第2話 拘束

「またやったのね」


ボクは灰色の部屋の中心に座っている。

制服は鷹茶に奪われたので、保健室に常備している真っ赤ジャージ姿だ。

目の前には、うす汚い机と、電球が切れそうな古いのライトがチカチカしていた。

居心地の悪さから、図らずとも周囲を観察してしまうボク。あの机の汚れは多分、血だ。いや血反吐だ。

献血ルームで献血針からチューブに流れる血っていう感じではない。

血痕だ。

意図的に不必要な理不尽で加えられた暴力の痕跡。国家権力による正義が執行されたのだ。この部屋で何を言っても、全てが治外法権。

正義の名の下に制御無き暴力と恐怖。

………考えただけでもおぞましい。

ボクみたいな小心者は、想像するだけで気絶しそうだ。

血痕の以外にも、水垢みたいな痕もある。あれは血と一緒に涙や鼻水、ヨダレも染み込んでいるに違いない。

ボクには到底、想像出来ないドラマがここにあったんだろう。

「俺はやってねぇ。無実だ!」と泣き叫ぶ男。

「何も喋りません」と沈黙を守る青年。

「家に帰してくれ」と叶わぬ願いを口にする中年。

「出来心だったのよ」と薄ら笑いを浮かべる主婦。

それらを無抵抗に机へ叩き付け、全員もれなく鼻血の海。

想像するとどっちが悪いのか分からないので、ここらへんでやめておく。


スタンド式のライトも相当の年季が入っている。

気合いが入り過ぎて、点滅のスピードが異常に早い。

見ていると目が痛くなる。

ライトの光は温かいけど、長時間、側にいると温かいが暑いに変わる。現にボクは額に汗をかいていた。

結論、嫌がらせを兼ねた照明器具で拷問器具だ。


最後の机やライトよりも不気味なのが、灰色の空間を演出する打ちっ放しのコンクリートの壁。

ここにも汚いシミがいくつもある。

確実に血の痕だ。

コンクリートが凹み、蜘蛛の巣状に割れていた。

人間の仕業だろうか?

または人外?

どんな猛者がここで暴れたんだろうか?

想像もしたくない。


「ねぇねぇ? 黙秘でも捕まえるよ? 現行犯逮捕だから。痴漢で捕まる人がいるでしょ〜? アレと一緒よ?」


漆黒のスーツを纏う女性警部が言う。

軽薄というか、脳天気な感じでイラッとする。完全に人をバカにしている態度だ。

国家公務員なら、一般人に敬意を払うべきだ。国民の血税から給与を支払われている身分。言い換えれば、国民全員が給与を支払う社長のような存在の筈だ。ゆえに敬語で話すべきだ。加えて、頭を垂れるべきだ。尊敬の念を忘れぬために。

