推理B

 隠先生は無言だった。拳を握りしめ、震わせている。

 そこへ青山さんはとどめの一撃を言い放つ。


「職員室からの通信ログは私には触れられない領域ですが、それを解析すれば更なる証拠が見つかるはずですよ。隠先生」


 終わった。青山さんの勝利だ。

 隠先生はうつむきながら肩を小刻みに震わせている。泣いているのか。はたまた怒りに震えているのか。

 私は身構える。追い詰められた人間は何をするかわからない。

 ――だがそのいずれも違った。「クク……」と低く喉の鳴る声が聞こえてくる。彼は泣いても怒ってもいない。ただただ笑っていた。

 隠先生は満面の笑みを浮かべた顔をあげる。


「こうは考えられないか? 僕のナノポートに何者かがウイルスを感染させた。そのウイルスによって僕は知らない間に犯罪に加担させられていたんだ」


 隠先生の言葉に青山さんは眉をひそめる。警察でもない一介の学生である青山さんに他人のナノポートを調べる権利はない。こう言ってしまえばそれで逃れられると、隠先生はそう踏んだのだ。

 廊下でのすれ違いざまの一言など、所詮青山さんの記憶違いかあるいは妄言に過ぎない。

 たとえ通信ログが残っていたとしても、それは電脳空間に潜った証拠ではあるが本人の意思で潜ったことを証明するわけではない。

 これまでの言動や状況証拠から鑑みてかなり苦しくあるが、そう切り抜けようと考えたのだ。

 押し黙ってしまった青山さんに対して、隠先生はすっかり息を吹き返したようだった。


「いやあ参ったな。こいつは僕のだ。とんだミスだね」

「そんな言い訳通ると思ってるんですか?」


 私は隠先生をにらむ。こんな、こんなの。これまでずっとこの場にいた私からすれば、言い訳以外の何物でもない。


「言い訳ではない。これは純然たる事実だよ。まあよしんば言い訳だったとしても、君たちにはどうすることもできないだろうがね」


 隠先生は不敵に笑って、それから青山さんに向かって顎をしゃくる。


「どうかな青山さん。わかったらさっさと帰ってほしい」

「先生のナノポートがウイルスに感染して? 先生の知らない間に犯行が行われた? そう言いたいわけですね?」これまでのままだった青山さんが口を開く。

「そうだ」

「そういうことなら話はわかります。だけど先生これは……」


 そう言って青山さんが手にしたあるもの。それを見た隠先生の顔色がサッと変わる。慌てて自分の机を振り返って、それから再び青山さんを鋭い目でにらんだ。


「貴様! どうやって! それを返せェェェ!!」


 先程までの余裕綽々しゃくしゃくな声とは違い、まるで獣のような咆哮とともに豹変した隠先生が青山さんへと飛びかかる。

 だが青山さんは動かない。隠先生を見つめたまま、ただその場に立ち尽くしている。

 彼女は決して恐怖で固まってしまったわけではない。むしろその逆。その顔に余裕の笑みを浮かべたまま、鬼の形相で手を伸ばす隠先生を見つめている。

 次の瞬間、私に投げ飛ばされた隠先生が職員室を舞った。

 たかだか一介の教師を相手に青山さんが逃げる必要性はない。何故なら彼女には、この私がついているからだ。

 隠先生は腹から床に叩きつけられる。

 私は隠先生の腕をひねり上げると、背中に膝を立てて逃げられないように抑えつけた。

 何が起きたのかわからないという顔で地面に倒れ伏す隠先生を青山さんが見下ろす。


「事情あって私を狙う輩は多い。だからこそ私の身近には常に彼女のような人間プロがいるのです」


 痛みに脂汗吹き出し悶絶していた隠先生だったが、カッと目を見開き、自分を見下ろす青山さんを血走った目でにらみつける。


「僕の机を開けたな!」


 吠える隠先生だったが、青山さんはそれを無視して彼の机の方へと視線を投げる。


「そこに入ってたんですね。生徒たちの電脳空間を盗撮した映像……それを記録したデータカード」

「返せ!」


