第13話 未知の世界
「おっはーワクミン」
「お、おはようエリ。今何時?」
「もう九時だよ?起きないと先生くるよ?」
「う、うん」
起きた時、私服姿のエリが目の前に立っていた。
シンプルなシャツにホットパンツで、エリご自慢の太ももが際立つそのファッションに俺はすぐ目を覚ました。
その後すぐに、医者の診断を受けた。
そして問題がないと言われたのでさっさと退院することになった。
足の捻挫も大したことはなく、歩ける程度なのでエリに歩くペースを合わせてもらいながらゆっくり歩いて外に出た。
二人で病院の敷地を出ると、エリが嬉しそうに俺に絡んでくる。
「よかったね、なんもなくて」
「そうだな、エリのおかげだよ」
「いやーん、かっこいいこと言うじゃんワクミン。私、今キュンってなったよ」
「そ、そうなの?」
「あー信じてないなぁ?うりゃうりゃ」
「い、痛いって」
俺はエリにほっぺをグリグリされた。
すると痛めた足が踏ん張りがきかずバランスを崩しそうになった。
「あ、危ないワクミン」
「うわっ……」
なんとかエリの手につかまって転ばずに済んだが、グッと彼女の手を引っ張ったことで、逆にエリを抱き寄せるような格好になってしまった。
「え、えと……」
「ふふ、ワクミン転ばなくてよかった」
俺の胸のあたりで喋るエリの息が体に直接かかってくる。
それに、胸が……
「エリ、当たってる……」
「んー、当ててるの」
「え……」
「退院のサービス、だよん」
ぷるんと揺れるエリの胸がわざとっぽく俺の体を滑っていった。
その感触に思わず手が出そうになったところでエリが俺から離れた。
「はい、おしまい。気持ちよかった?」
「う、うん……」
「なぁにそのいけないお手手は?」
「あ……」
思わず俺の両手が胸を揉もうする構えになっていた。
「おっぱい、好きなんだねー」
「そ、そりゃ……男だし」
「じゃあオセロで勝ったらおっぱいを要求してくるつもりだったのかなー?このすけべー」
「そ、そんなこと……」
いや、選択肢の一つにはあった。間違いなくあった。
しかし、一か所だけと言われるのなら、俺はもっとすごいところを要求しようと思っていた、なんてことはさすがに言えなかった。
ゆっくりと歩いて家に向かう途中、母から「佐藤さんにお礼をしたいから今度連れてきなさい」とだけメールが来た。
それをエリに伝えると「もちろん行くー」と言ってくれていた。
「でも今日もワクミンのおうちって誰もいないんだよね?」
「うん、二人とも仕事が忙しくて。おかげで小遣いは融通利くけど」
「ふーん、じゃあ今日はこのままワクミンのおうちにお邪魔してもいい?」
「え?いやいいけどなんで」
「だって、誰もいないんでしょ?」
だって、誰もいないんでしょという言葉は、つまりそういうことなのか?
誰もいないところでしかできないことをするために、俺の家に来るという意味でよろしいのでしょうかエリさん……?
「ワクミン、今絶対いやらしいこと考えてたー」
「そ、そんなことない、よ」
「ほんとかなー?じゃあ、いやらしいこと、しない?」
「し、しないしない!絶対しない!」
「え、しないの?」
「え?」
「ほら、やっぱりしたいんじゃん」
「……」
すっかりエリのペースで話が進んでいた。
そして俺の家に着くと、エリのテンションが上がっていた。
「ワクミンのおうちおっきー!いいなー」
「い、いや部屋は大したことないよ。物が多いだけだし」
「楽しみ楽しみ」
俺は数日ぶりの我が家に帰ってきた。
静かで誰もいない、いつもの空間に少し安心した。
そしてエリに手伝ってもらいながらお菓子とジュースを用意して、二階の俺の部屋に案内した。
「えーひろーい!いいなー、パソコンとかゲームとかいっぱいあるじゃーん」
「ま、まぁ一人っ子だし大体のものは買ってくれたから」
「へー、なんか羨ましいなぁ」
エリはそう言うが、俺は自分の環境を恵まれているとは自覚していても羨ましがられるようなものとは思ってはいない。
部屋に並ぶゲーム機や漫画だって、何一つ俺のお金で買ったものではないけど、そんな物の思い出よりも家族や友人と過ごした時間というものがもっとほしかった。
だから今、俺の部屋に初めてエリが来てくれたことがとても嬉しくて俺はひどく興奮していた。