いわゆる、実るほど頭を垂れる稲穂かな。である。頭が良いから公務員なんだから。

と、嫌味たっぷりに暴言寄りの妄言を述べているが、残念ながらこの人はボクの母だ。

公務員とか関係無く、この人は素でこんな感じだ。

目上でも、赤ちゃんでも態度を変えたところを見たことがない。ある意味、無敵な人なのかもしれない。

あと、見た目だけは若い。

耳に掛かる程度の短い髪。洗髪の時間短縮だけのために短くしているらしい。

男に媚びるとか、女はこうであるという概念は抜けて落ちている。外見より中身という思考なのがボクの母だ。

目はキリッとして、眼光が鋭い。刑事として、相手を射殺すことから始まると言っていたから後天的に鋭くなったと考察している。

唇は薄く、笑うと戦慄の笑顔だと自分で言っていた。意味が分からない。笑顔を見て、戦慄するならそれは笑顔ではない。威嚇行為だ。

優しい笑顔になる努力をして欲しい。これでも母親の端くれなのだから。

身長はボクに似て、小柄だ。だからスーツを着ていても、似合うとはお世辞にも言えない。スーツが嫌々、着られているという悲しい物語が容易に想像出来る。

ここで気になるのが実年齢だけど「年齢の開示はしない」と黙秘を数十年続けている。もしかして想像するより若いのかもしれない。

どうでもいいけど。


ボクは下を向き、口を開く。


「………また女の子をゴニョゴニョ」


上手に話せない。

口の中に、見えないゴムボールを突っ込まれた気分だ。窒息しそうな感覚も同時に味わい、最悪な気分だ。


「ねぇねぇ? 何? 何を喋ってるの? 声が小さいんですけど? 蚊の交尾ですか? すかしっ屁ですか? 破瓜された少女の泣き声のほうが大きいんだけど?」

「………」


下品な人だ。

下品を極め切っている。

下劣で品性の欠片も無い。多分、モラルも欠如している。

ボク自身も下品だなぁ〜と思う場面はある。それは仕方ない認める。でもそれは、完全にこの人の悪影響を受けている。血を争えないとはこのことだ。

つくづく、この人と血が繋がっていると思うとなんだか情けない。

これ以上、話していると頭痛が来そうだ。手早く解放されるために、言うしかない。


「女の子を転送したんだよ!!」


ヤケクソに大きめの声で言ってやった。

自分でも驚く程の声量だった。もしかしたら、歌手の才能を秘めているんじゃないのかと、夢見てしまう。


「ねぇねぇ? 調子に乗ってるの? 耳、痛いんですけど? 鼓膜を破る気? 公務執行妨害で罪を重くするよ? 高校生にもなって声量の調整も出来ないの? 恥ずかしいわ。親の顔と親の年収知りたいわ。ついでに親の初恋の相手も知りたいわ」

「………」


本当に何を言ってるんだ? この人。

自分の母親ながら、意味不明過ぎて怖い。実際、鳥肌が止まらない。許されるなら、この現実から逃げるために、手を口に入れて嘔吐したい。もう何もかも吐き出して楽になりたい。

色んな意味で。


「あ!? アタシだった。ドンマイアタシ。ファイトアタシ」


本当に何なんだこの人。

もう恐怖だ。

恐怖の根源で、恐怖の大魔王だ。


「ねぇねぇ? なんで? ずっとコントロール出来てたのに? 今更なの? 有り得ないでしょ? 中学生の頃とか無かったのに」


急カーブで本筋に戻るスタイルは何なんだよ!

