EP17 コンスタンティノープルへの海路

 皇帝がコンスタンティノープルに出発するまでの間にカイロは再び陥落した。ムスリムの手に渡ったカイロは今二度目の略奪を受けていることだろう。


 アラビア側はカイロを落とした後すぐに停戦に応じた。戦争があまりにも長引けば地力でまさる教会側は徐々に有利になっていく。一撃を与えて停戦するのは合理的な判断と言えるだろう。少々やり方が汚いが。


「陛下、どうかお気をつけて」


「そう心配することもありません。聖ヨハネ騎士団が護衛につくわけですから」


 聖ヨハネ騎士団は地中海で活動する海洋騎士団だ。――といえば聞こえはいいが、彼らはすでに五大総主教の権威から完全に独立し、独自に活動を行っている。


 そして彼らの活動の最たるものは積み荷の襲撃。つまり海賊行為と、逆に海賊から積み荷を守る護衛任務だ。


 相反するかに思える二つの仕事を行って金を稼ぐ、国家の枠組みに縛られない海の騎士団。それが聖ヨハネ騎士団だ。


「確かに彼らの戦力は地中海最高クラスです。ですがそれに対抗しうる海賊がいないでもありません」


 海はすでに陸上の権力のほとんどを拒否しており、自力救済を目的とした戦力の集合、つまり海賊が跳梁跋扈している。それはかつての我らが海マーレ・ノストラムたる地中海でさえ例外ではない。


「問題はありませんよ。侍従武官としてアグネスさんもついてくれるわけですし」


 彼女は強い。1人で2,3人はまとめて相手できるだろう。もちろん非戦闘員を一人守るくらいならわけない。


 魔術を剣にまとわせて敵を斬る秘術を習得している彼女は、男女に関係なく騎士団きっての実力者だった。


「この身に替えても陛下をお守りしますので、聖下はお戻りください。ローマが反乱に飲まれでもすれば会議どころではありません」


 アグネスがグレゴリウスをせかす。本当は港のあるアンティオまで見送りに来るとまで言っていたが止めた。七つの丘の幹部ロードは8人しかいない。もし複数人が殺されたり重傷を負えばたちまち組織は機能不全を起こす。


 だからなるべく幹部は地下以外で行動を共にすることを避ける。そのことはグレゴリウスの側もわかっているはずだが、どうも様子がおかしい。


 何か、彼にとって良くないことがあったのは間違いないだろう。だがそれにかまっている暇はない。皇帝にとっても初の会議で掴まなければならない戦果があまりに多すぎる。


 微妙にすれ違った距離はついに埋まるに至らなかった。






 旅路は大過なく過ぎた。聖ヨハネ騎士団の旗を掲げている船に海賊が遅いかかかることはない。聖ヨハネ騎士団が相手では並みの海賊では勝てるはずもなければ、勝てたとしてもたいていの積み荷では割に合わない。


 船の航路はアテネで一度補給を行ってからダーダネルス海峡を越えて、コンスタンティノープルに向かうルートだった。


 だが観光ができるわけでもない。船の中に割り当てられた個室と甲板の邪魔にならないところに出られる程度で、半ば軟禁生活と言って差し支えないだろう。


 とはいえ、多少不自由はあれど生活自体にはそれほど不満はない。人と物はある程度グレゴリウスが手配してくれたのだろう。


「しかし、なぜあなたがいるのでしょうね」


「それはもちろん私が陛下の侍従長だからですとも」


 ソフィアは平気な顔で答える。


「そうですか。侍従長は皇帝の遠征時は宮殿を保つのが伝統ですがね」


「私はギリシア人なのでローマの伝統はよくわかりません」


 ローマ生まれのギリシャ人がとぼけた顔でのたまう。


「こんなジョークをご存じ?


 神からギリシア人とローマ人とゲルマン人が食糧不足の解消を命じられた。


 ローマ人はラティフンディアを増やして食料を増やすように元老院で決定した。


 ゲルマン人は隣の領地から食料を奪い取った。


 ギリシア人は食料とは何か、解消とは何かについて議論している間に滅んでしまった。


 それをすべて見た神が言った。『問題解決だ』」


「…………」


 全く笑えない。


 皇帝はため息をつくとソフィアを無視して、会議のシナリオを練ることにした。


 ――できるならば、これ以上血を流さずに解決を図りたい。それは七つの丘の幹部全員に共通する理念だ。


 だが、必要があるのなら、仕方がない。仕方がないのだ。


 場合によってはさらに10万人分の死体を積み上げる必要があるだろう。

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