 まるで獣のように吠え立てる隠先生に青山さんはうんざりした様子でため息をつくと、手にしたデータカードを放る。データカードは滑るようにして隠先生の目の前に転がった。


「そんなに言うならあげますよ、それ。代わりに820円、あとで返してください」

「…………は?」


 呆けた顔をする隠先生を、青山さんは鼻で笑うと1本ずつ指を立てる。


「私は先生の机を開けてません。まず第一に教職員の机には鍵がかかっています。無理やりこじ開ければ先生も気づいたでしょうし、何より周りの先生の目にもついたことでしょう。第二に鍵を開けてしまっては、証拠能力が怪しくなってしまいます。机は先生しか開けられないという確かな事実が必要でした。そして第三、どこにあったのかついさっきまでわかりませんでした。まさか職場のデスクの中に生徒たちの電脳空間を盗撮したデータカードがあるとは、正直驚きです。今先生に差し上げたのは、ついさっき私が購買で買ってきたものなんです。データが入ってないまっさらな新品の。私言ってないんですよ。これが先生の机の引き出しにあったデータカードだって一言も」

「馬鹿な……。これは間違いなく僕の使っているものと同じ種類のデータカードだ! 机を開けていないと言うのならどうして僕の使っているデータカードと同じものを出せたんだ!」


 驚愕の表情で自分を見上げる先生を見下ろして、青山さんは艷やかな口元になんとも意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「先生、先程廊下ですれ違ったときに購買のビニール袋を持ってましたよね。買い物かと聞かれた時にあなたは慌ててそれを隠した。あの時は大して気にも留めませんでしたが、白嶺さんの電脳空間でバックドアにカメラ機能があるのを見つけてふと思ったんです。もしかしてあれは、例えば盗撮データを保存するためのデータカードとかだったんじゃないかって。売るためなのか自分用に保存するためなのかはわかりませんが、あなたは記録した映像をどこかに保管している、そう考えました。だから購買に行って店員にこう聞いたんです。『隠先生が1つ買い忘れたので追加で買ってくるようにお願いされた。だけどどの種類を買えばいいか聞くのを忘れてしまったから先生が買っていったものを教えてほしい』と。特に何が欲しいとも言いませんでしたが、店員の方は実に親切に教えてくれました。先生がデータカードを買っていったことも、買ったデータカードの種類も」


 白嶺さんと別れたあと、青山さんが購買に行きたがっていたのはただ単に自分の空腹を満たすためではなかった。

 隠先生と出会った時、彼の持っていた購買のビニール袋に目をつけていた青山さんは、隠先生をはめるための罠を手に入れていたのだ。

 口をパクパクとさせて信じられないという顔をして見上げる隠先生に青山さんは尋ねる。


「まだ言い張れますか? ウイルスによって知らない間に自分の身体が勝手に購買に行ってデータカードを購入したと。ウイルスによって知らない間にデータカードに盗撮映像をコピーしたと。ウイルスによって知らない間に盗撮映像を記録したデータカードを鍵のかかった自分の机の中にしまったと。そういう言い逃れができると本気で思いますか?」

「こんな……! こんな卑怯なマネ……!」

「はい、卑怯です。でもこれが私のやり方。そしてあなたは私よりも更に卑怯な犯罪者です」青山さんはそう涼しげに言ってのける。


 ふいに遠くの方からサイレンの音が近づいてくるのが聞こえてきた。

 窓の方に目をやると断続的に赤い光が校舎の壁を照らしているのが見える。どうやら青山さんが前もって通報していた警察が到着したらしい。


「じゃ、あとは彼らに任せるということで」


 青山さんは手を打ち鳴らす。子気味のいい音が夜の職員室に響き渡った。


「先生。あなたの起こしたインシデントはこれにて解決です」

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