突っ込んでも意味がないから流すけど、最もなことを言われるとぐうの音も出ない。


転送のコントロールは小学生に上がる頃にはマスターしていた。

辛い修行(虐待)の日々でマスターしたんだ。精神のコントロールは成人男性の8倍は上と思っている。

達観していると自負している。

思い返しても、幼少期は大変だった。

特に母親は。

結構な頻度で母親を転送してしまったことは、本当に申し訳ない。

オシッコをする度、母親を転送するもんだから、トイレに行く時は電話するのが決まり事だった。

そのおかげで、幼稚園児でスマホを持っていたのはボクだけだった。そのせいで、早熟だったのは説明するまでも無い。

幼稚園児にスマホ。

まさに鬼に金棒だった。本当にやりたい放題をしてしまった。

アプリはもちろん重課金。気付けば廃人レベル。

ネット通販は余裕でアマゾン。時たま楽天。

オークションは富豪のふりして、落札。出品をしたこともある。

事が発覚する度に拳骨が流星群並に頭上へ落ちたのは良い思い出だ。


それでも赤ちゃんの時よりマシと母は笑ってくれる。

赤ちゃんの時は、常にオムツの中に転送されていたのだ。うんこまみれになったことも一回や二回ではないらしい。

オムツの中に無理矢理転送されるわけだから、ボクを潰さないか冷や冷やしていたとも言っていた。


本当にごめんなさいだ。

だから、母に迷惑を掛けることはしたくなかった。鷹茶には強気な態度で接していたが、母に迷惑を掛けていると思うと、急にテンションが落ちる。

母親も悪ふざけをしているが、残念という感じが端々で感じられる。


「その女の子は何? 好きな子?」

「ど、どうしてそうなるんだよ!」


ボクは思わず立ち上がった。

その拍子に膝が机の裏側に当たり、机が揺れた。

物凄く痛い。

叫びたいくらい痛い。

まさに痛烈無比な痛みだ。


「はい! 暴れない! 君、すまない。この子に手錠を」

「え?」


部屋の隅で何かが動いた。そちらを見ると警官がヌクッと立っていた。

今まで、母親と2人きりと思っていたので、驚きは半端ない。

狭い部屋の中で、全く気付かなかった。

どんだけ存在感が無いんだ。

でも、コイツ………。

存在感が無い筈なのに、髪型がアフロだった。

アフロが存在感を消すなど、聞いたこと無いけど、コイツは存在が希薄だ。

透明な水。

白紙の画用紙。

空気中に漂う酸素。

何に例えても、ぴったりの表現が無い。

アフロの神、ビリ―・プレストンに笑われるアフロと表するのがいいかもしれない。

本当にアフロの風上にも置けないヤツだ。

加えて、アフロの上に小さい警察帽子が、申し訳ない感じで頭にちょこんと乗かっている。

間抜けな感じだ。

でもそんな個性的な容姿を度外視する特徴がまだあった。

そっちに比べれば、アフロに間抜け帽子が可愛く見える。

コイツは長身で、なおかつ手と足が異常に長い。

狭い部屋で、腰を曲げて立っているのが何とも不気味だ。

ホラー映画のオファーが殺到する天性の怪物体型だ。

と、いってもアフロのおかげで不気味さも緩和されているので見た目から言えば、脚長おじさんっていう感じが似合っている。


「手錠しまーす」

「………」


見た目と違い、かなり軽い。

軽過ぎて、宙に浮きそうだ。

そんな軽さとは裏腹に動きは素早く、一瞬で両手を掴まれる。

ボクは無抵抗状態で両手を背中側に回され、手錠を掛けられた。

手錠が肌に触れる。

とても冷たい。

金属独特の冷たさがあった。温かみなど一切無く、強固と冷酷さを兼ね備え、人生が終わったような感触だった。


「手錠なんて必要なの? ギャグでもひどいよ」


なんだか嘘のような感覚だ。

自然と笑いがこみ上げて来た。

現状を信じられず、不思議と笑顔になっている。

それもそうだ。

16歳で手錠をかけられている。

悪い冗談だ。

悪夢だ。


「ねぇねぇ? ギャグじゃありませーん! 本気。ガチと書いて本気。ミラノと書いてパリコレ。大阪と書いてなんでやねん! いい? あなたはその気になれば総理大臣、大統領、タモさんを股間に転送出来る。こんなテロリストを野放しに出来ない」


総理大臣と大統領に並んで、タモさんが横並びなのは意味不明だけど、自分の息子にテロリストとは言い過ぎだ。

少しだけ、泣けて来た。

それに母さんは知っている筈だ。転送には条件があることを。


「泣いても許さない」


追撃が来る。

まだ涙も流していないのに、酷い。

親なのに、鬼のようだ。


「分かった。ボクが悪かったよ」

「はい自供確認。強制わいせつ罪で6ヶ月以上10年以下の刑に処します」

「えっ? えっ?」


どういう事?

ここは素直に反省した事で許される場面では?

母親の包容。

息子の涙腺崩壊。

周囲からの拍手喝采。叱咤激励。

アットホームな完結。

の、筈ではないの?


「君を産んでから16年。色々あったけど、罪を償って、戻って来てね。母さん、美容に力を注ぎ、美味しいモノをいっぱい食べて待ってるから」


そこは作って………じゃないのか。しかも美容って。

いやいや、それどころでは無い。

完全に送り込まれる感じだ。

刑務所?

牢獄?

嫌だ嫌だ。

死刑囚の気持ちが今、分かった。社会から断裂されることがここまで恐怖だとは思わなかった。嫌だ。

絶対に嫌だ。

ボクは齧りついてもこの社会に居続ける。


「母さん、ちょっと待って。本当に待ってよ」

「待たない。君は数日、留置所で過ごして貰います。その後、とある島に送ります」

「いやいや能力者を送る島とか、ベタでしょ? 売れない作家みたいだよ? 重複する転生系だよ」

「ベタだから何? そこで殺し合いしなさい! あなたはテロリストと同じ。これは恩情です」


恩情かぁ。

確かに、この16年間は、自由だった。

不自由なんて1つもなかった。

ボクにこんなヘンテコな能力があっても、家庭は明るかった。

気持ち悪いくらい明るかった。

希望の光に満ちていた。

そうだ! そうなんだ! ボクは幸せだったんだ。人並みに幸せを噛み締めていた。

ゆえに後悔している。

過去に対して後悔をしている。

過去の行いが、今の自分を形成するなら、過去を恨むしかない。恨んでも仕方ないがないことでも恨んでしまう。

人間は生きているだけでポジティブらしい。

今のボクはどうだ?

変な島に送り込まれ、殺し合い?

心が壊れてしまう。まだ16歳だ。殺し合いなんてしたくない。

いやいや何歳になっても人なんて殺すもんか!

多分、島で孤独と戦うんだ。1人で戦い続ける。

そんなのあんまりだ。

ボクは幸せをもっと謳歌すべきだ!

もっと女の子と遊ぶべきだ!

学校でイチャコラしたいんだ!

いや、待ってよ? 島に行ってもできる?


