたプリントを参加者に配布し始めた。

 手元にやって来たその紙には当日の流れと給水、休憩所の情報のほかに注意事項などが記載されている。

 パーッと流し読みしながら僕の目はプリントの真ん中あたりでふと止まる。

『参加者は2キロ地点でカードを引く』と書いてある。

 カード? これがさっき村山君がいってたカードかな?

 すると隣のデザインチームっぽいおしゃれ集団から声が聞こえてきた。

「今回もカードあるんですね」

「っぽいなー、俺さー前回、アンパンの早食いさせられたわ」

「あ、それ言うなら私借り物でしたよ?」

「カード、いいの引かないととんでもないことになりますよねー。一人参加者と、初回参加者に得点で付くチャンスカード、あれ引きたいなぁ」

「あー、俺も、俺も!」

 僕の耳は運営委員会に向けるより隣のチームの会話に釘付けになってしまった。


 そういえば村山君がこのマラソン大会はお楽しみイベントだって言ってたっけ。

 これ聞く限りではむしろそれメインに聞こえるけど……?

 マラソン大会は思っていたガチンコのマラソン大会にはならなさそうで、僕の緊張のドキドキはなんだか別のドキドキに変わってしまったのだった。

 そうこうしているうちに運営委員会からの説明は謎の2キロ地点のカードのところに来ていた。

「えー、これも読んでいただければわかるのですが、2キロ走っていただいた段階でミッションカードを引いていただきます。このカードには皆様の日ごろの行いが、いかようであるか如実にわかるカードとなっておりまして……」

 ここで、場内からは笑いが沸き起こる。

 どうやら、運試し的な要素が多分にふくまれているらしい。

「日頃の行いが良い方につきましては、幸運が、そうでない方にはそれなりに……。一言付け加えるのであれば、そのカードに書かれているミッションをクリアしていただいた方のみ正式なゴールとなります。つまり、無理だとおもったらミッションはクリアしなくてもよいのですが正式なゴールとはみなされない、という事になりますのでご注意くださいね」


 グループで分けて走ってもいいとか、はじめから謎なルールが多いマラソン大会だけど、このカードを引くというルールもヘンテコな謎ルールだ。


 僕はそのあとの説明をぼんやり聞きながらそんなことを考えていた。







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