「ねーねー、ワクミン!ゲームしよーよー」
「う、うんいいよ。何系がいい?」
「えーっと、スポーツ系はわかんないし人生ゲームやろう」
「え、いいけど……」
エリが手にとったのは人生ゲームのソフトだった。
少し古い上に、このソフトには少し苦い思い出がある。
中学の時、初めて話が合った友達が何人か友人をつれて俺の家に遊びに来るというので、急いでみんなで出来るゲームを買った。それがこのソフトだ。
しかし結局その日、使われることはなかった。
俺の家に来る前に女友達の誘いを受けてそっちに行ってしまったのだ。
そのあと、何回か誘ったがあの日はたまたま盛り上がっただけだと言われてそれっきりだ。
そんなぼっち人生を象徴するように、そのゲームは未開封のまま放置されていた。
「よーし、やるぞー」
エリは元気よくゲームのスイッチを入れて、早速ゲームが始まった。
単純なゲームで、ルーレットの数字分だけマスを進みながら指示された内容にそってイベントが進み、先にゴールしてお金をいっぱい持っておけば勝ちなのだ。
「私が先攻ね、んーと……あ、早速結婚したよ私!」
エリのコマが結婚マスに止まった。
「えへへ、旦那さんは誰かなー。お金持ちだといいなー」
「や、やっぱり女の人ってお金持ちとかに憧れるの?」
俺ははしゃぐエリの横で思わず聞いてしまった。
「えー、ゲームの話だよー」
「あ、そ、そうだよね」
「もしかして嫉妬?えへへ、妬いてくれるんだうれしー」
エリが横にいる俺にもたれかかってきた。
部屋に二人きりでこんな状況だということを自覚すると、一気に心臓の鼓動が早くなる。
「さっ、ワクミンの番だよ」
「う、うん……ええと、俺も結婚マスだ」
「お、やるねー。お相手はどんな人なのかなぁ?」
エリが俺の方を見ながらニヤニヤしている。
もちろんこれもゲームの話だとわかっているので黙っていると、エリが俺の太ももをツンツンする。
「ワクミンはどんな人がお嫁さんだと嬉しい?」
「え、ゲームの話、だよね?」
「んーん、リアルの話」
え、ズルくないかと正直思った。
俺にだけそんな恥ずかしい話聞いてくるなよと言いたかったが、何かを期待しているような目でエリが見てくるからつい答えてしまう。
「エリが、いい、かな……」
「やーん、私プロポーズされちゃったー!ワクミンったら私にぞっこんだねー」
「……」
俺は恥ずかしくてエリの方を見れなかった。
人生ゲームってこんなゲームだったっけと思いながらエリの番を見届けた。
そのあとは就職してぼちぼちイベントがありながら進んでいると、子供マスなるものに遭遇した。
「双子が生まれるからお祝いだってー。ワクミン、お金ちょーだいよー」
「これで逆転されちゃったなぁ」
「ワクミンとの子供だったら絶対可愛いだろうなぁ」
「え?」
これも冗談なのだろうけど、それにしても聞き流すにはあまりに刺激の強い内容だった。
俺とエリの子供……子供がいるということはすなわち……
あ、勃った……
「こらーワクミン、妄想モードに入っちゃってるぞ」
「ご、ごめん、でも……」
「焦らなくてもそのうち、ね」
「え?」
「さっ、ワクミンの番だよー」
今、エリの言ったことが焦っていたせいでよく聞こえなかった。
しかし何かとんでもないことを言われたような気がしてならない。
そんな落ち着かない状況の中でゲームだけは淡々と進んでいった。
そしてゲームとはいえ人生ゲームと冠するだけあってリアルをすごく反映していた。
エリはどんどん金持ちになって資産たっぷりで堂々とゴールした。
一方俺は子供に恵まれず仕事もアルバイトのままで、何度か借金地獄に陥りながらギリギリゴールした。
「私の勝ちー、ワクミンゲーム弱すぎー」
「運だよこれは……でもなんかへこむ……」
現実でもこんな未来が来そうで怖いなと思っていると、エリが俺の手をそっと握ってきた。
「ワクミンだって結婚出来てたしよかったじゃん」
「で、でもそれ以外はボロボロだし」
「私はワクミンがいたらそれでいいよ」
「エリ……」
落ち込んでいる俺を励まそうとしてくれているのだろうか。
しかしエリが俺にくっついて離れない。
その時、昨日病院で話したことを思い出した。
大人のキス、それを俺からしてくれなんて言われたけど、そのタイミングって今なのだろうか?