「女の子を転送……」

「はい! アウト! 息子アウト! 君、完全に再犯するね!」


言い切る前に、母が割って入った。

さすがだ。ボクの思考回路をわかっている。

凄いと思うが、ここは反論させてもらう。

ボクのアイランドライフに関わることだから。


「母さん! 違うんだ。わけのわからない島になんて送られてしまったら、外界との連絡が出来ずにボクは孤独の苛まれ、転送を余儀なくされる」

「うんうん。はい。続けて」

「つまりだ。ボクは未成年だ。親の庇護下でないと生きれない。洗濯も出来ない。料理はもちろん、掃除も出来ない。出来るのは、トイレの水を流すこと。あとはゲームに、スケボーに。竹馬。あと一輪車」

「はい! 娯楽が入ってるのが意味不明。んで、生涯ニートクソ野郎予備軍のコメントだけど、まぁいい続けて」

「異性が欲しい」

「はい! 逮捕!」


母親なりに救える可能性を見出そうとしたらしい。

ごめんなさい母さん。

ボクを救わないで。

ボクは女子に癒されたい。それがボクの唯一救いで生きる手段なんだ。


「君、悪いが息子を頼む」

「うぃーい」


また脚長おじさんが動いた。

動きが素早い。

ボクはいつの間にか、立っていた。予測でしかないけど、脚長おじさんがボクを強制的に立ち上がらせた? だよね?

不気味過ぎる。


「このボーイ、あの留置所でいいっすか? Aの独房、汚いんっすけど? どうします?」

「Aのアレかぁ〜汚物と血反吐の量って結構ヤバい感じ?」

「もうヤバたんっすよ。鮭茶漬けっすよ。ヤバタニエンっす」

「鮭茶漬けか〜ま、いいでしょう。そこにぶち込んでて」

「うぃーす」


待て待て。

本当に嫌だ。

汚物と血反吐ってどういうこと?

JK語を理解している母さんもどういうこと?

もう色々、嫌だ。


「母さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。ボクが悪かったよ。もうしないし、母さんに迷惑も掛けない。社会貢献、社会奉仕活動、献血、ふるさと納税、スキューバ、スノボー、人狼ゲーム。なんでもやりますから許して下さい」

「息子! 分かったのね。いえ、やっと分かってくれたのね。母さんも辛かったのっって! とか、口が裂けても言わないから! レジャーが入ってる時点で却下! 独房に連れて行け! 臭い飯をたらふく食うがいい!」

「嘘でしょ?」

「母さん、嘘は嫌い。知ってるでしょ?」


マジの顔だった。

目が真っ直ぐボクを見ている。

熱の発しない、冷たい瞳だ。

今まで、こんなことは無かったのに。

あんまりだ! ひどい過ぎる。


「はーい。こっち来てね」


脱力状態のボクは脚長おじさんに引っ張られる形で、取調室をあとにした。


もう全てが終わった。

所内の地下に来た時点で、察した。

ここは地獄だ。

取調室も嫌な匂いがした。でもここよりはマシだった。

血の匂いはもちろん、尿の臭いもする。

通常通りの呼吸を続けると吐き気がする。できるだけ呼吸を整えて、最小限の呼吸で抑えないと確実に吐く。


「あー30分で慣れるっすよ? 人間って半端無いっすから」


脚長おじさんは軽く、半笑いで言う。

お気楽なもんだ。

ボクはこれから留置所だぞ? もう刑務所と言われても納得する悪辣な環境だ。


「あ、ここっす」


到着したのは、重量がありそうな扉の前だった。

中を伺える窓は一つも無い。

まさに地獄の門。

ロダンもびっくりの汚れ具合。


「どうぞっす」


ギ…ギッギ〜っと悲鳴に似た音を立てて、扉は開いた。

開いた瞬間、激臭でむせ返りそうになる。

なんだ?


「何かいる?」

「何もいませんよ。ここは特殊な人間を入れるようになっていますんで、匂いも様々って事っス」


特殊な人間?

ボクみたいなヘンテコな能力があるヤツがまだいるってこと?

………いやいや考えないぞ!

ボクはボク。

何も求めない。

ボクみたいなヤツがいても、完全に無視だ。関わらないぞ。


「では、ごゆっくり」


考えるボクのことなんて、お構い無く、背中を押されて中につんのめる。

乱暴なヤツめ。


扉が閉められ、暗闇がボクを支配する。

はぁ。

いつまでこんな所にいないといけないんだろう?

ボクは冷たい床に座り膝を抱え、少し泣き、小さく、震えた。

これが孤独なんだ。

闇の中、黒に溶けていく感覚を覚えたところで、ボクは寝落ちした。

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