第2話 鏡にうつった部屋と私と

 気が付いたとき、私は何か大きな画面の前に立っていた。


 「画面」といっても、それは透明で大きな壁のようなもので、向こう側に私の部屋がすけて見えた。自分の周り……つまり壁のこちら側を見渡すと、そこもまた私の部屋だった。どちらの側にもまったく同じベットやクローゼット、――それにこの前、買ったばかりのポラロイドカメラなんかも置いてあり、透明な壁を挟んで、部屋全体が鏡に映し出されているようだった。


 どうしてこんな状況になっているのかわからなかったし、なぜ自分がここにいるのかも覚えていなかった。どこかに頭でもぶつけて、記憶が飛んでしまったのだろうか……と思い、体中をさわって不調がないか確認する。とりあえずどこも悪くなさそうだ。


 覚えている範囲で、自分の記憶を順にたどってみる。昨日は、私は休みだったから朝はゆっくり昼前に起きて、一人で朝食を食べた。テレビをつけたら芸能人の不倫のニュースをまたやっていて、最近はこんな話ばっかりだなぁ……なんて思って。その後、部屋を片付けたりして、お昼すぎからはサブスクで映画を一本見た。……それで、彼氏が夜勤の前にうちに来たから一緒にご飯を食べて、しばらくおしゃべりをして……あれ? そのあたりから記憶があやふやだ。


 ケータイに何か残っているかもしれない。そう思って、ベット際に充電してあったケータイをのぞく。時間は午後4時を指していた。今日は……金曜日だから、やはり彼氏が来たのは昨日のことだ。そして昨日の夜から記憶が途切れており、そこからすでに丸1日近くたっていることになる。


 彼氏からはなんの連絡も入っていなかった。ということは、やはり昨日は何事もなく帰っていったのだろうか。お酒や薬を飲んだ覚えもないし、どうにも不安で落ち着かない。SNSを眺めてみると、世間は私に関係なくつつがなく動いていおり、著名人などがくだらないことをつぶやいている。そして、しばらくして気が付いた。今朝方……私自身もつぶやいているのだ。


 内容は「おはようございます! 今日も暑いですね」と、それだけの短いもの。もちろん私にはまったく身に覚えがない。そもそも私は情報収集のためにSNSをやっているだけで、フォローワーに友達もいない。だから意味もなく「おはよう」とか言ったりはしないのだ。一層の気持ち悪さを感じ、とにかく彼氏に何度か連絡してみる。でも、どうやら電源が入っていないようでつながらない。まだ寝ているのかもしれないけれど、間が悪いことこの上ない。不安と憤りはつのるばかりだった。


 どうにも居てもたってもいられなくなって、とりあえず部屋から出ることにした。寝間着のままというわけにはいかないので、軽く着替えをして、ドアノブに手をかける。しかし――ドアは、開かなかった。……なんで? どうして? ドアノブを回すことはできるけれど、どれだけ力を入れドアを引っ張っても微動だにしない。何かが引っ掛かっているような感じではなく、動く気配自体がまったくない。私は悪い予感を感じ、窓に近寄った。鍵は開く……だが肝心の窓は――、ああ、やはりダメだ。こちらもドアと同様に、これっぽっちも開かなかった。

 その後、しばらく悩んだあげく、私は意を決して椅子を持ち上げる。そして大きく振りかぶって窓ガラスにその椅子を叩きつけた。だが、ドォンと大きな音が鳴っただけで、窓ガラスにはヒビのひとつすら入っていなかった。


 ――部屋に、閉じ込められている。


 ケータイでもう一度彼氏に電話する。――やっぱり出ない。いや、この際誰でもいい。仲のいい友人に片端から電話してみる。でも誰にかけても結果は同じだった。何度かの着信音ののちに、無機質で人工的な声が流れるだけ。「おかけになった電話は、電波の届かない場所にある、または電源が入っていないためかかりません」。1人や2人ならともかく、電話を掛けた相手全員がつながらないなんてことがあるはずがない。

 それならSNSで……と思いたち、わらにもすがる思いでダイレクトメールを送る、……いや、ダメだ。送れない。なぜだか投稿ボタンが反応しない。普通のつぶやきもできない。だったら朝のつぶやきは一体なんなだったというのか。


 思い当たる手段をすべて試し、私は悟った。

 理由はわからないけれど、この部屋は完全に隔離されているのだ。


 記憶がなくなっていることと関係があることは察しがついた。でも、それ以上は何ひとつわからない。そもそも「部屋から出られない」という、そんな非現実的な状況を、いまだに受け入れることができていなかった。ただ今は不安以上に恐怖を感じていた。


 このまま出ることができなかったらどうなってしまうのか。部屋には食べものも飲み物もまったくない。人が来るとすれば、彼氏くらいのものだが、着信が残っているかもわからない。不審に思って訪ねるにしても、しばらく先の話だろう。そこまで飲まず食わずで生きていける保証はどこにもない。私は全身から力が抜け、持っていたケータイが手から滑り落ち、床に転がった。





 ――その時。


 壁の向こうの部屋に誰かが入ってきた。

 入ってきたのは――他でもない、私だった。そして彼氏も一緒だ。


 壁の向こうの『私』は彼氏と楽しそうに話しながら靴を脱ぎ、いつもの場所にカバンを置く。住み慣れた自分の部屋に帰ってきたカップル。それ以外の何物でもない。あっけにとられ私はただ眺めることしかできない。彼女たちの話題は、そこにあったポラロイドカメラだった。


「ねぇ聞いてよ。このカメラね、いわくつきなんだって。骨董屋のおじいさがゆってたの。写真撮ると魂を抜き取られるらしいよ? だから人は撮っちゃダメなんだって」


「なにそれ。都市伝説? 魂抜き取られるって死ぬってこと?」


「いやそれが、死ぬわけじゃないらしくて、魂を抜かれて別人になっちゃうらしいの。……で、撮られた人は、その写真の中に閉じ込められちゃって二度と出られないんだって。でも、周りの人は全く気がつかないんだって」


 彼は少し驚いた素振りを見せ、私を……壁のこちらの「私」を指さして言った。


「……え、じゃあさ。いや、ほらあのボードに君の写真貼ってあるでしょ。実は昨日、俺、何気なく君を隠し撮りしちゃったんだ。それで、そこに張っといたんだけどさ……」


 一息おいて彼氏は続けた。


「……もう、ここにいる君は別人てこと?」


「えーいつ撮ったのよ。恥ずかしからやめてよね。ま、でもそうね。もしかしたら……もう別人なのかもね」


 『私』のいたずらっぽい答えに、2人は楽しそうに笑っていた。私とまったく同じ姿をしたあちらの『私』は、一瞬だけこちらを眺め、ニヤリと笑った気がした。

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