キスはした。でもその先の踏み込み方がわからない。
それに今そんなタイミングじゃなかったら体目的だとか思われないだろうか。
期待よりも不安が勝ってしまい何も出来ずに動けないでいると、エリが小声で囁く。
「今、佐藤エリの唇は無料解放中だよー」
ここまでアシストしてもらったことで逆にやり辛くなった部分もあったけど、エリが待ち遠しそうにしながら俺をつついてくるので俺も覚悟を決める。
「エリ……」
「ん、」
エリがクイッと顎を突き出して俺の方に顔を向けてきた。
キス……大人のキス……大人のキス……
俺は念仏のように何度も頭の中でそう繰り返しながらエリの肩を掴んだ。
エリも抵抗しない……これは、いける……
……まて、大人のキスってどうやるんだ?あれって自分からするのか?それとも相手からなのか?はたまたお互いばっちり息が合っていないとできないのか?
今俺は、全く未知のゾーンに突入しようとしている。
手汗がやばい、あそこもやばい、多分今の俺の顔もやばいことになっていると思う。
心臓がドンドンと胸を突き破る勢いで激しく暴れるせいで頭がクラクラする。
「ワクミン」
「え……ん!?」
俺が固まっていたその時、エリは俺にキスをした。
またしても不意に向こうからキスされた、なんて驚くのもつかの間。俺の頭を掴んでそのままエリが俺を押し倒すようにグッともたれかかってきた。
人間のDNAの情報には大人のキスの情報もきちんと書き込まれているのだろうか。
俺は全く初めてのはずなのに、無意識に自然にエリに合わせるように口を開き、そして舌が絡まった。
「んん……」
頭がぼーっとする。それに気持ちよすぎて体に力が入らない。
快感に身を任せてまどろんでいると、やがてその感触が遠くなる。
「……大人のキス、しちゃったね」
エリが俺の顔の前で笑う。
少しねっとりさせたエリの唇を見ながら、俺はもう抜け殻みたいに口をパクパクさせていた。
「あ、え……」
「ワクミンのお口、気持ちいいね」
「え、えと……」
「でもー、次はワクミンからしてくれないともうしないもんねー」
ちょっと拗ねた様子を見せるエリに、俺はおかわりを要求したかった。
それくらい衝撃的な感触で、衝動的になる快感だった。
「あ、あの、エリ……」
「今日はもうだーめー。私からさせたペナルティだよー」
「ええー」
「だって今日はもっとワクミンとおしゃべりしたいし」
「う、うん……」
もうお喋りどころではなかった。
次に選んだゲームも何をどうやってどっちが勝ったのかさえ曖昧だった。
それくらい俺の頭はピンク色に染まりきっていた。
「ワクミン、そんなにキスしたいのー?」
「え、ま、まぁ……」
あんまりにも俺がぼーっとしすぎたせいか、エリがつまらなさそうに俺に聞いてきた。
このままではダメだというくらいは俺にだってわかる。わかるけど頭が働かない……
「ふふーん、じゃあいいよ」
「え、いいの?」
「その代わり、一緒に映画みたいな」
「映画……?」
エリは話しながら自分のバッグの中からレンタルしてきた映画を一本出してきた。
「これ、一緒に見ようと思って昨日借りてきたんだ」
その映画はいわゆる普通の恋愛映画だ。
別に話題作でもなければ名作扱いされているわけでもないが、有名女優が出ているので名前くらいは知っている。
「なんでこれなの?」
「ふふん、見たらわかるよ」
気になることは多いが、早くキスがしたいので早速DVDをつけた。
そして二人で肩を並べて映画を見ていると気になることがあった。
「これって……」
この映画、キスシーンがやたらと多い。というかキスだらけ、キスまみれだ。
ことあるごとにキスするもんだから見ていて恥ずかしくなる。
「ふふ、キスのお勉強になった?」
「え、まぁ」
「じゃあ、試してみる?」
「あ……」
またしてもエリが俺に絡まってきた。
映画なんてそっちのけで俺はエリにキスをした。
そして自然と大人のキスへと変換され、しばらく映画とシンクロするように俺たちは唇を重ねていた。
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